正体顕現
「リエル=トルフ。貴女はとても豊かな乳房を持っていますね」
肩に触れていたヴリードの手が胸に触れ、強い力で締め上げる。痛みさえ感じるほどだが、私は抵抗の意思を捻出できないでいた。
「近頃は富裕の象徴として、太った者や乳房豊かな者を嫌う風潮があります。しかし、それは違うということを、聡明な貴女は知っているはずです」
手が脇下へ伸びた。脇腹を撫で下ろし、腰に届く。自身の冷汗でローブが体に張り付くのが分かる。
「その美しい体を新たな時代の象徴として、儂らのもとで役に立てては頂けませんか? もちろん、強制はしません。貴女の意思でお決めなさい」
それが拒否権のない申し出であることは分かる。本当は突っぱねてやりたい。この魔法杖でパンパンに膨らんだ顔をぶっ叩いてやりたかった。
でも、そうすれば彼らは協力してくれなくなるだろう。私のスキルではログたちの飢えを助けることはできない。
じゃあ、私は。彼の求める私自身を引き換えに出すしかないじゃないか。
「……すぐに助けを出してくれるなら」
「ほう?」
「助けを出してくれるなら、私は貴方の元で働きます」
屈服するしかなかった。悔し涙が右頰をこぼれ落ちる。
「難しい決断だったでしょう、リエル=トルフ。さあ、こちらへ来なさい」
満面の笑みを浮かべたヴリードは、私のことを片手で強く抱き寄せる。体勢が崩れ、顎がヴリードの胸に押し当てられた。ここまで来ると、この男の体臭がきつくてむせそうになる。
しかしまあ、目の前で見ると本当に巨大な体だ。そもそも人間かどうかも怪しい。人間じゃなかったら遠慮なんてしないのに。この腹を拳でぶち抜いてやりたかった。
「皆さん。彼女は儂らの為に働くことを決意いたしました。彼女の決意に異論を唱えたい者はありますかな」
苛立つ心を逆なでするかのようなヴリードの宣言が成される。誰も答えない。多分、皆意見を言えるような立場じゃないのだろう。こいつの狡猾さを体験した今となれば、それもよく分かる。
「よろしい。ではリエル=トルフ殿、今日からしっかりと働いて頂きますよ」
私の後頭部を撫でる手に力が入るのを感じる。
その瞬間、私は違和感を覚えた。何かが首筋から私の中に侵入したような気がしたのである。同時に肉体の感覚が遠のく。
咄嗟にスキルを唱えた。
「《過剰治癒》」
「うん?」
ヴリードが疑問の声を上げたが気にしない。とにかく、内部に入り込んだものの正体を突き止めねばならない。
首筋に伸ばした神経で感じたのは、ごく小さな砂つぶのようなものだ。ごつごつしてて、何か液体のようなものが出ているのを感じ取る。
これは……地下室で感じたものと同じ。昏睡した老人の首に埋まっていた、彼を寝たきりにした原因と同じものだ!
私は砂つぶを体外へ弾き飛ばし、組織を治療。取り戻した感覚を目一杯に感じながら後ろへ飛び退いた。ヴリードの驚いた表情が目に入る。
「貴方があの老人を寝たきりにしたんですね、ヴリード!」
「おやおや、急に大声をあげて。どうされたのかな」
余裕を崩さないヴリード。だが、バレていないと思ったら大間違いだ。
「その手から人を操る物を出したでしょう。私が見破れないとでも思いましたか!」
ヴリードは笑っている。しらを切り通すつもりのようだ。
実際、知らないふりをされると不利なのは私の方である。何せ、証拠が小さすぎる。スキルで伸ばした神経でも、おぼろげな形がようやく分かる程度。それほど小さいのだ。体外に出したとして、それを肉眼で確認できるはずもない。
ではどうするか。
「やった事を白状すれば痛い目を見ずに済みます。さあ、吐きなさい!」
高々と杖を構え、声高に正直を煽る。これが私の思いつく限り、最良の選択肢であった。それでもヴリードの牙城は崩れない。それどころか、大声をあげて笑いさえした。
「うわっはっは! 面白いことを言いますな。儂のような一介の神官に何ができると言うのでしょう?」
……よろしい。私が無力な女だと思っているのなら、それは大きな間違いだ。召喚され師となったことで、大人の一人や二人くらい簡単に倒せる力があるんだぞ。軽く引っ叩いて、その腐った本性を衆目にさらけ出してやる。
「ならば致し方ありません。ちょっと痛いですよ!」
私は杖を振り上げ、踏み込みと共にヴリードの右肩を打った。私の凶行に神官たちが慄く。いい気味だ。お前たちも黙ってたら打たれるぞ。
だが、不敵に笑う者がいた。
「いやあ、驚きました。本当に叩かれるとは思いませんでしたよ」
今正に打たれたヴリードである。
何故笑っていられる? 感触からして防具は着込んでいないはず。軽く振ったとはいえ、打撲痕が残る程度の威力は出したつもりだ。普通なら痛みで呻くくらいはするはずだろう。
「しかし、少々力不足ですな。儂はこの程度、痛くも痒くもない」
打たれた部分を厚い手で払う。
予想外の反応に慌てた私は、更に二度三度と殴打を繰り返す。だが、ヴリードはビクともしない。声すら上げず、不気味に微笑んでいる。
分かったぞ。魔法で肉体の防御力を高めているんだ。私の居た世界でも、肌を硬くし痛みに強くなるという防御魔法があった。ヴリードもそういった類いのものを仕込んでいるに違いない。
「全く、聞きわけのない方だ。誰かその女を捕らえなさい」
何を馬鹿なことを。私を捕らえられるとでも……そう思った瞬間、誰かが私の後ろから抱きついてきた。振り返ると、年老いた神官の困惑したような顔と目が合う。彼の手は私の首や右腕に組みついていた。
私は振り払おうと力を込める。だが、神官の細い手は動かないし離れない。枯れ枝みたいな腕のどこにこんな力があるというのだろう。
神官は総立ちとなり、私の周りを取り囲んだ。何が起こっているのか分からないという表情でお互いの顔を見合わせている。
「は、離してくださいっ!」
「いえ、わ、私はなにもっ……体が勝手に……!」
困惑の声をあげる老神官。操られているのか?
ぎしぎし。みしみし。私の右腕が悲鳴をあげる。首がしまり、息が詰まった。
「知りたいですかな?」
ヴリードが笑みを浮かべる。黙って睨みつけていると、太い体を揺らしながら笑い声を上げ始めた。
「ぶはははは。召喚されし者であれば、この名に聞き覚えがあるはずですよ……」
突然表情を失うヴリード。視線が揺らぎ、虚空を見つめる。その大きな体がぶるぶると震え始める。
呆気にとられていると、私を掴んでいる神官も震え始めた。腕や首を掴んでいた手が外れ、私の体は前のめりに倒れる。
苦しい体勢で見回してみれば、取り囲んでいる神官たちも同様に激しく震えている。なんなんだこれは。意味が分からない。
「我々はカオスへクス」
なんだって?
突然の大合唱。ヴリードも、神官たちも、全く同じ台詞を全く同じタイミングで叫んでいる。
「あるいは混沌の使者」
冗談じゃない。まさか、そんなことが。
ヴリードの腹が蠢く。盛り上がり、ローブを目一杯引き伸ばし、その布を裂いて出てくる。
その先に輝く黒。見紛うはずもない。あれはカオスへクスの頭。
「あるいは崩壊の象徴」
私はカオスへクスに制圧された部屋のど真ん中に居たのだ。
「ぶはっ! はあ、はあ、まあ、こういうことですよ……」
ヴリードは正気を取り戻し、再びにたにた笑いを浮かべる。その顔はどこか恍惚としたものを含んでいた。
彼の腹はまるで別人のように蠢いている。まるで肌色の芋虫だ。
嫌悪と恐怖が私の力を奪っていく。
「う、うそ、そんな、嘘でしょ……!?」
「少し前、夢の中で、彼らはある話を持ちかけてきました」
聞いてもいないのに昔話を始めるヴリード。
「混沌を見たくはないか、と。崩壊を見たくはないか、と。当時の愚かな儂では全く意味が分からなかった。だが、一目見せられて分かった。誰も苦しまぬ世界。誰も不幸に苛まれぬ世界。全てが一つの混沌。それこそが至高の楽園なのだと」
その目は再び虚空を見て、快楽に満ちた色を放っている。きっとその視線の先には彼だけの楽園があるのだ。
「儂は皆にも夢を見せて差し上げました。しかし、彼らは儂の想像以上に愚かでした。未だ、完全に理解はして頂けていない。眠る事を恐れてすらいる。ですが、貴女なら理解していただけるでしょう、リエル=トルフ。素晴らしい世界を、儂と共に見ようではありませんか。さあ、さあ、さあ!」
それを合図に、またも襲いかかってくる神官たち。彼らの目は虚ろで、正気を保っているとは思えない。
今度は捕まってたまるか。反射的に私は空へ跳ねた。天井に達した後、杖で引っ掻いて出口へと飛ぶ。目論見は概ね成功し、私の足は両開きの扉を吹き飛ばした。危機を脱したことで、私の勇気が爆発的に膨れ上がる。
私は振り返った。多分笑っていたと思う。
「カオスへクス! お前の思い通りになどならない! このウツロ世界には私の仲間がいる! それに、スオウの召喚され師だっている!」
杖を差し向けた。その先に居るのは勿論、カオスへクスの操り人形と化したヴリード。
「必ずお前は倒され──ぶっ!」
得意満面に決めていた私は、突然両側から平たい物で押し潰された。何が起こったのか分からず、目を瞬かせる。
「リエル=トルフ。貴女は戦いに慣れていない。非常に詰めが甘い。夢を見せられるのが人間だけだとお思いですかな?」
全く体を動かせない状況で、視線だけを動かし確認する。
ああ、これは。建物内部の壁か? 壁が動いて私を押し潰しているのか。
「ようやく理解したようですね。そう、神殿の内壁です。この神殿全てが儂の夢の中。手すら触れず、身動きひとつ無く、まるで手足のように動かせるのですよ!」
油断した。私は彼の掌の上で悠長に演説をしていたのだ。余裕綽々の笑みの意味を今、やっと理解する。だが、もう遅い。
「彼女は後の楽しみに取っておきましょう。異論が無ければ地下へ沈めます」
ヴリードの一人芝居を黙って受け入れることしかできない私。
どうしてこう……私は愚かなのか。そもそも相手はカオスへクス。あのクローディアスが苦戦するほどの相手じゃないか。脇目も振らずさっさと逃げるべきだった。そうすればまだ可能性はあった。仲間にも助けを乞えたはずなのだ。
だというのに、私は!
「ぐっ、うううっ……!」
呻きもがく。動けない。ガチガチに締め付けられている。気を抜いたら本当に潰れてしまうだろう。そんなの絶対に嫌だ。
満身の力を込め、圧迫からの脱出を図る。これでダメなら終わりだ。
と、右腕が抜けた。やった、どうにかなりそうだ……と思った瞬間、爆音と共に私の両側の壁が吹き飛んだ。鼓膜が痺れる。
「イヤッホー! 死ね死ね死ねーっ! アハハハハ!」
聞き覚えある声が罵倒の言葉を並べ立てている。そして連続する爆音。視線を彷徨わせ、その正体を探ると、そこには黒服の男女がいた。
「ナオさん、ガラさん! どうしてここに!」
「護衛してるって言ったでしょう」
モルトヴァのスキルによって生み出されたエージェント。紫髪の女、ナオと灰髪の男、ガラだった。ナオは両手に小さな銃のような物を手にしており、その引き金を容赦なく引き絞っている。恐ろしい勢いで弾丸が発射され、神官たちのいる部屋を破壊する。
どうやら彼らの助けで抜け出せたようだ。私の力ではなく、私を殺しかけた人間によって助かったことに対する落胆の念が一瞬渦巻き、すぐ消えた。
今はそんなことを考えている場合ではない。
「では、脱出するんで」
そういえばそんな事を言っていたような気がする。
言うが早いかガラは私を助け起こし、肩を抱えて飛んだ。懐から手の平サイズの銃を取り出し、行く手を阻むように飛び出してくる壁を片端から銃撃で吹き飛す。その勢いで一気に神殿の外へと飛び出した。
「ちょ、置いてかないでよバカー! アホー!」
遅れてナオが飛び出した。何か丸いものを腰から取り外し、それを建物内へと投げ込んだのが見えた。
「拠点へ撤退します。カオスへクスに真正面からは勝ち目ないんで」
直後、先ほどまで居た階が爆発する。壁が大きく吹き飛び、空気の圧が背中を殴りつける。ナオは空中で振り返り、更に銃撃を浴びせた。何に向けて撃っているのかは分からない。
ざ、ざ、ざ。妙な音が鼓膜をくすぐった。右肩越しに後ろを見ると、丁度爆炎の中から人影が飛び出した瞬間であった。青いローブ姿。部屋にいた神官たちだ。虚ろな目の彼らが生身で飛び出してきたのである。
「ほらほら来るよガラ! 援護援護! 早く早く!」
「はいはい」
ガラは振り返りもせず背後に向けて三連続で銃撃する。それは最も接近していた一人の神官に全て命中し、その肉体を完全に破裂させた。黒い血が飛び散る。
ナオの銃撃は途切れない。三、四人の神官を跡形もなく吹き飛ばし、更に二人ほどの腕を完全に破壊した。
しかし、これで倒せるような相手ではなかった。粉々にされ血煙となった神官たちは、即座に再生して元の姿へと戻る。ローブや装飾品まで元どおりだ。いったいどういう再生能力をしているのか。
「こーの卑怯者ー! 超回復しやがってー!」
悪態を叫びながら連射し続けるナオ。まだ私たちは神殿の中腹部分を落下している途中だ。あと半分、追いつかれないようにしなければならない。
まさか、自由落下がこんなに遅く感じる日が来るとは。顔に当たる風は確かな速度を伝えていると言うのに、時間経過が恐ろしくゆったりしている。召喚され師だからこそ、そう感じるているのかも。
ガラが声を張り上げた。
「ナオ! 下も注意しろ!」
「ええーっ! 無理無理無理だってばーっ!」
代わりに私が下を見る。眼下にはあの寝不足気味の門番が。先ほども手にしていた警棒を今にも投げようとしていた。
ガラが銃を向けたのと、門番が警棒を投げたのは同時だった。空気を引き裂き超高速で接近してきた警棒を、ガラの放った銃弾が打ち砕く。続けざまに門番へ向けて放たれた二発の弾丸は避けられてしまった。イダテンコには遠く及ばないが、速い動きだ。
「番兵はお前がやれ、ナオ! 援護するんで!」
その言葉が終わるか終わらないうちに再び背後へ銃撃。すぐ後ろで弾け飛ぶ音がした。もうかなり接近されている。追いつかれてしまう。
ああ、イダテンコがこの場にいれば、一瞬で安全圏へ移動できたのに。どうして今居ないのだろう。
ナオが放ったと思われる弾丸がすぐ横を通り抜け、地面を抉り抜く。石畳が吹き飛び、土がめくれ上がり、住宅が爆裂し倒壊する。それでも素早く駆け回る番兵には当たらない。その両手にはいつの間にか小さな瓦礫が。
「ガラさん! 石を投げるつもりです!」
「分かった! ナオ、さっさとやれ!」
「うるせーバーカ! 死ね!」
直後、一際大きい弾丸が地上へ落ちた。番兵がそれを僅かな動きでかわす。その両手に力が込められるのがここからでもはっきり見えた。
その瞬間、地上に到達した弾丸が大爆発を起こした。猛烈な爆風に巻き込まれ、粉々に吹き飛ぶ番兵。
「ウヒャヒャ、ザマーミロッ! グレネード弾だよう!」
ナオの勝ち誇った声。もう地上は目の前だ。私とガラの足が同時に接触し、石畳が粉々に砕け散る。
「拠点まで走ってください、時間を稼ぐんで!」
門から顔を出した兵士の頭をぶち抜き、ガラが叫ぶ。ナオはナオで神官たちと取っ組み合いながら地面に落下した。
「くっあー! どけコラーッ!」
ナオが蹴りを食らわせて老神官を吹き飛ばし、銃を乱射して神殿の門もろとも粉々に破壊する。
彼女の右顔面は斜めに引き裂かれ、左の首筋まで赤い切り傷が達していた。私の心臓が激しく高鳴る。
「ナオさん、怪我の治療を……」
「おいちょっと何見てるわけ!? 早く行けやアホンダラッ!」
銃でど突かれ正気を取り戻す。勢い余ってつまづきつつ、私は全速力で駆け出した。背後では銃声、奇声、ナオの罵詈雑言が響く。
段々状況がややこしくなってきた。魔物退治の依頼をヒクイドリに任せ、モルトヴァに拠点を追い出され、困窮した少年たちと出会い、召喚された神殿へ乗り込んでヴリードを問い詰め、それが実はカオスへクスで……。
ああもう、とにかく!
まずは一番大きい問題を解決しなくてはダメだ。カオスへクスが出てきてしまった以上、アレを倒さねばどうあがいてもこの世界に未来はないのである。
エージェントたちでは勝てないだろう。それどころか、このままだと二人とも殺される。早急にイダテンコとモルトヴァに協力してもらうべきだ。場合によってはヒクイドリにも手助けを求めることになるだろう。
モルトヴァと顔を合わせるのはもちろん嫌だ。他の召喚され師を人とも思わない冷徹な男だし。でも、彼が私やイダテンコより実力のある召喚され師であることもまた事実である。
ログとエリ、彼らの仲間の未来のために、私は自身の心を押し殺す。
走れ、走れ、全力で走れ! ログたちを救うために! エージェントたちを死なせないために! この世界の未来のために!




