理不尽
「うわあああっ!」
誰かが叫んだ。その瞬間、辺りは人々の悲鳴で埋め尽くされる。
老人の頭は、顎より上の部分が全てなくなっていた。何が起こったのか全く分からず、思考を停止した状態でその様を見つめる。
「爺様ぁっ!?」
腰を抜かしたログやエリ、子供達の叫び声が鼓膜を貫いた。
何が起こった。何が起こった。何が起こった。
理解不能だ。ありえない。
私のせいじゃない。どう見たって内部から爆発したようには見えない。外部から力が加えられた結果、老人の頭は粉々に砕かれたのだ。じゃあ、誰のせいだ。
振り返る。何もいない。なら、別にいい。原因は後で考える。
「《過剰治癒》!」
もう一度治すだけだ。
再び神経を繋ぎ、飛び散った組織を即座にかき集める。思っていたほど難しい作業ではない。ただ手間が掛かるだけだ。イダテンコの両腕を直した時の応用で、神経を幾つにも分けて、同時に作業する。これで作業速度は数倍だろう。
脳を完全に治した瞬間、流れ込む情報量が多くなった。意識が戻った、ということか。状況に対する強烈な混乱が伝わってくる。もうちょっと待って欲しい。まだ頭蓋骨が治ってない。
完全に治療が終わった後、私はすぐに振り返り、杖を握りしめた。これ以上襲撃を受けるのはごめんだ。治療した人間を即座に傷つけられるというのは、気分の良いものではない。
「爺様! 爺様! 大丈夫か!」
「ん……おお、ここは……何処じゃ?」
背後で老人の呻き声。良かった、記憶は混乱しているが、ちゃんと生きている。まあ私が治療したから当たり前なんだけどね。
「み、みんな、私の後ろに。まっ、また襲ってくるかもしれないので」
騒いでいた大人たちが慌てて老人の周りへ向かい、その細い身体を寄せ合う。子供達もそれに続く。それでいい。多分私じゃ完全には守れないし。
「ね、姉ちゃん、誰が襲ってきたんだよ!」
「分かんないよ、ログ! ごめん!」
頼りになる物といえば、この手にした魔法杖くらいだ。暴漢一人ぐらいなら何とかしてみせるつもりだが……敵の姿は全く見えない。ああ、イダテンコやムソウマルが居てくれば。この際モルトヴァでもいいのに。
そう思った矢先、私はギルドリングのことを思い出した。
フレンド機能。リングを握って『助けて』と言えば、暇なフレンドが助けに来てくれるのだ。今使えばイダテンコとムソウマルが来てくれるだろう。こんな良い機能を今まで忘れていたとは。
早速私はギルドリングをにぎ……。
「あっ」
片手しかない私ではギルドリングを外せない。手に持てない。助けが呼べない。ああ、自分勝手なワガママがこんなところで足を引っ張ってる。
スキルを使って左手を治療するか? だが、今使ったら確実に隙だらけになる。攻撃されたら防ぎようがない。どうしたらいい。
ひゅん。またあの音。
飛んできた何かを私は杖で弾いた。衝撃で手首が痺れる。それは小さな金属の塊のようだった。
銃弾か? だが、銃を撃った音は全くしない。弾丸だけが地下道の暗がりから飛んで来たのである。一体何が起こっているというのか。
「ちょっと、誰なの! 卑怯者! 出てきなさい!」
襲撃者が魔物とは思えなかった。魔物ならこんな小賢しい真似はせず、真正面から堂々と襲いかかってくる。
ではウツロの人間か? まさか。そんな訳が無い。ウツロの人間にこの老人を襲う理由はあっても、ここまで完璧に姿を隠す術があるとは思えない。
また銃弾が飛んで来た。私は再びそれを弾いて──。
「ぐっ!」
銃弾の後ろにもう一発隠れていた。それが私の胸のど真ん中を貫いたのである。鋭い痛みが体内を駆け巡った。視界に火花が散る。
急いで《過剰治癒》を唱え、傷を治療する。体内に残留した弾丸も無理やり弾き飛ばす。
だが、それは完全に隙でしかなかった。弾丸は散発的に、だが止むことなく飛んでくる。もう防ぐ暇が全くない。肉体に突き刺さってくる痛みが激しく私の思考を揺さぶる。
「がふっ! ぐえあっ! げおっ!」
血が内蔵を満たし、消化管を血液が逆流し、口からごぼごぼと溢れ出る。
右腕が砕け、錆びた短剣が落ちた。眼球を撃ち抜かれた。頭蓋が砕け、中身が溢れ出した。だが、意識ははっきりしている。杖も離さない。
スキルに集中している限り、脳を吹っ飛ばされても私は死なないようだった。立っていられる。こうして、痛みと引き換えに誰かの盾になれる。何時までかは分からないけど。
──いったいどれぐらい私は攻撃を受けたのか。必死で肉体の傷を治し続けていたせいで、全く覚えていない。
気がつくと攻撃は止んでいる。肩で息をしていると口角から血液が垂れ落ちた。
背後で誰かが喋っている。誰だっけ。ログ? エリ? 声が男っぽいからログの方か。頭を吹っ飛ばされたせいで、私の記憶も混濁しているようだ。
彼の心配そうな声で、私はやっと正気を取り戻した。
「だ、大丈夫だよ……げほっ」
吐き気が込み上げる。血の味が口いっぱいに広がっている。だがまあ、命に関わるようなものじゃない。全然平気だ。
しかし、何故攻撃が止んだのかが分からない。敵はいったい何を狙っている? 私を痛めつけたいだけか?
それなら攻撃力不足だ。むしろ、偶然とはいえ錆びた短剣を取り外すのに役に立った。私へのマイナス要素はない。
「いい加減にしてよっ! さっさと出てきたらどうなのっ!」
再び見えない敵に呼びかける。誰も答えない。誰も出てこない。人のいる気配は、全くない。
答えのない答えを受け取ってしばらくした後、私は決心した。
敵を突き止めてやる。何故こんな攻撃を仕掛けているのか、吐かせてやる。
一歩。また一歩、慎重に歩を進める。決して敵の攻撃を見逃さないように。背後の人々に流れ弾が飛ばないように。全ての感覚に神経を集中させる。
ところが、敵の攻撃はもう二度となかった。ハシゴまで辿り着いてしまい、途方に暮れる。
いったい何だったんだ? 私は確かに攻撃を受けていたというのに、何故敵がいない?
疑問は尽きないが、自身の知識では解決しようがない。
助けが必要だ。
私は地下室へ戻り、ログに告げた。
「私の右腕にあるリングを取って、渡してくれないかな」
ログは困惑の表情を見せる。どうしたというのだ。
「助けを呼ばなきゃいけないの。リングを使えば……あれ?」
右腕にリングがはまっていない。さっきまであったはずなのに。慌てて床を見渡すと、銀色のリングが転がっていた。砕けて真っ二つに割れた状態で。
「えええーっ!? 嘘だあーっ!」
私の間抜けな絶望の声が響き渡る。
慌ててリングの欠片を拾い集め、『助けて』と何度も呟いたが、一切の反応を示さない。もう完全に壊れていた。
ギルドリングをローブの前ポケットにしまい、私は意気消沈の溜息を吐き出す。
多分、銃弾に撃ち抜かれたのだろう。まさかギルドリングがこんなに脆いものだったなんて、予想だにしなかった。
「ごめんなさい。本当ならこれで助けを呼べたはずなんだけど」
「んあ、別にええよ。姉っちゃが助けてくれだでねが」
「ほんだ。俺等の命の恩人でや」
言葉の意味はなんとか分かる。だが、ログとエリのイントネーションや細部の言葉はものすごく訛って聞こえる。今までギルドリングが翻訳してくれていたのだろう。困ったなあ。
もう顔も見たくないが、やありモルトヴァに相談するしかない。そして、イダテンコに彼ら家無き者たちのことを守ってもらおう。私よりずっと戦闘向きの彼女なら、きっと大丈夫だ。
「わ、私、これを直したいの。それで、一度戻りたいのだけど、貴方達も来ない? ここに残すのは不安で」
「ほれはんえど! いんま出だらぼっこに捕られで追っ立てられるでねが! はんぼにさおるのがいっごだ」
はい? 意味不明な単語が出てきた。
節々の理解可能な単語から推測するしかないが、多分出たくないと言っている。多分。恐らく。仕方がない、一人で戻るしかないようだ。
「分かりました。じゃあ、貴方達も気をつけてね。すぐ戻ってくるから」
「姉っちゃ! ほんど気つけね! なんだら起こっかわがんねど!」
エリが激励してくれていると思われる。私はなるべく自然な笑顔を浮かべ、小さく手を振った。
暗い地下道を抜け、ハシゴを一飛びで超える。私がこの床板を開けっ放しにしたせいで敵が入り込んだのかもしれない。私のミスであることは明白だ。
改めて蓋をしっかり閉める。これでしばらくは大丈夫と思いたい。さっさとモルトヴァの元へ戻り、ギルドリングについて相談しなければ。嫌でも仕方がない。
しかし、小屋を出た瞬間に私は異様な気配に気がついた。路地の方に誰かが居る。それも二人。私が出てくるのを待っていたのかもしれない。
「ねえ誰なの! そこに居るんでしょう! 出てきなさいよ!」
声を張り上げて呼びかける。また無視されるだろうと予想していたが、意外にも連中は私の呼びかけに応じて出てきた。
黒いスーツ。赤いネクタイ。白いワイシャツに革靴。モルトヴァの生み出したエージェントと似たような姿の二人だった。いや、彼の手が掛かった人間達で間違いないだろう、これは。
「初めまして、リエル=トルフ様! 我々はモルトヴァ管理官のエージェントです!」
この元気のいい方は明るい紫髪の女性。長い髪を後頭部で束ねている。スーツの上から大きなベルトをつけており、丸い球体が幾つかぶら下げられていた。
「ん、まあ。そういうことで」
彼女の背後に隠れている元気のない方は、灰色の長い髪をそのまま垂らした男性。きつい猫背だ。左手の親指と中指を神経質そうに擦り合わせている。
「私がスーパーウルトラパーフェクトスーパーエージェントのナオ! このうだつの上がらないダメダメエージェントがガラ、です! 以後お見知り置きをっ!」
満面の笑みでペコペコと何度も頭を下げる紫髪の女性エージェント、ナオ。背後の灰髪の男性エージェント、ガラは頰を掻きながら口をモゴモゴさせている。
いや。いやいや。ちょっと待って、自己紹介とかじゃなくて。
「貴方達が襲撃した犯人なんですよね!?」
「はい、そうですよ! こんな風に!」
胸を張って即答するナオ。次の瞬間、その姿が消える。私が面食らっていると、急に右腰辺りに硬いものが当たった。
「光学迷彩でえーす!」
凄まじい大声で右の鼓膜が破れそうになる。再びナオの姿が現れ、彼女の右手には手のひら大の銃が握られていた。
「な、なんでそんなことをしたんですか……危うく死ぬところだったんですよ!」
私の糾弾に、待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべるナオ。
「答えは簡単です! モルトヴァ管理官の指令でございます! 貴方様を襲撃し、部位ごとに傷つけ、スキルの強度を図れとのことでございました! 作戦は既に終了したのでご心配なく! 以降は護衛を行います!」
ああー……やっぱり。モルトヴァの差し金だったのだ。
私はいろんな感情がごちゃ混ぜになった溜息を一息に吐き出した。




