スオウの女
長い毛の付いたコート。群青色の短いスカート。真っ黒いストッキング。そして、膝まで届く焦げ茶のロングブーツ。
頭には鳥か何かの頭骨らしき装飾品。胸元には赤い宝石の首飾り。何とも言えない不可思議なファッションセンスだ。特に鳥類の骨のミスマッチ感が凄い。
いったい誰なんだろう、この青い髪の女は。初めて見るが。彼女も召喚され師なのだろうか。
だいたい、おいしそうってなんだ。
……すごく良い雰囲気じゃないか。
「あの──」
声をかけてみようとした瞬間、ローブの首元を後ろに引っ張られてよろめいた。見れば、モルトヴァが渋い顔で睨んでいる。額には汗がにじんでいた。
「えっ、なんですか?」
「そいつには関わるな」
もう片方の手でイダテンコの肩を掴み、モルトヴァは一歩、二歩と後退する。
「ちょ、ちょっと、なんなのー?」
「いいから黙って下がれ」
私たちは強引に引っ張られていく。神官たちの表情が視界の端に映ったが、皆一様に困惑の表情を浮かべていた。当然だろう、私だって困惑しているのだから。
「ねえモルトヴァ」
女がモルトヴァの名を呼んだ。澄み渡った、美しい声である。
この声で名前を呼ばれたら心地いいだろうなあ。私の名前も呼んでくれないかなあ。モルトヴァがさっさと離してくれたらいいのに。
「どうして私の獲物を持っていくの?」
「ヒクイドリよ。これは召喚され師だ。よく見ろ」
彼女はヒクイドリという名らしい。とても変な名前だ。もっと美しい名前があるだろうに。
ヒクイドリは私のことをじっと睨んだ。鋭い目だ。もっと射抜くように見て欲しい。私の魂ごと視線で貫いてしまうくらい、強く、強く──。
「下がれリエル=トルフ」
「ちょっ、やめて! 離してくださいよ!」
モルトヴァに思い切り引っ張られ、ヒクイドリの顔が遠のく。
なんてことをするんだ、この恥知らず。私がヒクイドリに惹かれていることがそんなに憎いのか。ははあ、嫉妬だな? ガジンの私が注目されていることに苛立っているんだ。間違いない。
ヒクイドリはしばらく私のことを見て、溜息をついた。見えない息すら輝いて見える。美しい。
「ああ。あああ、残念。すごく良い匂いだったのに」
そう言って彼女は手を打ち鳴らした。
胸の高まりが消えた。病的な思考回路が鳴りを潜める。
「あれ? わ、私……?」
「ヒクイドリ。お前、誘惑していたな」
モルトヴァが睨むが、肝心の彼女は上の空だ。
「良い匂いを嗅いで、すごくお腹が空いちゃった」
ヒクイドリは数歩歩き、今まで蚊帳の外だった神官たちに話しかける。
「魔物の巣って何処?」
「えっ、そ、それは──」
神官たちがヒクイドリに説明している間に、私はモルトヴァに解説を求めることにした。
「ねえ、モルトヴァさん。あの人、なんなんですか?」
「彼女は《精神習合》ヒクイドリ。スオウ級の召喚され師だ」
なるほど。スオウ級の召喚され師か。スオウの……。
「え!?」
「マジでー!?」
私とイダテンコは同時に驚愕した。
イゴン級のモルトヴァより格上で、クローディアスと同格以上ということではないか。この女、見た目からは想像もできないほどの実力者のようだ。
「恐らく、偶然同じ世界の召喚に応えたと思われる。非常に、非常に珍しいことだが、別にあり得ない訳ではない。偶然だ」
白衣の袖で額の汗を拭うモルトヴァ。相当緊張していたようだ。
それも当然か。イゴンの立場で威張っていたら、更に上の存在が来てしまったのだから。ちょっといい気味。
「そ、それで、どうするんですか? 一緒に行動とかします?」
「馬鹿なことを言うな。依頼対象はアイツに任せ、当方はパーティごと別行動を取るべきだ」
モルトヴァは室内の構造を確認し、出口と思われる両開きの扉へと向かう。
「着いて来い。拠点を設営する」
棒立ちで動かない私たちを見て催促するモルトヴァ。結局、神官たちとは会話も交わすことなく部屋を後にする。
ヒクイドリは神官たちの説明に夢中で、一切こちらに視線を向けなかった。
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吐き気を催す臭いが立ち込めている。
ここの街並みは本当に酷いものだ。石造りそのままの壁や屋根はあちこち崩れているし、血糊のような赤黒い色が所々に広がっている。通行人はゼロだ。
街自体が小高い丘にあるようだが、天候は地平まで続く重苦しい曇天。広がる荒野に草地は全くない。
街角の一部には大量の死体が山と積まれていた。これが臭いの原因か。どうやら死体の処理が間に合わないくらいの戦いがつい最近あったようだ。
私たちに何かできることはないのか?
つい気になって、目の前のモルトヴァの背中に質問を投げかける。
「あ、あの、本当にヒクイドリさん一人に任せて大丈夫なんでしょうか」
「お前は今まで何を見てきたんだ。この程度、ガジンの下層でも一人で解決できる程度の問題だ」
彼は一瞥すらすることなく歩いていく。血だまりに踏み込んでも、一切歩みを止めない。なるべく踏まないよう、下ばかり見てうろうろ歩き回っている私とは大違いだ。
「そういうことじゃないと思うよー、モルトヴァ」
屋根の上を歩いていたイダテンコが言う。幾分か敵対意識は落ち着いたようだ
「ここの人たちは放っておいて良いのか、ってことをリエルお姉ちゃんは言いたいんじゃない? こんな有様だしさー」
「ウツロの世界はウツロの民のもの。召喚され師が依頼以上に関係を持つことは推奨できない。それとも、お前たちは自分が神にでもなったつもりかね?」
再び流れる険悪な雰囲気。
私としては、味方してくれたイダテンコ側に付きたい気持ちである。怪我をしている人がいたら助けなくてはならないし、こんな状況で生活し続けたら、精神的にもダメージは免れないだろう。
だが、モルトヴァの意見も、言い方は置いといて一理あるのは確か。あくまで私たち召喚され師というのは一時的な問題解決のために呼び出されているのであって、寿命を全うするほど長く居座り続けはしない。
うーん。弁が立たないというのは辛いものだ。
何か出来ないか考えたが、どっち付かずの私に妙案などなかった。
急にモルトヴァが立ち止まる。彼の視線の先には完全に崩れ落ちた家屋が幾つもある。相当の時間が経っているようで、瓦礫には苔が生えていた。
「丁度良い。ここを拠点とする」
右手を掲げるモルトヴァ。
「《区画収容》」
突如空中に出現する箱型物体。それが瓦礫の山を押し潰した。家屋一つ分ぐらいあるその箱は、次から次へと出現し、最初の箱の周りに接続されていく。
ただ単に敵と戦ったり治癒したり以外にも、こんなスキルがあるのか。何もない空間から物体を出現させ、建築物を建てるなど常識ではあり得ない。
「取り敢えずはこれでいい」
瓦礫の山はすっかり見えなくなった。代わりに建ったのは、箱が積み重なった五階建ての小さな塔である。一階部分にはいくつか箱が追加され、故郷でよく見た教会のような出で立ちだ。
正面の箱型物体の一部が上方に開き、大柄な男が現れる。
「エージェント・セラフ、ガジンの二人を休憩室へ」
「かしこまりました」
セラフと呼ばれたその大男は、頭部に髪の毛が一切無く、黒色の眼鏡をかけている。その為彼の目つきは確認できない。
衣服は新品のように真新しい黒のスーツ、白のワイシャツ。そして赤いネクタイ。これからパーティにでも行きそうな容姿だ。
モルトヴァの生み出した箱から現れたということは、この男もスキルによって生み出されたのだろうか。だとすると、モルトヴァのスキルは生命すら生み出せるということになる。
レベルが違いすぎる。
自身のスキルに満足しているとは言え、私は精々人一人を治癒するぐらいだというのに。
「初めまして。リエル=トルフ様、そしてイダテンコ様ですね。我々の管理官、モルトヴァがお世話になっております」
私たちの名を呼び、深々と頭を下げるセラフ。モルトヴァは顔をしかめる。
「当方が世話をしているのだ。間違えるな、セラフ」
「申し訳ありません、管理官」
セラフは今一度頭を下げる。
どうもモルトヴァに絶対服従という訳ではないらしい。彼には彼の人格があるということか。そして、少なくとも彼はモルトヴァより話しやすそうだ。
「こ、こちらこそ。宜しくお願いします」
「よろしくねー、セラフおじさん」
私たちは一緒に一礼する。セラフは一瞬ニコリと笑い、すぐに真顔に戻った。
「ではこちらへどうぞ」
大柄な彼の背中を追い、箱の中へと足を運ぶ。
内部は清潔感とは程遠い、重苦しい灰色の空間だった。鉄板が余すところなく貼られ、天井に設置された棒状の光源が白い明かりをもたらしている。
家具類は少ない。精々金属製のテーブルと椅子ぐらいか。あとは入り口同様の形状をした扉が三つ確認できた。
モルトヴァは右方の扉に向かい、黒い板にギルドリングをかざす。すると、扉が自動的に開き、奥への通路を出現させた。内部はどこも似たような色合いらしい。
彼が扉の奥へ消えると、セラフは薄っすら笑う。そして、右手で最も奥の扉を示した。
「奥に休憩室があります。お二人とも、そこで少しお休みください。追って管理官の指示をお伝えします」
言われるがままに私たちは最奥の扉に歩み寄る。扉はひとりでに開き、似たような色合いの廊下空間が現れた。
「すっごい変なスキルだよねー。こんなの初めて見たからびっくり」
廊下を幾らか歩いてから、イダテンコはぽつりと言った。
実際、おかしなスキルだと思う。何も無いところから生み出すという点は凄いが、その全てが恐らく箱型の建造物に限定されている。私のような非戦闘員が言うのもなんだが、直接戦闘に向いた能力とは思えない。拠点を作る以外にも何か隠された能力があるのだろうか。
「でもまあ、どこにでもこうして家を建てられるというのは面白いですよね。眺めのいい場所にすぐ家を置けたら楽しいでしょうし」
「あ、それいいねー! 私は草原のど真ん中に立てたい! でも、こんな無骨な奴じゃなくて、もっと可愛いログハウスみたいなのがいいなー」
モルトヴァと離れたこともあり、イダテンコの機嫌はだいぶ良くなったように見える。良かった良かった。
突き当たりの休憩室は幾らか明るい印象の部屋だった。観賞用と思われる小さな木々が中央にあり、壁も床も全体的に白っぽい。まあ、それ以外は最初の箱と何も変わらない。
「なーんもないねー」
「そうですね……」
「ここで座って待ってれば良いのかなー。暇だなー」
椅子二つを占領して寝っ転がるイダテンコ。テーブルの上を彼女の槍が滑る。私も椅子の一つに座り、杖を立てかけた。
「何をするんでしょうね。依頼に応えないなら召喚された意味がないし」
「さあねー。私もモルトヴァと話すの初めてだもん」
扉が開く音がした。モルトヴァが入ってきたのか。
振り向くと、ヒクイドリが立っていた。
「ひっ!」
椅子を蹴倒しながら立ち上がる。イダテンコが跳ね起きた。
「えっ、ヒクイドリ? どうしてここに?」
「本当にいい匂い」
イダテンコの声を無視し、私に近づいてくるヒクイドリ。その目は少しも笑ってない。今度は誘惑されることもなく、ただただ怖いだけ。
「ねえ」
突然ヒクイドリの手が私の首に食い込んだ。悲鳴を上げることもできず、声を詰まらせて恐怖の目を向ける。
「ちょっと何を……!」
イダテンコがテーブル上の槍を掴み上げ、そのまま威嚇の姿勢を見せようとした。だが、その穂先は鷲掴みにされてしまう。彼女はどうにか動かそうとしているようだったが、ヒクイドリの手は全くビクともしない。
「召喚され師を辞めるときは教えてね」
「な、なんで……?」
「デザートは最後に取っておくものだって、創造神様が言ってたの」
そう言ってからヒクイドリは両手の力を抜いた。私は床に倒れ伏し、イダテンコは勢い余ってテーブルの上から転げ落ちる。椅子が派手に散らばった。
「いったぁい! このっ……!」
「ではご機嫌よう。愛しい愛しい私のデザートさん」
ヒクイドリは壁に向かって歩き出す。その背へ向け、イダテンコが槍を構えた。
まさか。私は思いとどまるよう忠告しようとしたが……間に合うわけもない。
「《超重雷走》ッ!」
掻き消える姿。
次の瞬間、私の横にあったテーブルが弾け飛んだ。
慌てて視線を向けると、そこには両腕を捥ぎ取られたイダテンコの姿が。何が起こったのか分からない、という表情で目を瞬かせている。
咳き込む音。赤。鮮やかな赤が空を優雅に流れていた。
「これは返すよ」
ヒクイドリが放り投げたと思われる槍がイダテンコのすぐ側に突き刺さる。遅れて奪われた腕が床に落ちた。荒々しい傷口。切断したのではなく、凄まじい力で引っ張った結果千切れたようである。
「テンコ! 大丈夫!?」
「う、うーん、よく分かんない……」
「治すね! 《過剰治癒》!」
すぐさま杖を掴み取り、神経を伸ばす。
イダテンコの胸骨には強く殴られた跡があった。心臓他内臓の幾つかも破裂している。腕を取られた後、殴り飛ばされたようだ。それでこうして吹っ飛ばされたという訳だ。骨と内臓をすぐさま治療し、次の作業に取り掛かる。
幸い奪われた腕がすぐ近くにあったので、引き寄せて接着を行う。やはり無理やり引っ張られたことにより引き裂かれたようだった。大丈夫だ、簡単に治せる。
関節部分をはめ込み、筋肉を繋ぎ、血管と神経を接合する。血液を補充し、最後に皮膚で覆って完成だ。
両腕同時にやってのけた。凄いぞ私。一箇所一箇所集中しなければならなかった前より、遥かに進歩してる。これが召喚され師の私だ。出来る私なんだ。
興奮が収まり、周囲の視界がはっきりしてくる。
そうだ、ヒクイドリはどうなった。何故か何もない壁に向かっていたが。
振り向くと、彼女はもう居なかった。あるのは金属壁に開いた大穴だけ。
天井で赤いランプが激しく点滅し、木材をすり合わせたような耳障りな音が鳴っていた。




