章始め:火喰いの鳥
《区画収容》モルトヴァはイゴン級、召喚回数千八百回の召喚され師である。
真新しい白衣に黒縁眼鏡。明るい緑色の短髪、そして気難しげに寄せられた眉。細身のその男は、少なくとも素直そうな性格には見えない。
モルトヴァは金属製の回転椅子に腰掛けた。そして、相対するスキンヘッドの大柄な黒スーツ男に告げる。
「エージェント・セラフ。モニタ使用を許可する」
壁際に設置された六つのモニターが点灯した。現在彼らが居るウツロ世界の地図が表示され、一つの赤い光点と二つの緑色の光点、そして大きな紫色の光点が二つ点滅する。セラフは左手で指し示しながら説明を始める。
「ターゲットAは変化なし。ターゲットBは依然徒歩で移動中。三十分後にターゲットAと接触します。エージェント・ガラ、及びエージェント・ナオがターゲットBの監視を続けています」
「ターゲットBに特段の変化はないな」
「ありません。道中で接触してきた人間、及び動物や魔物を殺害し続けています」
録画された映像が六つのモニターに映し出された。
その全ての映像に映る女が居る。
鮮やかな青の長髪が煙のようにたなびいている。衣服は茶色のファー付きコートに群青色の短いプリーツスカート。黒いストッキングと膝まで届く焦げ茶のロングブーツが確認できる。頭には鳥類の頭骨らしき装飾が揺れ、胸元には赤い宝石の首飾りが煌めいていた。
彼女に、関所を守る番人が話しかける。山道で屈強な賊軍が襲いかかる。銀の鎧で身を固めた兵たちが静止を要求する。四方八方から刃を振り下ろす小鬼と豚鬼。拳を振り下ろす鋼鉄の機魔人。ブレスを吐こうと火炎袋を膨らませる緑鱗竜。
女はどの状況であっても、相対する者たちの表面を軽く撫でた。その瞬間、撫でられた者たちは大地に倒れ伏す。人間も魔物も同様に。
誰も耐えられない。誰も逃げられない。彼女に一度でも牙を向ければ、その魂は完全に喰らい尽くされる。
「決して手は出さず、現状を維持せよ。ターゲットAとの干渉を記録する」
「了解」
セラフは自動ドアの向こうへと消えていった。
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二十七分三十八秒後。セラフが再び部屋を訪れる。
鈍色の曇天の下、両ターゲットは邂逅しようとしていた。超遠方、全方位に配置された監視部隊によって、その光景は六つのモニタそれぞれに表示される。
ターゲットA、二つの紫色の光点の正体は、二体のカオスへクスだった。
一体は巨人。
身長は凡そ六十メートル。如何にも頑強そうな太い四肢と分厚い胸板を持ち、体表を無数の腕が覆っている。頭部には巨大な眼球が一つだけはめ込まれており、瞳孔部分にはカオスへクスのコアたる黒光りする頭部が蠢いていた。その眼球は忙しなく回転し、近づく敵を凝視している。
もう一体は鳥。
体長約五メートルで、巨人の肩に留まっている。六股に別れ全方位に伸びる異様な嘴、デコボコのまだら模様の羽根を備える奇怪な姿だ。右目にはカオスへクスコアが輝き、左目には二人の人間の頭部が混ざり合った物体が覗いている。カオスへクスが足蹴にしている城を治めていた国王とその妻であることは明白だ。
女は真っ直ぐ彼らへ向かって歩いていく。恐れは見えない。躊躇いも見せない。
先に動いたのは鳥型の方だった。声を張り上げ、翼を開き、音速の百五十倍の速度で高空へと飛び立つ。曇天が破れ、陽が差し込んだ。
「エージェント・ナオの生命反応が消失しました。距離四キロ」
「ターゲットA-2の声に情報毒が含まれていることは既知の情報だ。近づき過ぎたな、あの馬鹿め」
モルトヴァは誰に言うともなく呟く。
鳥型は雲を引き裂き、尾を引きながら歪な羽根を撒き散らした。それらは矢のような速度で大地に降り注ぎ、女の周りに突き刺さる。
無論、ただの羽根ではない。それらは即座に変形し、ウツロで生成される中では非常に高レベルの存在である三首犬の亜種を象る。
群体生成型カオスへクス特有の能力だ。ウツロの生物の形を写し取り、自らの下僕として生成する。その分身の能力は、オリジナルと全く変わらない。
女は完全に取り囲まれた。その状態で、彼女は何か呟いている。
「声は送らなくていい。どうせいつものだ」
モニタを操作しようとしたセラフを制止し、モルトヴァは曲げた指を顎に当てる。そして、彼女の普段言う台詞を小さく呟いた。
「ありがとう。とてもおいしそう」
女が動いた。秒間一万二千コマの通信用カメラでは残像も捉えられない速度。彼女を取り囲んでいた三首犬は動く間もなく息絶えた。死体は元の羽根へと戻った。
だが、魔物は続々と投入される。三首犬だけではない。
生まれながらにして無敵のエンチャントを持つ龍族の王、龍皇帝。
あらゆる攻撃を敵対者へ弾き返す因果応報の大蛇、天衝鱗。
大きな頭と無数の命、決して絶えない無尽蔵の魔力を持つ合成獣、巨頭王。
一体一体がウツロ世界のバランスを根底から覆しかねない存在。
その全てが瞬く間に息絶え、歪な羽根へと戻されていく。
一方的な虐殺が三十秒ほど続いた。それまで棒立ちだった巨人型がいよいよ動き始める。
巨大な拳が大きく、大きく振り上げられる。筋肉が膨れ上がった。電流が弾けて雲を引き裂いた。巨人の右腕が眩く赤熱する。
瞬間──光速の二パーセントの速度で巨人の拳が炸裂した。大地が溶解し、地下構造ごとめくれ上がる。平地いっぱいにクレーターが出来上がり、分厚い土煙が天を破る。猛烈な地震が周囲を襲った。モニタ内の映像も振動する。
三秒後。土煙の中を飛び上がる青い影が映った。彼女の狙いが高空の鳥型カオスへクスであることは明白である。
女はまず、鳥型の右翼を奪った。魔物への変化を始めていた羽根は、掠めた彼女の一撫でで散り落ちる。次に左翼。速度で大きく劣っている鳥型には全く抵抗手段がない。悪あがきに生命を奪い去る叫び声を断続的にあげるが、女の命を奪うには至らなかった。
女は鳥型の頭部に立つ。鳥型は回転して振り落とそうとするも、棒立ちの女は微動だにしない。そして、そのまま右足を高く高く振り上げる。焦げ茶色のロングブーツがはっきりと見えた。
振り下ろされる踵。粉砕される鳥型の頭部。融合した国王夫妻の頭部は、断末魔の表情を見せながら画面外に消えていった。カオスへクスコアが宙を舞う。
女は再び飛ぶ。容赦なく閃く鋭角の蹴り。カオスへクスコアは簡単に粉砕された。彼女の目は次の獲物を狙う。
巨人が空を仰ぐ。体表の腕全てが空へ手の平を向ける。そして、それぞれの腕に光が集まり始める。このウツロ世界における最大の呪文、通称《光陰之矢》。山を吹き飛ばし、太陽をも射抜くとされる必殺の閃光の矢。それをありったけ撃ち出すつもりでいる。
巨人の体表が爆裂した。無数の《光陰之矢》が天空を細切れに引き裂く。
無論、こんなもので止められるはずもない。女は高密度の矢の中を容易く切り抜け、体を捻りながら鋭い蹴りを放った。それはカウンター気味に放たれた巨人の左拳を滑り、肩口を貫く。衝撃で巨人の筋肉組織が裂け、左腕が外れて落ちて行く。
脇を擦り抜けた女は、空中で直角に二度曲がり、巨人の背へ蹴りを放った。それはほぼ一瞬で七度叩き込まれ、背筋と背骨を回復不能なまでに破壊する。
溢れ出る組織。宙を舞う幾つもの腕。砕けた骨の破片が飛び散る。その中を女は迷いなく飛ぶ。背骨を失い、折れ曲がって落ちてくる巨人の首筋へ向かって。
女の姿は一筋の光となる。
光速の蹴りが巨人の首を穿った。跳ね飛ぶ頭。女はその隙を逃さない。追撃の多段蹴りが肉を削ぎ落とす。頭骨を粉砕する。そして、止めの蹴りがカオスへクスコアを捉える。粉々に砕け散る黒い頭。
巨人の拳が大地を穿った時の揺れが今頃到達した。地下八千メートルにある箱型施設が揺れる。
モルトヴァは時間を確認する。四十八秒。
女は一分にも満たない時間で二体のカオスへクスを完全に撃破した。
「前回の記録は」
「一体のカオスへクスに対し、四十九秒でした」
「ふむ。二体同時に相手をして記録更新か。底の見えない女だ」
女は誰もいなくなったクレーターの底へ降り立つ。戦いの余波で分厚い雲は完全に吹き飛ばされ、昼の暖かな日光が彼女の姿を照らした。
「十分だ。次の調査に向かう。ウツロから召喚され師になった女だ」
解体されていく箱型施設。セラフの姿が消えていく。モニターも形を失い、空中に溶けてゆく。
女はカメラを通し、モルトヴァたちをはっきり見ていた。伏せがちの冷たい瞳。つまらなさそうな目つきだった。
彼女の名は『ヒクイドリ』。世界に七人存在するスオウの一人。




