出来る事をやるということ
「今回はリエル=トルフが正しかったな。魔王め、城を地下ごとまとめて吹っ飛ばしやがった。くそったれめ」
すぐ側でムソウマルが愚痴っている。
遠くで立ち上る巨大な雲。まるでキノコのような形状のそれは不気味な赤光を放っている。電光が走り、ゴロゴロと音を立てた。呆気にとられた私はその光景から目をそらせない。
「も、申し訳ないっ……まさかこんな仕掛けまであったとは……! 全く気がつかなかった!」
慌てた口調の継矢が私たちの背後で謝罪している。だが、これを彼の落ち度として扱っていいものだろうか。
天暁ほどの天才ならば、弟の技量だってかなり正確に見積もれていたはずだ。継矢が決して解けない難易度の罠を置くことも容易だったであろう。だが、彼は敢えて弟が突破できる程度の罠を大量に仕掛けた。
そして、最後の最後。娘との再会で気が緩んだ時を狙い、弟が絶対発見できない特大の罠を忍ばせる。ズル賢い天暁ならば、それくらいの嫌がらせを仕掛けていたとしても、何らおかしくはない。
「あ……ゆ、雪? 雪はどこに!」
継矢がにわかに冷静さを失う。私も辺りを見回してみるが、確かにあの少女の気配はなかった。それどころかイダテンコの姿も見えない。
まさか。私は視線を爆発の方へと向ける。
「テンコ!」
思わず彼女の名が口をついて出た。まさか、あの爆発の中に……!
「やっほ!」
彼女の声と草地を蹴り飛ばす音がすぐ右側で聞こえた。よかった、無事だったのか。私は彼女の姿を一瞥し──。
「テンコッ!?」
悲鳴に近い声を発した。
雪の矮躯を抱えるイダテンコの右腕は、酷い火傷を負っていたのである。二の腕はまだらに赤く変色し、その先はほぼ真っ黒く焦げていた。袖部分も焼けて細い肩がむき出しになっている。
「大丈夫!? すぐ治療を……」
「私じゃなくて、雪ちゃんの方を見てあげてよ」
そう言ってイダテンコは抱えていた雪を大地に下ろす。ただでさえボロボロだった彼女の体は、呪術札が剥がれ落ち、今や目を覆いたくなる惨状だった。
まず、イダテンコ以上に酷い火傷を負っている。服は破れ落ち、ひび割れのような赤い傷がいくつも裸身を走っている。
そして、最も重い傷として……彼女の下半身は全く無くなっていた。
「あいつ、この子の腹の中にも爆弾仕込んでたみたい。上半身が爆風に飲まれないようにするのが精一杯だったよ。ごめん」
「ゆ、雪ぃっ!」
継矢が駆け寄り抱きしめる。雪はか細い声を発しているが、最早言葉になっていない。当然だ。こんな重い傷を負ってまともに喋れるものか。
今すぐ治療しなければならない。今すぐ。もう私の目には赤黒く開いた傷口しか映っていない。
だが……それと同時に、私は柄にもなく怖気付く。これほどの欠損部位を補う術など私は知らないからだ。治癒魔法は万能という訳ではない。
「どいてください! 早く治療しないと!」
意を決して継矢を押し退け、雪の傷口に魔法杖を向ける。
私は早速治癒の呪文を唱えようとして──やはり、内容が全く出てこないことに気がついた。全然理由が分からない。なぜ、毎日毎日忘れることなく唱え、一字一句、抑揚まで正確に暗記した呪文が一文字たりとも出てこないのか。理解不能だ。
じゃあ、何のために私はここに居るんだろう。
「リエル……?」
イダテンコの心配そうな声で我に返った。雪の前でしばらく黙っていたらしい。ドッと冷や汗が溢れ出し、寒気が全身を襲う。
目の前の雪の容体は、もう死神の息がかかっている。流れ出した血が多すぎた。ひどく痙攣し、顔色も死人そのものだ。
「無理、でしょうか」
継矢の涙声が私のプライドに刃を入れる。手から力が抜け、魔法杖が滑り落ちた。しゃん、という音が小さく、しかしはっきりと響く。
「ごっ、ごめん、なさい。私には、もう、手の施しようが」
自分の立場を守るための、自分の信用を失わないための、嘘。そんなもの最初から無いのに。バカな私。
その時、私の肩を叩く者があった。振り向くと、ムソウマルの顔。
「リエル=トルフ。お前のスキルは治癒のそれだろ。使えば治せるんじゃないか」
「で、でも……どう使えば」
スキルの使い方なんて全然分からない。どう使えばいいの? 間違った使い方をしたら、恥をかくのは私なんだぞ。
だから、スキルを使う努力はしなくていい。
「なんかこう、オーバーヒール! って叫べばいいんじゃない!?」
「え、ええ……」
イダテンコの提案はちょっと直接的過ぎるように感じた。だいたい、スキルの名を言わなくとも二人はスキルを使えている。スキル名を呼ぶことに呪文的意味があるようには思えない。もっと、使うのにも意識的なものが必要な感じがする。
だから、そんなことを試す必要なんてない。
「……いいんです」
継矢の声だった。私たちは彼のことを見る。その表情は悲しみに満ちているが、薄っすらと笑みを浮かべているのが見て取れた。
「これは最後の罠に気付けなかった私が悪い」
そう言って改めて雪の体を抱きしめる。
そうだ。彼が踏み込み、罠を作動させたのだ。むしろ彼の窮地を救った召喚され師たちに感謝してほしいくらいだ。
だから、私は悪くない。スキルを使う必要はない……本当に?
「娘は……雪は、生まれた時から体を患っていました。昔は兄と一緒に、どうにか彼女を治そうと、術を研究して……でも、治らなくて、日々確実に死へと向かっていて……」
継矢の頰を涙が零れ落ちた。嗚咽が言葉を区切る。
そんなに重い病を患っているというのなら、今治ったとしても長くはない。
だから、今治しても無駄だ。どうせ死ぬんだから。
どうせ死ぬ。どうせ、どうせ──。
嘘だ。
私は私に嘘をついている。
役立たずのままでいようとしている。
頼られない。背負うものがない。空気のような存在でいたい。
その方が楽だから。
期待されて、失望されることがないから。
もうあんな、責めるような目で見られないから。
他人を癒すのは最低限の自尊心を満たすため。
だからいつも必死で治癒魔法を使いたがった。
それが無くなった先の、本当の無能だけは絶対に嫌だったから。
私は最初から『お医者様』ですらなかったんだ。
上にも下にも振り切れない、『他人から何も期待されない人』という楽な場所にいたかったんだ。
「兄が魔王となってからは、もうずっと無理やり生かされているようなもので……いつ死んでもおかしくなかったはず」
継矢はまだ嘘をついている。私たちを傷つけないように。自分を納得させるために。娘の命を諦めるために。
だけど、彼は一番大事なものを見落としている。
「悲しいですが、娘はもう生きるべきではなかった」
雪は死にたくないと思っている。その虚ろな眼窩は私をずっと見ている。
『生きたい』という思いを湛えて。
今救えるのは私だけ。
それは身に余る場所じゃない。不満を覚える場所でもない。
ここだけが私の居場所だ。
もう呪文なんていらない。杖を拾う。
「継矢さん、私が何とかします」
自分自身驚くほど冷静な声が出た。彼の泣きはらした目が私を見る。ほら見ろ、嘘ばっかり。『娘が助かって欲しい』という思いがなければ、これほど切実な、助けを求めるような視線を私に送ったりはしないはずだ。
「……大丈夫なんですか」
彼の声には疑いの念が篭っていた。
今までどうして気がつかなかったんだろう。彼はずっと私の実力を疑っていたんだ。最初から失う信用なんて、私には全く無かった。
「任せて」
継矢はぽろぽろと涙を流し、地面に雪の体を横たわらせた。
彼女の呼吸は弱い。もう死んだと言っても過言ではない。ここから息を吹き返す術など私の知識には一切無かった。そんなことが出来たら、それこそ奇跡だ。
だから今、出来る限りを精一杯やる。
魔法杖を拾い上げ、雪の体へと向けた。
《魔道を学ぶものはまず、世界に満ち満ちる言葉へ耳を傾けなければならない》
今更魔道書の一節が私の頭を過ぎった。言わんとしていることはつまり、『思いついたことには必ず理由がある』ということ。何の前触れもなく思いつくことなどこの世にはない。
故に、ずっと脳裏で瞬いている文字列は。役立たずでいるために今まで見ないふりをしていた、それこそが。
私の出来る事なんだ。
構えろ、杖を。唱えろ、その名を。
「《過剰治癒》」
一瞬、魔法杖に神経が通ったような感覚を覚えた。治癒呪文のような緑光は発生しない。ただ、見えない神経だけが雪の肉体へと伸びていく。
空気の感触が分かる。気持ちの悪いものではない。むしろ、夜の冷たい月光が心地よかった。
伸びた神経が雪の肉体を通る。直後、強烈な痛みが私へと流れ込んできた。今の私にとっては大した痛みではないが、少女には堪え難いはずだ。これほどの痛みを味わっていたのか。自然と涙が零れ落ちた。
失った部分を補う。焼けた組織を作り直す。うまく動かない部分があれば、動くように作る。骨肉も血液も筋繊維も、その全てが信じられないほど仔細に分かる。驚くほど完璧な手際。美し過ぎて見惚れそうだ。
治癒とはこうでなくてはならない!
気持ちいい──おや? これは私の感覚ではなく、雪側で感じているものだ。当然見えない神経を通じて私にも流れ込んできている。治癒行動による自身の精神高揚も合わさって、今私は常識的なそれを遥かに超える快楽を感じていた。
「ぶはあぁっ! はーっ、はーっ!」
荒く息を吐く。気持ち良すぎて完全に呼吸を忘れていた。肩で息をする。
……何だこれ。
治療することで感覚が共有され、快楽が得られるなんて。私が得たのはこんな変なスキルなのか。治癒魔法の使用機会が来ると周りが見えなくなる人間が言えた義理ではないが、ちょっと理解しがたい。
「雪? 雪!」
継矢が娘の名を呼ぶ。そうだ、雪の容体は。私は改めて彼女の姿を見直す。そして、驚愕のあまり声も出なくなった。
当然だが、《過剰治癒》によってその体には傷一つない。それどころか、元々失われていた爪や眼球までが備わっている。死人のような色合いだった肌も、人間らしい赤みを取り戻していた。
なるほど。オーバーなくらいの回復力だ。
病に爛れた少女はもういない。その容姿は完全に健康体の人間だった。
「お父さん!」
明瞭な声。初めて聞く、雪本来の声だった。継矢は言葉にならない声をあげながら娘のことを抱きしめる。
ひっしと抱き合う二人の泣き笑いだけが辺りを満たした。




