入浴、そして襲撃
すっかり日も暮れ闇の帳が降りた村内。流れる小川を渡り、少しだけ山道を登る。すると、そこには確かに湯気立ち上る場所があった。
「へえ、これが温泉」
私はちょっと驚いた。それと同時に少々落胆する。
なにせ、何の道具も収納もなく、ただ石ころで湯を堰き止めただけの場所だったのだ。小村の風呂ということであまり期待はしていなかったが、これは予想を遥かに超えた素朴さである。
だが、他の二人は大して気にもしてないようであった。
「イダテンコ一番乗り!」
言うが早いか槍と服と髪飾りを放り投げ、稲妻の速度で温泉に突っ込む。派手な水柱が立ち上がり、流れ出した暖かい空気が私の顔に叩きつけられた。
「ひっでえ入り方。湯の神が泣くぞ」
ムソウマルは抱えていたバスタオルを温泉の脇に置き、鎧やら衣服やらを脱いだ。少年の細身ながら、その背中はなかなか筋肉質である。脱いだ物の畳み方置き方は整然としており、普段の年齢相応の性格からはちょっと想像できない几帳面さだ。パーティで一番のベテランというだけはある。
大人の女性である私が負けるわけにはいかない。そんなどうでもいい対抗心を燃やし、脱いだケープとローブを片手で丁寧に畳む。土で汚れないように低い岩の上へ置き、魔法杖を立てかける。月明かりに照らされ、杖の宝石が美しく輝いた。
ふと、左肩に目がいく。
左目が無いのでイマイチ見えにくいが、それでも傷口周辺には火傷跡のような変色が見て取れる。カオスへクスが今際の際に放った熱線に焼き落とされたのだろう。だが、いつどうやって治ったのか。誰が治したのか。そういったことは全く分からない。クローディアスが治せたはずもないし──。
「リエルお姉ちゃーん! 早く入ろー!」
イダテンコの声で我に返る。
魔女としての才能然り、他者との人間関係然り。答えようのない問題に答えを求め続けるのは私の悪い癖だ。意識的に切り替えなくては。
「ちょっと待ってねー……」
右手で股間を隠し、温泉の湯にそっと足を漬ける。熱いことは熱いが、我慢できないという程でも無い。丁度いいくらいだ。髪の毛が視界を塞ぐので、思いっきり後頭部へと流す。
「はああー」
悪くない。温泉の香りはちょっとくどいが、全身に染み渡る熱が心地よい。景色だってそうだ。青黒い闇に飲まれた木々の上、煌々と輝く満月はとても美しい。流れる薄い雲が月明かりに照らされ、自然の紋様を浮き上がらせている。
何と言うべきやら。大自然が描く芸術といったところか。
「湯加減どーお、リエルお姉ちゃん」
イダテンコが平泳ぎで寄ってきた。湯に濡れた長髪が艶っぽく輝き、対照的に白くほっそりとした体が眩しい。
「ええ、気持ちいいですよ」
「あはは、よかった」
満面の笑みで私の横へ陣取る。ムソウマルは見た目よりある程度老成した部分があったが、彼女は今のところそういった面が一切ない。見た目の年齢相応の少女といった感じのままだ。
……こんな純真無垢な少女がどうして召喚され師になったのだろうか。クローディアスは何も説明してくれなかったが、彼女は答えてくれるだろうか?
「ねえイダテンコ」
「ん?」
「あなたはどうして召喚され師になったの?」
一瞬きょとんとした表情を見せるイダテンコ。そして、彼女は迷うような、困ったような……なんとも言い難いが、決してプラスの感情を抱いてはいない、そんな複雑な表情を見せた。
「えへへ、あ、あんまり思い出したりしないんだよね、そういうこと」
「ごっ、ごめんなさい。聞いちゃいけないことでなんですね、これ」
「そりゃそうだ」
湯をかき分けてムソウマルが近づく。その顔は真剣だ。
「誰も自分の死因なんて話したくないだろ」
「へ?」
しいん? 死因ってこと? 何故今そんな話が?
「召喚され師は皆ウツツ世界で一度死んだんだ。創造神に魂を拾われ、二度目の生を得たんだ」
「……死んだ、って」
私は思わずたじろいだ。召喚され師になった経緯を聞くだけで、まさかこんな重い話になってしまうとは。あまりにも予想外である。
「例えば、俺は川で溺れて死んだ」
ざばりと湯を持ち上げ、ムソウマルは素っ気なく言う。彼の手から流れ落ちる水滴がやけに眩しく輝いて見えた。
「友達と一緒にボロい橋でふざけててな。欄干をへし折ってドボン、だ。アホだよなあ」
「……あ」
もしかして彼が温泉を嫌がったのは、その死因に関係しているのだろうか。死んだ原因に近づきたがらないというのは自然な事のように思える。
「ごめんなさい、こんな事聞いてしまって」
「気にすんな。その代わり、もうこんなこと他の召喚され師には聞くなよ」
ムソウマルは口角を上げて見せ、そそくさと離れていった。イダテンコも立ち直ったのか、いつも通りの無邪気な笑みで湯を堪能している。
実は──私もあの時死んでしまったのだろうか。
煌々と照る満月を見上げても、答えはない。
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同刻。
継矢は手持ちの連絡用呪術札を起動した。
「聞こえるか、兄さん」
「当然だろ、弟よ」
食い気味の返答が札から聞こえる。男性の、軽い雰囲気の声だ。継矢は金髪を改めて撫で付け、焦る心を落ち着けながら言葉を継ぐ。
「召喚されし者は三人。刀使いの男と槍使いの女、それとおそらく呪術使いらしき女だ」
「女は二人か。俺の気に入りそうな奴は居たか?」
「断然呪術使いだ。実力は大したことなさそうだし、背が高い上に巨乳なんて大好物だろ」
「むっ! ははは、そりゃいいねえ、でかしたぞ!」
声が一層嬉しそうな感情を帯びる。今なら行けるだろうか──継矢は少し希望を見出し、意を決して兄に要望を出すことにした。
「兄さん。彼女を捕らえたら、雪に会わせてくれるかい」
「んあ? 誰だそいつは」
継矢のこめかみに青筋が立った。だが、溜まった怒りを溜息と共に吐き出し、どうにか気分を落ち着ける。
通話先の彼は惚けてる訳ではない。本気で忘れているのである。血族を除き、他人の顔も名前も全く覚えられない。何度教えても忘れる。そんな人間なのだ。それを継矢は理解している。
「僕の娘のことだよ。今は地下牢で世話になってるだろう」
「おお! 確かにそんな名前だったような気がするな。まあ心配するな。お前が裏切らない内は生きてるよ」
継矢の要望には全く答えていない返答であった。やはり駄目かと継矢は落胆し、苛立たしげに金髪を掻き毟る。
「彼らは温泉にいる。きっと丸腰だ。それでも手強いだろうが、忍を送り込むなら今がチャンスだからね」
「情報ありがとう弟よ。愛しているぞ」
白々しい言葉を残し、通話は途切れた。継矢は呪術札を火にくべ、天井を仰ぐ。
「雪。父さんはいつになったらお前を助けられるんだろうな」
尾根矢に囚われている娘の顔を思い出しながら、継矢は諦めたように溜め息をついた。
実の兄、天暁。あらゆる呪術に精通し、師匠すら呪い殺した稀代の天才。今や幾つもの国を手中に収め、持てる才能全てを民の蹂躙に使う魔王。
誰も彼には敵わないだろう。それが、異界から来た超常的存在だとしても。
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最初に異変に気がついたのは、多分ムソウマルだったように思う。何か高速で近づいてきた人型の黒い影を掴み上げ、投げ飛ばした。刃物らしき物を持っていた人影もいたが、それらも平然と投げ飛ばして木に叩きつける。
イダテンコはというと、絡みついてきた影に拳を叩き込んでいた。影は彼女よりかなり大きかったはずだが、小柄な少女が繰り出した拳は影の頭部あたりを粉砕。黒っぽい塊を飛び散らせた。
温泉において、私の視認した光景はこれで全てである。
その時、私自身はというと、何者かに背中から抱きつかれていた。腹に何かゴツゴツとしたものが巻きつき、後ろへと強く引っ張られる。そして、何らかの抵抗を行う前に、私の視界は闇に飲まれてしまったのだった。
その後、私の意識は一切途切れることのないまま、眩い光をはっきりと認識した。急な環境の変化についていけずに目をぎゅっと閉じる。
「ようこそ召喚されし者よ、我が居城へ」
聞き覚えのない若い男の声だ。光に痛む目をそっと開けた。
私が座り込む床より一段高い場所に居るそれは、ニンマリと笑い、先ほどの若い男の声で喋る。
「我が名は天暁。尾根矢の王である」




