一目みし 君もや来ると
一目みし 君もや来ると 桜花
けふは待ち見て 散らば散らなむ
桜の誘惑に、日本人が勝てない季節が始まりました。
そんな桜の花を、一目だけ見て帰って行った女性。彼女に対して「桜の花よ」と男性が呼び掛けるのが、この歌です。
前半は『一目みた貴女が、また来るかもしれないと、ああ桜の花よ』という感じ。女性が「桜をひと目見た」という部分と、作者が「女性をひと目みた」という二重の意味を持たせています。
切ない情景を「片思い」と「散る桜」で見事に連想させる滑り出し。流石、技巧的と賞される、紀貫之の作品です。
後半の訳は『今日一日だけ待ってみて、それで来なかったら、散りたければ散ってしまって』と、あくまで桜に呼びかけます。失恋覚悟で訴える、鮮やかな手腕。それでいて「今日中にお返事下さい」という狡さもあります。上手い。
少し裏を返せば『今日返事が来なければ、この気持ち、散る桜のように、消えるものなら消えて欲しい』なんて熱烈な部分も見えてきます。
ひと目みし、という出だしからして「一目惚れ」という雰囲気がありますよね。
散る桜の向こうに、貴女を見かけたんだ。
散り急がないでおくれ、今日一日だけでいい。あの人が、また来てくれるかもしれないから。
こんな文を、お目当ての「あの人」に贈ってしまう大胆さ。陥落しない女性が、果たしてどれだけいるのでしょう…………?
貫之、堅物かと思いきや、案外ナンパな人だった?
―――――――――――――――深読み篇
古今和歌集 巻第二 春の歌 下
親しい人の、訪ねて来て帰った後で、
歌を詠んで、花の枝に挿して届ける 貫之
一目みし 君もや来ると 桜花
けふは待ち見て 散らば散らなむ
前書きを見るに、一目惚れ説は早くも崩壊です。
親しい女性や桜をチラ見で終わらせるなんて、そんな不自然ありません。という訳で、深読みしてみましょう。
この女性は親しい仲なので「桜を一度見ている」という前提があります。
つまり前半は『一度見た貴女は(また)来るだろうか、花見に』という、随分色気のない感じになりました。『今日は来るかと待ってみたら(貴女は来たので)散るなら散ってしまってもいい』そんな歌。トキメけない!
春の歌ジャンルです。
確かに、トキメキ要素は必要ないけれど…………深読みすると味気ないって、拍子抜け。
しかし変ですね。
わざわざ見た筈の「花の枝」に、こんな確認の文を付けるなんて。
怪しい。
出だしから怪しい、という事で、変換を変えてみましょう。
一目を「人女」に。あらら人妻になってしまった。次の部分は「見た」。家政婦は見た、ではないですよ。当時の人妻なんて、簡単に人前には出てきません。
しかも親しい「人妻」って、不倫か!?
平安時代、そういうのは普通にあったようです。倫理観、今と違うの、残念ながら。
つまり前書きは『親しい(意味深)の女性が、訪ねて来て帰った後で、歌を詠んで、花の枝に挿して届けた』と。押さえたいのは、花がまだ咲いている、という事です。やっと「花」が裏の意味を発揮しますよ。
では人妻相手に、なんと歌を詠んだのか。
前半は『他人の女と知りながら、目を合わせてしまった(関係を持ってしまった)。そんな貴女が、花見に来てくれるかもしれないと、桜の花は(散り急ぐ男は)』という、初句と三句切れを主とする、時代の流れに沿った七五調になります。
桜の花、つまりは「男心」の暗示です。
後半出だし、今日は「京都」で「都」です。それだけでなく「もっとも栄えたところ」「感極まる」なんて捉えても良いかもしれません。だって当時、中々身動きの取れない女性の方が、わざわざ来てくれたのです。
続いて、待ち見て、のところ。
感動が込められています。待つという古語は、ただ待っているのはなくて「期待して時を過ごす」という意味があり、見るには「男女の関係」という意味もある。
そこからの「散らば散らなむ」。
花が散るんですね。
ざっと訳すと『感極まり、逢瀬を期待して過ごした甲斐がありました。これで私も(性的に)果てるに果てることが出来ましょう』
成程です。
したたってるぜ、というのが愛情表現の当時。
会えるまで「待て」をしていたから、今日は散っても良いですよね、というお手紙でした。それをやがては散るであろう、「花の枝」に結んで送る。想像してね、的な?
なんとディープな歌な。
貫之ナンパ説、あると思います。




