雪降れば 冬ごもりせる
雪降れば 冬ごもりせる 草も木も
春に知られぬ 花ぞ咲きける
雪が降るという、情景描写。動物のように「冬ごもりしている草や木」と表現する技巧的な歌です。貫之の作品と言えば、この淡泊さにも納得でしょう。春には知ることのできない花が咲いたよ、と締めくくるのは強気にすら思えます。
想像力が足りないと、どんな花が咲いたんだ?
という事になってしまいますから。咲いたのは白い花。降って積もった雪の色です。
当時も、歌への理解が足りないような、野暮ったい人が居たのでしょう。この歌の七首後に、貫之はこんな歌を載せています。
雪が木に降りかかるのを詠む
冬ごもり 思ひかけぬを 木のまより
花と見るまで 雪ぞ降りける
まるで対です。または解釈用の歌とも取れそう。意味は「冬ごもりの季節は、花を思い出しもしないのに、木の間に花が散っているように雪が降っているのだ」となります。更に面白いのは、この四首後にまたもや貫之。
梅の香の 降りおける雪に まがひせば
誰かことごと わきて折らまし
梅の香りが、降り積もった雪に混ざったら。一首目を踏襲するように情景描写から始まります。続きは「誰が雪と花を区別して、枝を折るのだろか(区別できない)」というとこと。珍しく字余り。雪の白が花に見えるという概念を、広めようとしている、ようにも思えます。
そして面白い事に、次の短歌は友則です。
貫之の従兄弟で、なかなか出世が出来なかったばかりか、古今集完成前に没してしまう幸薄き人。彼は歌で官職を得るほど、才能ある人でもありました。貫之が雪は花、それも梅の花だという概念をつくったこの流れを締めくくる大役を任されたのです。
雪降れば 木毎に花ぞ 咲きにける
いづれを梅と わきて折らまし
雪が降ると、木という木には花が咲く。やはり情景描写から始まります。続きは「どれを梅の花と区別して折るのだろう(区別できない)」と、どっかで見たような感じです。
彼の上手いところは、木毎として「梅」の漢字を連想させるところ。梅ではないけれど、梅のような雪の花。文字の見た目からすら訴えるところに、才能を感じさせます。漢詩で見かける技法ですが、それを和歌にぶっこむところも機転でしょう。
雪の花は梅、という一連の流れを追ってみました。
さて、言葉遊びたくましい平安貴族の皆さまは、どんな深い意味を見出したのでしょうか。
―――――――――――――――深読み篇
古今和歌集 巻第六 冬の歌
冬の歌として 紀 貫之
雪降れば 冬ごもりせる 草も木も
春に知られぬ 花ぞ咲きける
冬とは寒い季節です。そこから「冷めた歌」とも解釈できます。何が冷めたのかと言えば、やはり男女の仲でしょう。草は女性のキーであり、木は男性を暗示します。けれど二人は春を知らない。
どういう事でしょう?
まず始めに雪が降るので、男の欲は有り余っているのです。ギンギンなのは誰かと言えば、詠み手の貫之しか居ません。「男の情念とは、春情が来なくても咲くのだ」というのが、初句と四句、結句です。詠み手の心境ですね。二句の冬ごもりは、心が冷えて閉じていること。春の心を知らない男女は、子ども暗示するのです。
貫之は一体、何を言いたかったのでしょうか?
次の短歌を見てみましょう。
雪が木に降りかかるのを詠む
冬ごもり 思ひかけぬを 木のまより
花と見るまで 雪ぞ降りける
先の一首より、冬ごもりは「子ども」という事が分かりますよね。では、雪が木に降りかかるとは、どんな意味があるのでしょうか。これはとても情景的で、そのまま書くとヒナちゃんに殺られかねない…………!
と言うわけで、生えてるモノは仕方がありません。
歌の解釈に戻ります。「子どもが思いがけない、木の間には」というのが上の句です。『このま』とは枝の間であり、足と足の間になります。そこには『花』があって、白いものが降っている。まさかの性教育の歌なのか!?
雪の中の梅の花を詠む
梅の香の 降りおける雪に まがひせば
誰かことごと わきて折らまし
という流れで貫之の結論です。梅の香りを「男の色気」として裏の表、子ども向けです。そのまま「梅の香り」とすると裏の裏で、大人向け。あえて深読みしないというテクニック。
諭すように「男の色気というものは、振った白いものに混ざってしまい、誰も分けて果てる事などできないよ」と。やっぱり教育的です。
これを見た大人は「梅の香りが(男の)白い雪に混ざったら、誰も(どの女)も夢中で折りに(逝かせに)くるだろう」と、アレが良い匂いだったら良かったね、的な内容です。
そもそも雪も花も、男性を(性的に)意味するキーワード。綺麗どころではありません。
では締めとして、友則様の歌を紐解きます。
古今和歌集 巻第六 冬の歌
雪の降ったのを見て詠む 紀 友則
雪降れば 木毎に花ぞ 咲きにける
いづれを梅と わきて折らまし
雪が降ったのを見て、と言うところから…………お前も覗きかよ、ってツッコめます。紀家の男は、どうして人の秘め事を覗くのか。運がないというか、持っていると言うか。
では解釈を。
上の句は、訳すまでも無いでしょう。男の花がどうなったのかを、言っているわけです。雪というの「イキ」とも掛けます。解説は要りませんね?
下の句は貫之の短歌を踏襲するように、梅を「男」と「梅」として解釈します。主語は、どこにもありませんが、女です。なので「ギンギンの男と梅の花、どちらを分別して(欲しいと思って)女は折るだろう」
となり、その心は「女は区別など出来ない」となるのです。
生臭かろうと、イカ臭かろうと、梅の香りだろうと、女は気にしない。
友則様、女性を敵に回すのが本当にお上手。
木と毎で「梅」と読めるのは、漢詩の嗜みがある男性、それがミソです。女は教養が浅いから「男の区別すらできない」と、男も女も虚しい裏の意味が。彼自身、あまり好色では無かったのでしょう。
色を好んでこそ大人。
それを忌諱する流れも、こうして発生するのです。また、当時の若年層に、どうそれを伝えていくのかを窺い知れる一連でした。
こんな僻地のコラムを見つけてしまった、奇特な読者の皆さま。どうぞ、健やかな新年をお迎え下さいませ。
古今集の春は、とっても春なので……
新年は外して更新しようと思います。




