秋風の 吹きにし日より
秋風の 吹きにし日より 音羽山
みねの梢も 色づきにけり
短歌は「秋風の吹いた日」という、立秋を連想させる詠いだしから始まります。
表訳は『立秋の風が吹いた日から音羽山は、山頂より紅葉しはじめるだろう』とアッサリ爽やかな感じです。
この歌の情景美とは、山から風が吹くところ。そして、葉の色づく『色』を読まないところにあります。
読み手に委ねる事で情報量を増やす、という計算高さがあるのです。
つまるところ『秋の涼しい風がさやさやと葉を揺らせて、音羽山から吹いてきた。今は緑の木々も、山頂からだんだん錦の色になるだろう』と、見えない深さが読み取れます。
さすが貫之。
技巧的と表される詠い手です。
―――――――――――――――深読み篇
古今和歌集 巻第五 秋の歌 下
石山に参詣したとき、音羽山の紅葉を見て詠む
紀貫之
秋風の 吹きにし日より 音羽山
みねの梢も 色づきにけり
秋の風とは、どんな風?
少しひんやりとして、センチメンタル。平安の世では『飽き』の風。風は心の現れなので、詠いだしは『飽きた気分』と、気だるい雰囲気から始まります。
音羽山は名詞です。
この頃の短歌に登場する『固有名』は、いたずらであり、面白く「をかし」い部分でもあるそうな。
要分解の必要があるようです。
音羽山は山の名で、これが清い面。音羽とは、羽の音。羽音と言えば虫。虫は当時の「男性名詞」的なキーなので、山に続くとアウトな空気が漂います。
上の句だけで『飽きた気分になってしまって、男の端が山場です』という、トンでも案件なのですよ。
貫之ーっ!
まあ、落ち着きましょう。後半戦が残っております。
みねの梢とは、裏訳をするのに重要なポイントです。みねは「山の端」で、梢も「枝の端」だから。この短歌、実は三人の登場人物が居るのです。
危険な誤解の無いように、先に種明かしをしますと…………取り込み中の所に、貫之が来てしまった、というシチュエーション。
その部分は「石山に参詣したとき、音羽山の紅葉を見て詠む」という、前書きに表れています。
石山は名詞。石は女性のキーなので『女が山場の時に参上した』と裏読みし、音羽山はケダモノ状態の男。彼の紅葉を見て詠んだ、となるわけですね。悪趣味だ。
ここで結句の「色づきにけり」に戻りましょう。
色とは色欲なのですが、歌の流れから「色尽き」となる方が自然です。
呼ばれて行ったら取り込み中で、貫之はシラケながら最中の男がどんな風だったのかを詠んだ、という…………
そしてこの部分に、自分と問題の男の心情を重ねたのです。
貫之は、他人の山場など見てもシラケる、という飽き。
問題の男は、山場を迎えて色欲も尽き、貫之を呼んだ事を思い出したのでしょう。秋風とは貫之に吹きに、問題の男にとっては、貫之自身が風でもあった。
上手い構成です。
しかし、そこはかとなく黒い貫之の性格が、私は好きになれません。
なんで見た!?
それをネタに歌にした!?
イヤミか、イヤミなのか!!
突っ込むところが多すぎる…………
うふんあはん、と声のする部屋の前で、この歌を詠んだのかもしれません。
『貴殿の端も尽きただろう?(呼び出しといて何なんだ)』
うん、黒い。
だから貫之の罠。




