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魔力を持ちすぎた化け物少女は、空っぽの無能公爵に嫁ぐ 〜触れても壊れないただ一人の旦那様に、なぜか底抜けに溺愛されています〜  作者: 白月つむぎ


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4 あたたかな朝

 小鳥たちのさえずりと窓の隙間から差し込む柔らかな陽光が、まどろみの中にあるメルナの頬を撫でた。

 ゆっくりと、長い睫毛を揺らして目を覚ます。


 視界いっぱいに広がったのは、隙間風の吹き込む森の小屋の煤けた天井ではなく、繊細な彫刻が施された天蓋付きの豪奢なベッドだった。


「……夢じゃ、なかったんだ」


 メルナは、信じられない思いで自身の身体を包み込むものを見つめた。

 背中を預けているのは、まるで雲の上に浮いているかのようにふかふかの分厚いマットレス。

 そしてそっと身を包む寝巻きは、今まで触れたこともないほど滑らかで、真珠のような光沢を放つ最高級のシルクで仕立てられていた。


 少し寝返りを打つだけで、ひんやりと、それでいて肌に吸い付くような極上の布地が身体を滑る。

 昨日までの自分はすきま風を防ぐために硬い藁のベッドに縮こまり、擦り切れた麻布を被って寒さに震えていたというのに。


 あまりの環境の違いにメルナが朱色の瞳を瞬かせながらベッドの上で固まっていると、コンコン、と控えめなノックの音が室内に響いた。


「奥様。おはようございます。お目覚めでしょうか」


 落ち着いた、けれどどこか弾むようなあたたかい声。

 扉が開いて入ってきたのは、金色がかった明るい茶色の髪をきっちりとまとめ上げた、四十代ほどの女性だった。


 アリストン公爵家の本館を取り仕切る侍女長――ジェイミーは、パリッと糊の効いた清潔なエプロンドレスを揺らしながら歩み寄ると、黄色の瞳を細めて花が咲くような優しい笑みを浮かべた。


「よくお眠りになれましたか? お疲れのようでしたので、少し遅めの朝のお目覚めとなりましたが……お加減はいかがですか」


「お、奥様……? あ、あの、私のような者にそんな立派な呼び方は……!」


 メルナは慌ててベッドの上で正座をし、ぶんぶんと首を横に振った。

 しかし、ジェイミーはくすくすと上品に笑い、メルナの側へと歩み寄る。

 そして、ためらうことなくメルナの細い肩にそっとそのあたたかな手を置いた。


「いいえ。貴女様は、我がアリストン家の誇り高きご当主、ハーヴィ様の奥様になられるお方です。それに……」


 ジェイミーの瞳が、慈愛に満ちた光を帯びる。


「こんなにも可愛らしくて、純粋なお嬢様をお迎えすることができて、本館の者たちは皆、心から喜んでおりますのよ」


「え……」


「さあ、お顔を上げてくださいな。本日は王都の貴族院へ赴き、婚姻の正式な手続きを行う大切な日。一番美しく見えるように、私が腕によりをかけてお仕度させていただきますからね」


 ジェイミーの言葉には、世間の人々がメルナに向けるような強大な魔力への恐怖も化け物への蔑みも、微塵も含まれていなかった。

 ただただ娘を慈しむ母親のような、無条件のあたたかさだけがそこにあった。


 今まで父親以外の人間に触れられれば、石を投げられるか、怯えて逃げられるかのどちらかだった。

 それなのに、ジェイミーのあたたかな手のひらはメルナの肩を優しく、愛おしそうに撫でてくれている。

 その事実だけでメルナの朱色の瞳の奥が、じんわりと熱くなった。


「……ありがとうございます、ジェイミーさん」


「さん、なんて不要ですよ。さあさあ、まずは温かいお湯でさっぱりいたしましょう」


 ジェイミーの手際の良いリードで、メルナは魔法のように身支度を整えられていった。

 香りの良い石鹸を使いたっぷりの泡で身体を清められ、淡い青色の長い髪は艶やかに磨き上げられて美しく編み込まれる。


 用意されたのは、派手すぎない落ち着いた紺碧色のドレスだった。

 上質なベルベットの生地がメルナの白い肌を引き立て、華奢な身体にぴったりと寄り添う。

 姿見の前に立たされたメルナは、鏡の中にいるのが自分だとは到底信じられなかった。


「まあ……本当に、ため息が出るほどお美しいわ」


 後ろから髪を整えながら、ジェイミーが我が事のように嬉しそうに呟く。

 照れくささと申し訳なさで身を縮こまらせながら、メルナはジェイミーに手を引かれ一階の広い食堂へと案内された。


 ◇


 磨き上げられた大理石の床に、長く立派なオーク材のダイニングテーブル。

 そこにはすでに、今日の外出のためにかっちりとした漆黒の礼服に身を包んだハーヴィが腰掛けていた。


 一つにまとめられた黒髪が朝の光を吸い込み、わずかに青みを含んだ明るい灰色の瞳が入り口に現れたメルナを捉えて、はっと見開かれた。


「おはよう、メルナ。とても、綺麗だ。その色のドレス、君の淡い青色の髪によく似合っている」


「お、おはようございます……っ。あ、ありがとうございます……」


 ハーヴィからの直球の褒め言葉に、メルナは顔から火が出そうになりながら、ぎこちない足取りで彼と向かい合う席へと座った。

 すぐにメイドたちによって朝食が運ばれてくる。

 メルナの目の前に置かれた銀の皿を見て、思わず目を丸くした。


「これは……」


「本館の料理長が腕によりをかけた、うちの自慢の朝食だ。口に合うといいのだけれど」


 皿の上に乗っていたのは、こんがりと黄金色に焼かれた厚切りのパンに、カリッと香ばしく焼かれたベーコンと、シャキシャキとした色鮮やかな野菜がたっぷりと挟まれた具沢山のサンドイッチだった。

 隣には、湯気を立てる濃厚なポタージュスープと、甘い香りを漂わせる紅茶のカップが添えられている。


 昨日まで、塩気すらない雑草の粥をすすっていた自分。

 それが今、信じられないほど美味しそうな匂いを放つご馳走を前にしている。


「あの……私、こんな立派なお食事、いただいてもいいのでしょうか……なんだか、罰が当たりそうで……」


 メルナは膝の上で両手をぎゅっと握りしめ、申し訳なさそうに視線を落とした。

 自分のような忌み嫌われる存在が、こんなにも贅沢で、あたたかい空間にいていいはずがない。

 どうしても、過去の極貧生活と迫害のトラウマが、彼女の心を萎縮させてしまう。


 すると、ハーヴィが静かに立ち上がりメルナの隣へと歩み寄ってきた。

 彼はメルナの視線の高さに合わせるように片膝をつくと、彼女のぎゅっと握りしめられた小さな手を、自らの大きな両手でそっと包み込んだ。


「メルナ。僕を見て」


 芯のある声に促され、メルナは恐る恐る朱色の瞳を上げた。


「君は誰よりも過酷な環境で、お父様を守りながら必死に生きてきた。その強くて優しい君だからこそ、僕は君を妻として迎えたいと心から願ったんだ。罰なんて当たるものか。これからは、このあたたかい食事も、ふかふかのベッドも、ジェイミーたちの優しさも、すべて君が当然のように受け取っていいものなんだよ」


 ハーヴィの瞳が、メルナの心を包み込むように柔らかく細められる。

 触れ合う手からは彼のあたたかな体温と、嘘偽りのない誠実さがじんわりと伝わってくる。

 自身の魔力が暴走して彼を傷つけることはないのだと、頭ではなく心が理解し始めていた。


「さあ、冷めないうちに。君がいっぱい食べてくれないと、料理長が泣いてしまうからね」


 ハーヴィが冗談めかして微笑むと、背後に控えていたジェイミーも「その通りでございますよ」と優しく頷いた。

 メルナは込み上げそうになる涙を必死に堪え、小さく「いただきます」と呟いて、サンドイッチを両手で持ち上げた。

 サクッ、と香ばしい音を立ててパンをかじる。

 瞬間、ベーコンの豊かな脂の旨味と、新鮮な野菜の甘み、そして特製のソースの酸味が口の中いっぱいに広がった。


 美味しい。

 信じられないくらい、美味しい。


 ただお腹を満たすためだけの食事ではなく、誰かが自分のために心を込めて作ってくれた、あたたかい料理。


「……っ、おいひいです……っ」


 口元を両手で押さえながら、メルナはついに堪えきれず、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。

 今まで張り詰めていた心が、彼らの優しさに触れてあたたかく溶けていくのを感じていたのだ。


「よかった。ゆっくりでいいから、たくさんお食べ」


 ハーヴィは自分の席に戻ることもせず、泣きながらサンドイッチを頬張るメルナの隣で、彼女の澄んだ青色の髪を壊れ物に触れるように優しく撫で続けていた。


 朝食を終え落ち着きを取り戻したメルナは、ハーヴィのエスコートのもと、本館の正面玄関に用意された馬車へと乗り込んだ。

 行き先は、荒れ狂う魔力の源である大樹の直下に構えられたこの本館から、少し離れた場所――ゼネ・レア王国の北部にそびえ立つ、荘厳な王城である。

 王城内に併設されている貴族院にて、いよいよメルナをアリストン公爵家の正当な妻として魂を登録する、婚姻の手続きが行われるのだ。


「緊張しているかい?」


 向かいの席に座るハーヴィが、心配そうに声をかける。

 馬車が本館の敷地を出ると、窓の外には徐々に巨大な王都の賑やかな街並みが広がり始めていた。

 大樹の根元という隔離された空間から、人が行き交う華やかな世界へと入っていく。

 メルナはその景色を見つめながら、小さく頷いた。


「はい……私、人がたくさんいる街に入るのは本当に久しぶりなので。また、化け物だと石を投げられないか、少しだけ、怖いです」


 膝の上で震える彼女の手に、ハーヴィの大きな手がそっと重ねられる。


「心配いらない。何があろうと、僕が君を守るよ。君はもう、孤独な辺境の少女じゃない。アリストン公爵家の大切な伴侶なのだから」


 その言葉の強さに、メルナはゆっくりと顔を上げ朱色の瞳に決意の光を宿した。


 そうだ。

 彼がこれほどの優しさと誠意を尽くしてくれているのだ。

 自分も、少しでも彼にふさわしい存在になれるよう、強くなければ。


 やがて馬車は大樹の威容を遠くに仰ぎ見る重厚な王城の門をくぐり、彼らの運命を決定づける場所へと静かに滑り込んでいった。

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