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魔力を持ちすぎた化け物少女は、空っぽの無能公爵に嫁ぐ 〜触れても壊れないただ一人の旦那様に、なぜか底抜けに溺愛されています〜  作者: 白月つむぎ


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37 冬を待つ揺りかご

 王都の街路樹が、燃えるような赤や鮮やかな黄金色に染まる晩秋。

 乾いた風には冬の刺すような冷たさがはっきりと混じり始め、空はどこまでも高く澄み渡っていた。


 アリストン公爵家の地下深く、大樹のコアが鎮座する祭壇。

 季節の変わり目に執り行われる秋の調律は、過去のどの儀式よりも不気味なほどに静かに終わろうとしていた。


「……終わったよ、メルナ。気分はどうだい?」


 ハーヴィがそっと繋いでいた手を離し、メルナの顔を覗き込む。

 彼の声には一切の疲労も、魔力酔いによる苦痛も滲んでいない。


 大樹から流れ込んだ膨大な魔力は、メルナの身体を通り抜ける過程でそのすべてがお腹の赤ん坊へと吸い込まれていった。

 まるで乾いた砂に水が染み込むように余剰な魔力は跡形もなく消え去り、濾過役であるハーヴィの元にはそよ風ほどの魔力しか届かなかったのだ。


「はい。私も、この子もまったく元気です」


 メルナは自身のふっくらと大きくなったお腹を撫でながら、ふわりと柔らかく微笑んだ。


「この子が、大樹の強すぎる魔力から私たちをすっかり守ってくれているみたいですね。私、この子のために、もっともっと丈夫なお母さんにならなくちゃ」


 母としての自覚と愛情に満ちたメルナの笑顔に、ハーヴィは深く頷いた。


 大樹の魔力を完全に喰らい尽くす赤ん坊の規格外の吸収力。

 彼らにとってそれは、ただ新しい命が力強く育っているという何よりの希望の証でしかなかった。


「君はもう、十分に素晴らしいお母さんだよ。さあ、地上に戻ろう。地下は冷えるからね」


 ハーヴィはメルナの背中に自身のあたたかい上着を掛け、彼女が転ばないよう腰を抱き寄せるようにしてゆっくりと階段を上っていった。


 ◇


 数日後。


 王都の大通りから少し入った路地にある、落ち着いた佇まいのカフェ・ブランシュ。

 ここはメルナが王都で特にお気に入りにしている、日当たりが良くて静かなカフェである。


 店の外では護衛のランスロットが周囲に目を光らせており、店内は貸し切りに近い状態で安全が確保されていた。


「ハーヴィ様、ここの林檎と蜂蜜の温かいハーブティー、とても美味しいですよ。お腹の赤ちゃんに優しいようにって、カフェインの入っていないものを店主さんが淹れてくださったんです。一口いかがですか?」


 窓際の席で、メルナが嬉しそうに湯気の立つティーカップを差し出す。

 ハーヴィは彼女の向かいに座っていたが、どうしても距離が遠く感じたのか、いつの間にかメルナのすぐ隣へと席を移動していた。


「ありがとう……うん、とても優しい味がする。だが、僕にとっては君の笑顔を見ながら飲むお湯の方が、どんな高級な茶葉や果実よりも甘く感じるよ」


「も、もう! ハーヴィ様ったら、外でもそんなこと言うんですから……」


 さらりと極甘な台詞を吐く夫に、メルナは顔を真っ赤にしてカップで口元を隠した。

 ハーヴィは楽しげに目を細めると、彼女の肩に回した腕にきゅっと力を込め、自身の体温でメルナを温めるようにぴったりと寄り添った。


「ここなら、君もリラックスできているようで安心したよ。君とお腹の子が少しでも安らげるなら、このカフェごと僕が買い取ってしまおうか」


「だ、駄目ですよ! 普通にお客さんとして来るから楽しいんですから。それに、ここは……私が王都に来たばかりの頃に、二人で一緒に休んだ大切な思い出の場所なんですから」


 メルナは少し恥ずかしそうに――けれど、とても愛おしそうに店内を見回した。

 辺境の森から来て間もなく、まだ王都の街の人々の視線を恐れてひどく緊張していたあの頃。

 ハーヴィが「ここのハーブティーは、心から温まるよ」と優しく教えてくれ、震える手を握ってくれたのがまさにこの窓際の席だったのだ。

 ハーヴィは「ああ、そうだったね」と目を細め、ひどく懐かしむように微笑んだ。


「あの日の君は、まるで怯えた小動物のように僕の袖をぎゅっと掴んで離さなかった。それが今では、こんな風にリラックスして笑ってくれている。屋敷から一歩外へ出ることすら恐れていた君が、僕の隣でこの街を好きになってくれた。その事実が、僕にとってはどんな魔法の奇跡よりも嬉しいんだ」


 深く甘い愛情が込められた言葉に、メルナは胸を打たれ、自然と彼の方へと身を預けた。

 冬の足音が近づく肌寒い季節の中で、二人の間だけは、春の陽だまりのようにあたたかな空気が流れていた。


 ◇


 屋敷に帰還した後も、ハーヴィの過保護は留まるところを知らなかった。


「オリバー、このベビーベッドの角だ。ここに万が一にも頭をぶつけたら大変だ。王都で一番柔らかいクッション素材を取り寄せて、すべての角を完璧に覆ってくれ。それから、窓からの隙間風は……」


「旦那様、そちらの隙間はすでに最新の魔導具で完全に遮断しておりますし、ベッドの角も三層構造の綿で保護してございます。どうかご安心を」


 主寝室の隣に新しく設けられた子供部屋で、ハーヴィが真剣な顔で家具の配置や安全性を確認している。

 普段から天才的な頭脳を発揮する彼が、今は赤ん坊が転んだ時の衝撃の分散について、真面目な顔でオリバーと議論を交わしていた。


 その微笑ましい様子を、メルナは揺り椅子に座りながらくすくすと笑って見守っている。

 彼女の手元には上質な淡い黄色の毛糸があり、生まれてくる子のための小さな手袋や靴下を編んでいる途中だった。


「ハーヴィ様。そんなに心配しなくても、お屋敷の皆さんが完璧に準備してくださっていますよ」


 メルナが声をかけると、ハーヴィは少し照れくさそうに肩をすくめ、彼女の元へと歩み寄った。

 そのまま揺り椅子の傍らに跪き、メルナの大きく膨らんだお腹にそっと頬を寄せる。


「君には呆れられてしまうかもしれないが、僕はもう、この子が可愛くて仕方がないんだ。男の子だろうか、女の子だろうか。君に似て、優しくて美しい子になってほしいと願っているよ」


 ハーヴィの甘い声が、お腹に直接語りかけるように響く。

 すると、まるで彼の手と声に応えるように、お腹の赤ん坊がポコンと元気に内側から蹴り返した。


「ほら、お返事してくれましたよ。きっと、お父様に似て賢くて、とても優しい子になります」


 メルナが愛おしそうに彼の手の上に自分の手を重ねると、ハーヴィは蕩けるような笑みを浮かべ、メルナの手の甲、そしてお腹へと何度も優しい口づけを落とした。


「名前は、何が良いだろうか。僕が考えていた候補のリストがあるんだが、少し長くなってしまってね。百個ほどあるんだ」


「ひゃ、百個ですか!? それは多すぎますよ、ハーヴィ様……ふふっ」


 あたたかい暖炉の火がぱちぱちと音を立てる部屋で、二人の笑い声が静かに響き渡る。

 新しい家族を迎えるための、世界で一番幸せで、甘くて、穏やかな冬支度。


 互いを心から愛し、慈しみ合う二人の間には、どんな不安も入り込む隙などないように思えた。


 ◇


 その日の夜。

 メルナが先に眠りについた後、ハーヴィは寝室のバルコニーに出て、一人で冬の冷たい夜風を浴びていた。


 彼の視線の先、澄み切った晩秋の夜空には、二つの月がはっきりと浮かび上がっている。

 禍々しい光を放つ紅い月と、冷ややかに輝く蒼い月。

 それらは以前見た時よりもさらに距離を縮め、もはや縁と縁が触れ合い、完全に重なり合おうとしているように見えた。


(……お義父上は、この冬の出産をひどく恐れていた)


 ハーヴィの脳裏に、療養施設で見たカミロの絶望的な顔が蘇る。

 この空に浮かぶ二つの月と、メルナの異常なまでの魔力。

 そして、大樹の魔力をいとも容易く飲み込んでしまうお腹の赤ん坊。


 彼自身の明晰な頭脳が、これらが無関係ではないことを静かに告げていた。


「……何が起ころうとも」


 ハーヴィは夜空の双月を睨み据え、バルコニーの手すりを強く握りしめた。


「メルナとあの子は、僕が必ず守り抜く」


 愛する妻の安らかな寝息が聞こえる寝室へ振り返り、ハーヴィは自らの命に代えてもこの幸せな揺り籠を守ることを、冷たい夜風の中で再び固く誓った。


 ――すべてを黒く染め上げるような運命の日が、もうすぐそこまで迫っていることも知らずに。

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