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魔力を持ちすぎた化け物少女は、空っぽの無能公爵に嫁ぐ 〜触れても壊れないただ一人の旦那様に、なぜか底抜けに溺愛されています〜  作者: 白月つむぎ


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36 安らぎの青い空

 ゼネ・レア王国の空はいつの間にか高く澄み渡り、心地よい秋の風が吹き抜ける季節を迎えていた。


 庭園の木々の葉がわずかに色づき始めた、秋の初めの穏やかな朝。

 主寝室の大きな窓から差し込む柔らかな陽光に瞼をくすぐられ、メルナはゆっくりと意識を浮上させた。


 ふんわりとした掛け布団の中で身じろぎをすると、すぐ隣から心地よいあたたかさが伝わってくる。

 目を開けると、すでに身支度を整えたハーヴィがベッドの傍らに腰掛けて、愛おしそうに彼女を見下ろしていた。


「おはよう、メルナ」


 ハーヴィはそう言うと、メルナの額に落ちていた前髪を優しく払い、深い愛情を込めた口づけを落とした。


「お誕生日おめでとう。この世界に生まれてきてくれて、そして僕の妻になってくれて、本当にありがとう」


 寝起きの頭に響く、低く甘い祝福の言葉。

 メルナはぱちりと朱色の瞳を見開き、やがて顔を真っ赤に染めながら「おはようございます、ハーヴィ様」と照れくさそうに微笑み返した。


 今日からまた一つ年齢を重ね、新しい命を宿した母親としての自分が始まる。

 ハーヴィの大きな手に包まれながら、メルナは静かな幸福感で胸をいっぱいにしていた。


 身支度を整えるため、メルナは鏡台の前に座った。

 ジェイミーが用意してくれた秋色の落ち着いたドレスに袖を通し、髪を整える。

 そして、鏡台の引き出しから大切にしまってあった小さな箱を取り出した。


 中に入っているのは、繊細な銀細工で作られた髪飾りだ。

 それは以前、二人で初めて王都の街を歩いた時、ショーウィンドウ越しに見つめていたメルナにハーヴィが買ってくれたものだ。


 あの時彼は、遠慮するメルナに対して「あのショーケースの段ごと、すべて包ませよう」と本気で店ごと買い占めようとし、メルナが慌てて手を引いて止めたという、微笑ましくも少し呆れる思い出の品である。


「よし」


 メルナは鏡を見ながら、その銀細工の髪飾りを丁寧に髪へと挿し込んだ。

 振り返ると、扉の近くで待っていたハーヴィが目を細め、心底眩しいものを見るような表情を浮かべた。


「とてもよく似合っているよ。今日も君は、世界で一番美しい。僕の自慢の妻だ」


「もう、ハーヴィ様ったら大げさなんだから」


 過保護で甘すぎる夫にエスコートされ、メルナは足取りも軽く部屋を出た。


 午前中、ハーヴィに手を引かれて向かった先は、屋敷の奥にあるガラス張りの温室だった。

 重厚な扉が開かれた瞬間、メルナは「あっ」と声を漏らした。


 普段は珍しい薬草などが育てられている温室が、今日ばかりは一面の秋の花々で埋め尽くされていたのだ。

 薄紅色のコスモスや、鮮やかな紫色のリンドウ、そして柔らかな色合いの季節の花々。

 それらが美しく配置され、中央には真っ白なテーブルと椅子が用意されている。


「お誕生日おめでとうございます、奥様!」


 花々の向こうから、オリバー、ジェイミー、そしてランスロットが笑顔で姿を現した。

 この日のために、ハーヴィの指示で屋敷の者たちが総出で作り上げてくれた、小さな花の楽園。


「皆様……ありがとうございます。こんなに綺麗なお花畑、初めて見ました」


「奥様は、華やかな夜会などよりも、こういった自然の美しさの方がお好きだと思いまして。旦那様が王都中の花を集めさせたのですよ」


 ジェイミーが微笑みながら、身体に優しい果実茶と特製の焼き菓子をテーブルに並べる。


 あたたかい日差しが降り注ぐ温室で、花々の香りに包まれながら過ごすティータイム。

 メルナのお腹の中にいる赤ん坊も嬉しいのか、ぽこんと小さく蹴って喜びを伝えてきているようだった。


 ◇


 そして、夜。

 ダイニングルームでの二人きりの特別なディナーは、ジェイミーが腕によりをかけた豪華で温かい料理が並んだ。


 楽しい会話と共に食事が進み、やがてメインディッシュの皿が下げられると、オリバーによって一つのクリスタルの器が恭しく運ばれてきた。


「本日のデザートでございます」


 テーブルに置かれたその器の中を見て、メルナは信じられないというように大きく目を見開いた。

 そこに乗っていたのは、王都の高級菓子などではない。

 蜂蜜のように透き通った、黄金色の小さな果実の群れだった。


「これ……黄金の山葡萄……?」


 それは、メルナが辺境の森で暮らしていた幼い頃、秋の初めのわずかな時期にだけ父カミロが山仕事の帰りに見つけて採ってきてくれた思い出の果実だった。

 甘いお菓子など買えなかった貧しい生活の中で、この黄金の果実の濃厚な甘さだけがメルナにとって何よりも幸せなご褒美だったのだ。


「お父さんが、採ってきてくださったのですか? でも、お父さんの足では、もうあの深い森の奥までは……」


 メルナが戸惑いながら視線を上げると、テーブルの向かい側に座るハーヴィが少し照れたように目を伏せた。


「カミロ殿から、君が幼い頃に一番喜んだものだと聞いてね。僕が、森へ行ってきたんだ。どうしても、今日の君に食べさせたくて」


「ハーヴィ様が……?」


 メルナは絶句した。

 公爵という国を動かすほどの立場の彼が、わざわざ険しい森の中へ入り泥にまみれてこの小さな果実を探し出してくれたというのだ。


 ふと、テーブルの上に置かれた彼の大きな手を見ると、袖口から覗く手首のあたりに微かな草木による擦り傷ができているのが見えた。

 普段ならあり得ないその傷が、彼がどれほどの想いで森を歩き回ってくれたのかを物語っている。


「君の幼い頃の大切な記憶を、僕も一緒に守りたかった。さあ、食べてみてくれ」


 メルナは震える手で黄金の果実を一粒つまみ、そっと口に運んだ。

 噛み締めた瞬間、豊かな果汁が弾け、記憶にある通りの濃厚で優しい甘みが口いっぱいに広がった。


 美味しさと、ハーヴィの深すぎる愛情に胸が締め付けられ、メルナの朱色の瞳からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「すごく、美味しいです……昔、お父さんが採ってきてくれた時と同じくらい……すごく、甘くて」


 涙を拭いながら微笑むメルナを見て、ハーヴィの灰色の瞳もまた愛おしさに耐えきれないように柔らかく細められた。


 デザートの余韻が落ち着いた頃。

 ハーヴィは静かに席を立ち、メルナの傍らへと歩み寄った。

 その手には、上質なベルベットで作られた小さな箱が握られている。


「メルナ。僕から、君への贈り物だ」


 ハーヴィが箱を開けると、その中には細い銀のチェーンに吊るされた一つの首飾りが収められていた。

 中央で静かな光を放っているのは、大粒のスターサファイアだった。

 秋の高く澄んだ空をそのまま切り取ったかのような、深くて透き通るような青色。

 光の加減で、内部に美しい星の模様が浮かび上がる最高級の宝石である。


「綺麗……」


 息を呑むメルナの背後に回り、ハーヴィは彼女の首に直接その首飾りを着けてあげた。

 彼の少しひんやりとした指先が首元に触れ、続いてサファイアの確かな重みが鎖骨の間に落ちる。


「君の持つその赤い瞳は、君の強さと深い愛の色だ。けれど、このサファイアの青は、君を包み込む安らぎの空の色だよ」


 ハーヴィは背後からメルナの肩を優しく抱き込み、彼女の耳元で静かに誓いの言葉を紡いだ。


「どんな嵐が来ようとも、どんな運命が待ち受けていようとも、僕とこの子が、君を守る空になる」


 その言葉の重みと温かさに、メルナは胸元のサファイアを両手でぎゅっと握りしめた。

 彼がくれた、安らぎの空。

 その青い光は、彼女の心にあったわずかな不安さえもすべて溶かし去っていくようだった。


 メルナは振り返り、ハーヴィの胸に顔を埋めて強く抱きついた。

 ハーヴィもまた、彼女の背中に腕を回してその温もりを抱きとめる。

 二人の間にあるお腹の中で、新しい命がポコンと元気に跳ねた。


「聞こえるかい? 今日はお母さんの特別な日だ。君も一緒に、おめでとうと言おうね」


 ハーヴィがお腹に語りかけると、まるで返事をするようにもう一度小さな胎動が伝わってきた。

 その奇跡のような瞬間に、二人は声を上げて笑い合った。


 窓の外の夜空には、美しい二つの月が浮かんでいた。

 紅い月と蒼い月。

 それらは静かに互いの距離を縮め、並び立つようにして秋の空から地上を見下ろしている。


「来年のお誕生日は、この子も一緒にお祝いできますね」


「ああ。三人で、もっと幸せな日にしよう」


 安らぎの青い空を胸に抱きながら、メルナは愛する夫の腕の中で目を閉じた。


 秋の初めの特別な夜は、この上ない甘さと愛情に包まれて、どこまでも静かに更けていくのだった。

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