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魔力を持ちすぎた化け物少女は、空っぽの無能公爵に嫁ぐ 〜触れても壊れないただ一人の旦那様に、なぜか底抜けに溺愛されています〜  作者: 白月つむぎ


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33 父への報告

 季節は巡り、ゼネ・レア王都はまばゆい陽光が降り注ぐ盛夏を迎えていた。


 王都の中心にそびえ立つ大樹は、生命力に溢れた青々とした葉を天高く茂らせ、人々の頭上に濃く涼やかな影を落としている。

 吹き抜ける風には夏の力強い熱気が混じり、街全体が活気に満ち溢れていた。


 その日、アリストン公爵家の地下深くにある大樹のコアでは、夏の調律が執り行われていた。

 薄暗い祭壇の中央で、ハーヴィとメルナは向かい合わせに座り、静かに手を繋いでいる。

 二人の身体を通して、大樹の膨大な魔力が循環していく。


 かつてアリストン家の当主たちを苦しめ、命すら奪ってきた過酷な儀式。

 しかし今の二人にとって、それは驚くほど穏やかで痛みのない時間へと変わっていた。


 大樹から流れ込む荒れ狂う魔力は、メルナの身体を通り抜ける寸前、彼女の腹部に宿る新しい命へと吸い寄せられていく。

 赤ん坊が余剰な魔力をすべて自らの糧として吸収してしまうため、濾過役であるハーヴィの元へ届く頃には、魔力は微風のように優しく清浄なものへと姿を変えているのだ。


 何の苦痛もないまま、夏の調律はあっという間に完了した。

 接続を解き、静かな輝きを取り戻した大樹の根を見上げながら、メルナはほっと息を吐いた。


「お疲れ様です、ハーヴィ様。今回も、とても静かでしたね」


「ああ。君にもお腹の子にも負担がかからなかったようで、本当に何よりだ」


 ハーヴィは優しく微笑み、メルナの額に流れた微かな汗を自身のハンカチで丁寧に拭った。


 妊娠が発覚してからというもの、メルナの体内に渦巻いていた規格外の魔力は、嘘のように安定していた。

 以前のように少し感情が揺れただけで魔力が暴走し、周囲の物を壊してしまうようなことは一度も起きていない。


 自分の中に芽生えた小さな命が有り余る魔力を吸い取り、母であるメルナを守ってくれているかのようだった。

 その事実はかつて自分の力を恐れていたメルナにとって、何よりの救いであり喜びでもあった。


「……無事に終わったのは良いことだが」


 ふと、ハーヴィが少しだけ口を尖らせて、どこか拗ねたような声を出した。


「すべてこの子が解決してくれたおかげで、僕の空っぽが活かせないのは、それはそれで少し寂しいな」


 大樹の魔力を濾過するための、魔力を持たない空っぽの器。

 それが彼の強さであり、ハーヴィとしてのアイデンティティでもあった。

 愛する妻と子を守るためにその身を挺する覚悟でいたのに、すっかり出番を奪われてしまったことが、彼としては少しだけ口惜しかったらしい。

 彼が見せた子供のような本音に、メルナはふふっと愛らしい笑い声をこぼした。


「もう、ハーヴィ様ったら……でも、私は嬉しいです。ハーヴィ様が苦しまないで済むことが、私にとって一番の幸せなんですから」


 メルナは両手でハーヴィの大きな手を包み込み、ぎゅっと握りしめた。

 その温もりと真っ直ぐな愛情の言葉に、ハーヴィは敵わないとばかりに目を細め、彼女の手の甲に深く優しい口づけを落とした。


 ◇


 調律を終えたその日の午後。


 休暇をとっていたハーヴィは、そのままメルナに付き添い屋敷の主寝室にてお抱えの老医師による定期健診を迎えていた。


「いかがですか、先生」


 ベッドの傍らで、ハーヴィが少し緊張した面持ちで尋ねる。

 老医師はメルナの腹部にそっと手を当て、微弱な診断の魔法の光を灯して慎重に赤ん坊の状態を探っていた。


 やがて、その皺の刻まれた顔がほっとしたように綻ぶ。


「順調そのものでございますな。母子ともに魔力の流れは極めて穏やかで、栄養も十分に届いております。今日をもって、いわゆる安定期に入ったと申し上げてよろしいでしょう」


「安定期……!」


 メルナの顔がパァッと明るく輝いた。

 つわりの苦しい時期を乗り越え、ようやく一つの安心できる節目を迎えることができたのだ。


 ハーヴィも心底安堵したように大きく息を吐き出し、メルナの肩を優しく抱き寄せた。


「よく頑張ってくれたね、メルナ」


「はい……! 先生、この子はいつ頃生まれてくるのでしょうか」


「左様ですな。このまま何事もなく順調に育てば……出産予定日は、今年の冬頃になりますな」


 冬。

 その言葉の響きに、二人は顔を見合わせて幸福に満ちた笑みを交わした。


 寒さの厳しい季節に生まれてくる小さな命。

 この子のために、あたたかい毛布や小さな衣服をたくさん用意してあげよう。


 あたたかい暖炉の前で、三人で寄り添って過ごす未来の光景が鮮やかに想像できた。


 ◇


 安定期に入り体調もすっかり良くなったメルナは、ハーヴィの許しを得て久しぶりの外出をすることになった。


 向かった先は、王都の閑静な区画にある療養施設である。

 かつて辺境の森でメルナと共にひっそりと暮らしていた父――カミロ。


 彼はアリストン家からの婚姻の申し出を受けた後、ハーヴィの手配によってこの最高水準の療養施設に身を移し、長年の貧しい生活で傷んだ身体を癒しながら手厚い保護を受けていた。


 馬車を降り、緑豊かな中庭を抜けて施設の面会室へと案内される。

 日当たりの良い窓際の椅子に腰掛けていたカミロは、扉が開いて娘の姿が見えると、茶色の瞳を大きく見開いて立ち上がった。


「メルナ! よく来てくれた。顔色も良いようで安心したよ」


 結婚式ぶりに再会した父は、以前の痩せこけた姿が嘘のように健康的な顔つきになっていた。

 穏やかな笑みを浮かべる父の姿に、メルナは胸を撫で下ろした。


「お父さん、元気そうで本当に良かった。施設の皆さんは良くしてくださる?」


「ああ。公爵様には本当に頭が下がる思いだ。私のような平民の父親にまで、これほどの手厚い恩情をかけてくださるのだから……お前も、公爵様から大切にされているようだな」


 幸せそうに微笑む娘の姿を見れば、カミロにもハーヴィの深い愛情が十分に伝わっていた。

 メルナは照れくさそうに頬を染めながら、今日ここへ来た一番の理由を口にするべく、自身の腹部の前でそっと両手を組んだ。


「あのね、お父さん。今日は、お父さんに報告したいことがあって来たの」


「報告?」


「私……お腹に、新しい命を授かったの」


 その言葉に、カミロは一瞬きょとんとし――次の瞬間には顔いっぱいに歓喜の色を広げて身を乗り出した。


「おお……! 妊娠!? 予定日は!?」


 娘が母親になる。

 これ以上の喜びはないとばかりに、カミロの声が弾む。


 メルナは父の嬉しそうな反応に目を細め、お医者様から告げられたばかりの時期を愛おしそうに口にした。


「冬を……予定しているわ」


 ――その瞬間。

 カミロの顔から、スッとすべての血の気が引いていった。


 先程までの満面の笑みは完全に凍りつき、茶色の瞳が限界まで見開かれる。

 彼はまるで目に見えない巨大な鈍器で頭を殴られたかのようにふらりとよろめき、そのまま背後の椅子へと力なく崩れ落ちた。


「なんということだ……」


 絞り出すように漏れたその声は、歓喜とは正反対の、絶対的な恐怖と絶望に満ちた呟きだった。


「え……? お父さん、どうしたの?」


 あまりにも異常な父の反応に、メルナは驚いて駆け寄った。

 カミロはハッとして我に返り、慌てて視線を逸らしながら、顔に張り付いたような不自然な笑顔を作った。


「い、いや! 冬は王都もひどく冷え込むだろう? だから、お前の身体や、生まれてくる赤ん坊のことが急に心配になっただけで……なんでもないんだ。本当におめでとう、メルナ」


 カミロは震える手を隠すように膝の上で固く握りしめ、必死に言葉を紡いだ。

 メルナは「そうだったのね。大丈夫よ、お屋敷はとてもあたたかいから」と安堵の笑みを浮かべたが、カミロの瞳の奥に渦巻く黒い焦燥は消えることがなかった。


 今年の冬。

 その時期が何を意味するのかを、カミロは知っている。


 彼が辺境の森で決して語ることのなかった恐ろしい伝承。

 愛する娘の内に潜む異常な魔力と、その血を受け継ぐ者が冬の空の下で産声を上げた時、世界に何がもたらされるのか――。


(なぜ、よりによってこの年の冬なのだ……)


 カミロは娘の幸せな笑顔を見つめながら、心の中で血を吐くような悲鳴を上げていた。


 盛夏の眩しい陽光が降り注ぐ穏やかな面会室で、親の深い絶望だけが誰にも気づかれることなく冷たい影を落としていた。

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