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魔力を持ちすぎた化け物少女は、空っぽの無能公爵に嫁ぐ 〜触れても壊れないただ一人の旦那様に、なぜか底抜けに溺愛されています〜  作者: 白月つむぎ


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20 交わる軌跡

 王都の空に冷たい冬の星々が瞬く、深く静かな夜。


 アリストン公爵家の主寝室は、外の凍えるような寒さが嘘のように甘く穏やかな空気に満ちていた。

 部屋の豪奢な魔力灯はすでに落とされ、サイドテーブルに置かれた一本の蜜蝋キャンドルだけがオレンジ色の小さな炎を揺らしている。


 天蓋付きの広くてふかふかなベッドの中。

 上質な羽毛の毛布にすっぽりと包まりながら、メルナはハーヴィの腕を枕にして、彼のあたたかい胸元にすり寄っていた。


 ハーヴィの胸板に添えた自分の左手が動くたび、薬指にはめられたダイヤモンドの指輪がキャンドルの光を吸い込んでキラキラと小さな瞬きを返す。


 昼間、彼が直接この指にはめてくれた永遠の誓いの証。

 その冷たくて硬い確かな重みを感じるたびに、メルナの胸の奥がじんわりと幸福で満たされていく。


「……どうかしたかい? さっきから、指輪ばかり見つめて」


 頭上から降ってきた低い声に、メルナは少しだけ顔を上げた。

 ハーヴィが灰色の瞳を細め、愛おしそうに彼女の淡い青色の髪を撫でている。

 その手つきはひどく優しくて、彼から漂う落ち着いた香りがメルナの心を深い安心感で包み込んでいた。


「ふふっ、なんだかまだ信じられなくて。私、本当にハーヴィ様の奥様になれたんだなって……」


 照れくさそうに笑いながら、メルナはふと、王都で遭遇した出来事を思い出した。

 得体の知れない天才魔導師、レグルス・ロッシェル。

 彼から向けられた不気味な熱を持った視線は、思い出すだけで背筋が冷たくなる。


 だが、今メルナの心を占めていたのは彼への恐怖よりも、彼とハーヴィが魔導院の先輩と後輩として会話を交わしていた時のほんの少しの寂しさだった。


「……ねえ、ハーヴィ様」


「ん?」


「今日、王都であの方とお会いして……私、ハーヴィ様の昔のことを全然知らないんだなって、少しだけ寂しくなったんです。私と出会う前の、魔導院にいた頃のお話……聞かせてくれませんか?」


 メルナが上目遣いでそっと問いかけると、ハーヴィは少しだけ驚いたように目を瞬かせ、やがてどこか懐かしむような微笑みを浮かべた。


「僕の魔導院時代の話なんて、退屈なだけだよ……君も知っての通り、僕はアリストン家の血を引きながら、魔力を一切持たずに生まれてきたからね。実技と魔力量がすべてを極める魔導院の中では、僕は存在自体が異端だったんだ」


 ハーヴィの大きな手が、メルナの背中をゆっくりと撫でる。


「魔力がないなら、どうすれば魔法使いたちと渡り合えるのか。僕は魔法というものを神秘ではなく現象と数式として徹底的に分解することにした。相手が放つ炎や氷の魔法の構成式を瞬時に読み解き、ほんのわずかな魔導具の力だけで、その魔法の核を崩して霧散させる。力には力で対抗するのではなく、理屈で無効化する戦い方だ」


「理屈で、無効化……」


「ああ。おかげで実技の対戦では無敗だったけれど……周囲の生徒たちからはひどく嫌がられてね。魔導師殺しの冷徹男なんていう、可愛げのない異名で呼ばれていたよ」


 自嘲気味に笑うハーヴィの言葉に、メルナは朱色の瞳をまん丸くして見開いた。


「魔導師殺し……! 今の、こんなに優しくて甘やかしてくれるハーヴィ様が、冷徹男だなんて……全然、想像もつきません」


「ふふっ、君の前でだけは、僕はただの君に夢中な男だからね」


 ハーヴィがメルナの鼻先に軽いキスを落とす。


「でも、その戦い方が、ロッシェル卿にはひどく新鮮に映ったらしい。彼は当時から規格外の魔力を持った天才で、誰も彼の魔法に触れることすらできなかった。それを僕が理屈だけで完膚なきまでに封じ込めたものだから……彼は異常なほど僕の理論に興味を持ち、何かと後を追い回してくるようになってね。君に嫌な思いをさせた彼だが、魔導院ではそういう腐れ縁だったんだ」


 過去の繋がりを明かしてくれたハーヴィに、メルナはこくりと頷いた。

 彼がどれほどの重圧と孤独の中で、魔力を持たない己の頭脳だけを武器に戦い抜いてきたのか。

 その強さと誇り高さを知ることができて、胸の奥があたたかくなる。


「……僕の話はこれくらいにしよう。今度は、君のことを教えてくれないか」


「私のこと、ですか?」


「ああ。君が生まれたのは、いつの季節なんだい?」


 ハーヴィの問いかけに、メルナは少し考え込むように視線を彷徨わせた。

 森でひっそりと生きてきた彼女にとって、自分の誕生日を誰かに話す機会など、物心ついた頃から一度もなかったからだ。


「えっと……私は、秋の始まり頃です。お父さんから聞いた話では、ちょうど十数年に一度のパープルムーンが昇った夜だったそうで……」


「パープルムーン……紅い月と蒼い月が重なる夜か」


 ハーヴィの灰色の瞳が、驚きと感慨に微かに揺れた。


「……そうか。秋の始まりということは、僕と結婚した時には、今年の誕生日はほんの少しの差で過ぎてしまっていたんだね」


 ハーヴィが悔しそうに眉を寄せるのを見て、メルナは慌てて首を振った。


「そ、そんなの気にしないでください! ハーヴィ様は、いつなんですか?」


「僕かい? 僕は、大樹の葉が最も青々と茂り、強烈な陽光が大地を焼くような、盛夏の生まれだよ」


 その答えを聞いた瞬間、メルナはきょとんとし、暫くしてからくすくすと肩を震わせて笑い出した。


「ふふっ……なるほど! だからなんですね」


「何がだい?」


「ハーヴィ様があんなに寒がりなのは、夏の太陽がいっぱいな時に生まれた夏の子だからなんだなって、納得してしまって」


 可笑しそうに笑うメルナを見て、ハーヴィもつられたように低く喉を鳴らして笑った。

 彼は腕の中のメルナを、愛おしさが限界を超えたかのようにぎゅっと力強く抱きしめた。


「……不思議だね」


「はい?」


「君が辺境の森で冷たい風に吹かれながら孤独に耐えていた頃、僕は王都で魔力を持たない公爵としての重圧と戦っていた。全く違う場所で、全く違う環境で、お互いの存在すら知らずに生きてきた僕たちが」


 ハーヴィの大きな手がメルナの左手を取り、指輪の輝く薬指にそっと口づけを落とす。


「今、こうして一つの毛布にくるまって同じ指輪をしている。この奇跡が、たまらなく愛おしいよ。あの森を生き抜いて、僕と出会ってくれて本当にありがとう、メルナ」


 その深い愛情に満ちた声に、メルナの朱色の瞳がじんわりと熱を帯びた。


 彼が魔導院で一人戦っていた過去も。

 自分が森で化け物と恐れられていた過去も。

 すべては、このあたたかい夜にたどり着くための軌跡だったのだ。


「私の方こそ……見つけてくれて、ありがとうございます、ハーヴィ様」


 メルナはハーヴィの首元に腕を回し、そのあたたかな胸に頬をすり寄せた。


「これからの冬は、私がずっとあたたかい毛布になって、寒がりなハーヴィ様を温めますね。そして夏になったら、今度は涼しい風を送ってあげます」


 その可愛らしすぎる誓いにハーヴィは幸福な溜め息を漏らし、メルナの額、鼻先、そして唇へと、甘い口づけを何度も、何度も落とした。


「ああ。僕も誓うよ。次のパープルムーンも、秋の始まりの君の誕生日も。その先のすべての君の誕生日を、必ず僕が隣で祝うと」


 キャンドルの炎が小さく揺れる。

 二人の過去が優しく交わり、未来への約束が結ばれた冬の夜。


 ハーヴィがそっと指先で風を起こしてキャンドルの火を吹き消すと、主寝室は世界で一番あたたかな静寂に包み込まれていった。

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