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魔力を持ちすぎた化け物少女は、空っぽの無能公爵に嫁ぐ 〜触れても壊れないただ一人の旦那様に、なぜか底抜けに溺愛されています〜  作者: 白月つむぎ


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15 レグルスとの出会い

 ゼネ・レア王国の空は、いつの間にか高く透き通った冬の色に染まっていた。


 大樹の巨大な葉はすっかり落ち尽くし、むき出しになった無数の太い枝が冷たい冬の空に向かって静かに腕を伸ばしている。

 吹き抜ける風は頬を切るように冷たく、王都にも本格的な冬の足音が訪れていた。


 そんな冬の始まりの朝。

 アリストン公爵家の本館では、ひどく甘やかで微笑ましい光景が繰り広げられていた。


「……ハーヴィ様。そろそろ、お仕事の時間ですよ?」


 困ったような、けれど嬉しさを隠しきれない声でメルナが呼びかける。


 彼女の背中には、漆黒の長い髪を流したハーヴィが、ぴったりとくっついて離れようとしていなかった。

 彼の手はメルナの腰にしっかりと回され、その整った顔は彼女の肩口にすっぽりと埋められている。


 元来、冬の寒さにめっぽう弱いハーヴィは、冷え込みが厳しくなってからというもの、屋敷にいる間は隙あらばこうしてメルナにくっつきその体温を分け合おうとするようになっていた。

 規格外の魔力を宿すメルナの身体は、この季節、まるで小さな陽だまりのようにあたたかいのだ。


「あと五分……いや、十分だけこのままでいさせてくれ。今朝は一段と冷える。君のぬくもりを置いて外に出るなんて、僕には過酷すぎる試練だよ」


 普段は公爵としての責務を完璧にこなす彼が、メルナの前でだけ見せる子供のような甘えっぷり。

 壁際に控えるオリバーとジェイミーは、そんな主の姿を、目尻を限界まで下げてニヤニヤと見守っていた。


「おやおや。旦那様がこれほどまでに後ろ髪を引かれるようになられるとは。冬の寒さも、悪いことばかりではありませんね」


「本当ですわね。奥様のおかげで、今年の冬のお屋敷はとてもあたたかいですわ」


 使用人たちのあたたかいからかいの声に、メルナは顔を真っ赤にしながらも、自身の腰に回されたハーヴィの大きな手をそっと優しく握り返してあげた。


 結局、彼が「君を置いていくのがこんなに辛いなんて……」と、この世の終わりのような顔をして泣く泣く王城へ向かったのは、予定の時間を少し過ぎてからのことだった。


 ◇


 ハーヴィを見送った後、メルナもまた外出の準備を整えていた。

 今日は、密かに計画していた大切な用事のために王都へ出かけるのだ。


「奥様、本日は風が冷たいですからしっかりと防寒を」


「ありがとうございます、ランスロットさん。今日もよろしくお願いしますね」


 護衛として付き添うランスロットは、いつものように青色の瞳をキラキラと輝かせ、「奥様の秘密の任務、このランスロットが命にかけてお守りします!」と無駄に張り切って胸を叩いた。


 王都の街並みは、吐く息が白く染まる寒さの中でも活気に満ちていた。

 メルナが向かったのは、王都の裏通りにある上質な品を扱う手芸店だ。


 彼女の目的はただ一つ。

 寒がりな愛しい夫を少しでも温めるために内緒で手編みのマフラーを作ろうと、そのための毛糸を買いに来たのだ。


「えっと……この色なんか、どうかな」


 店内に並ぶ色とりどりの毛糸を前に、メルナは真剣な表情で悩んでいた。

 グレーも素敵だけれど、彼がいつも着ている漆黒の服にはもう少し色味があったほうが映えるかもしれない。


 悩んだ末にメルナが手に取ったのは、上質な羊毛で紡がれた、まるで熟成されたワインのように深い赤色の毛糸だった。

 これを巻いたハーヴィの姿を想像し、メルナの頬は自然と緩む。


(ふふっ、絶対に似合うはず。早く帰って編みたいな)


 深い赤色の毛糸を丁寧に包んでもらい、ホクホク顔で店を出るメルナ。

 その胸の中は、愛する人を喜ばせたいというあたたかな気持ちでいっぱいだった。


 ◇


 買い物を終え、王都の中央広場近くまで戻ってきた時のことだ。


「奥様、馬車をこちらに回してきます。人は多いですがここなら安全ですので、少しだけお待ちいただけますか」


「はい、わかりました」


 ランスロットが人混みの中へ消えていった――そのわずかな隙だった。


「おや。こんな人混みの中に、とびきり極上の魔力が落ちていると思ったら」


 唐突に降ってきたのは、冬の冷たい空気を弾くような明るく人懐っこい声だった。

 メルナが驚いて振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。


 冬の陽射しを反射して輝く、流れるような白金色の髪。

 宝石のように鮮やかで、けれどすべてを見透かすような深い翠色の瞳。

 整いすぎた容姿は周囲の人々が思わず振り返るほど美しいのに、彼はそんな視線など気にする素振りも見せず、まるで昔からの友人にでも話しかけるような気さくな足取りでメルナに近づいてきた。


「初めまして、美しいお嬢さん。俺はレグルス。レグルス・ロッシェル。王立魔導院で、少しばかり魔法の研究をしているしがない魔法使いさ」


 青年――レグルスの唇に浮かんだのは、裏表のない屈託のない笑顔だった。


 ハーヴィが持つ大人の余裕と静かな優しさとは全く違う。

 初対面なのにスッとパーソナルスペースに入り込んでくる、人懐っこい大型犬のような気配。


 だが、メルナの身体は本能的な警戒から、ビクリと大きく震え上がった。


(……っ、この人……!)


 彼が名乗ったしがない魔法使いなどという言葉は、大嘘だった。


 メルナにはわかる。

 目の前で無邪気に笑うこの青年からは、かつて森で自分が放っていたような途方もなく強大で、底知れない魔力の気配が溢れ出していたのだ。


 ただの人間ではない。

 明らかに、常軌を逸した天才のそれだった。


「おや、警戒させちゃったかな? ごめんごめん、怪しい者じゃないよ。ただ……君のその魔力に、どうしても目を奪われちゃってね」


 レグルスは翠色の瞳を細め、興味津々といった様子でメルナの顔を覗き込んできた。


「君の魔力……すごく不思議だね。こんな規格外の量、普通ならただ溢れ出して周りを壊すだけなのに」


「え……」


「君のそれは、ただ溢れているだけじゃない。まるで底なしの穴みたいに……周りの魔力を喰らおうとして、ずっと飢えているように見える」


「――っ!?」


 心臓が、ドクンと嫌な音を立てて大きく跳ねた。


 喰らおうとしている。

 飢えている。


 思いもよらなかった言葉を突きつけられ、メルナは息を呑んだ。

 今まで自分の魔力はただ多すぎて溢れてしまうから、物を壊してしまうのだと思っていた。

 けれどこの天才魔導師の目には、自分の力が周りを食べようとして暴れているように見えているというのか。


(私の魔力が、飢えている……? だから、大樹のあの無限の魔力を流し込まれた時、あんなに……)


 未知の恐怖と動揺が、メルナの心を一気にパニックへと突き落とす。

 その精神の揺らぎに呼応するように、彼女の体内に押し込められていた膨大な魔力が制御を失い始めた。

 メルナの指先から青白い魔力の火花が漏れ出し、周囲の冷たい空気が歪み始める。


(どうしよう……! ハーヴィ様が、いないのに……っ!)


 このままではまた周りの物を、人を壊してしまう。

 恐怖で朱色の瞳を涙で潤ませ、必死に自分の手を握りしめて力を抑え込もうとするメルナ。


 そんな彼女の切羽詰まった様子を見ても、レグルスは慌てるどころか、さらに面白そうなものを見つけた子供のように目を輝かせた。


「すごいな、少し感情が揺れただけでこの出力か。ねえ、君。その力、公爵の元でただ持て余しておくのは勿体ないよ。俺のところへ来ないか?」


「こ、こないで……っ」


「俺なら、君のその魔力が本当に求めているものが何なのか……その飢えの正体を、解き明かしてあげられるかもしれない」


 レグルスが甘く誘うように手を伸ばしてきた――その瞬間。


「奥様から離れろ!」


 凄まじい剣鳴とともに、銀色の鎧が二人の間に割って入った。

 馬車を引いて戻ってきたランスロットだ。

 彼は腰の剣を半分ほど引き抜き、レグルスに向けて一切の容赦のない鋭い殺気を放っている。


「アリストン公爵家の奥様に、何用か! これ以上無礼を働くなら、ロッシェル家といえどただでは済まさんぞ!」


 ランスロットの猛烈な威嚇を受け、レグルスは「おっと」と軽く肩をすくめ、伸ばしかけた手をひらりと振って降参のポーズをとった。


「怖い怖い。公爵家の優秀な番犬が戻ってきちゃったか。ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだ。今日は大人しく退散するよ」


 レグルスは暴走しかけているメルナを見ても全く動じた様子はなく、むしろその反応を楽しんだかのように人懐っこい笑顔のまま踵を返した。


「じゃあね、メルナ。君が何者なのか……知りたくなったらいつでもおいで」


 白金色の髪を冬の風になびかせながら、レグルスは人混みの中へとあっさりと消えていった。

 残されたメルナは震える自分の手を必死に胸元に抱え込み、荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。


「奥様! 大丈夫ですか!? 申し訳ありません、自分としたことが目を離してしまって……っ!」


 血相を変えて謝罪するランスロットの声に、メルナは辛うじて我に返り、「大丈夫……大丈夫です、ランスロットさん。ありがとう」と、引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。


 幸い、彼の声で正気を取り戻したおかげで魔力の暴走はギリギリのところで収まっていた。

 だが、メルナの心に落ちた真っ黒な雫は消えることはなかった。


 自分の魔力が、飢えている。

 周りを喰らおうとしている。


 あたたかな公爵邸でハーヴィの愛情に包まれ、忘れかけていた自分は化け物かもしれないという底知れぬ恐怖が、冬の冷たい風と共に再びメルナの胸の奥で静かに鎌首をもたげ始めていた。

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