第一章第壱記「世情」 上
豪奢な装飾が為された大広間で親と子の会話があった。
「母さんと妹、家族をお前が守るんだ。頼んだぞ」
父は毅然とした態度でそう言ったが、その態度に反して顔は穏やかでどこか慈愛のこもったものであった。
「はい。頑張ります」
それに応える声は、それまた凛としたものであり両の親を驚嘆させるには充分なものである。
「よし。よく言った。それでこそ男の子というものだ」
頭を撫でる父の手は硬く嵩張っており、凹凸が多少なりとも存在している。撫でるごとに頭部に痛みが走るので正直撫でられる事は好きではなかった。だが、その手は彼自身のものとは全くの別物であると自覚できるほどまでに大きな手だ。されど自身の手と見比べることによって疎外感を感じたりもした。そんな事が何度かあり、彼は一度だけ何故こんなにも父の手と私の手は違うのですかと問うた事があった。その疑問に対する父の返答はいたって簡素なものであったのだが。
「それは、お前が子供で私が大人だからだ」
本当に馬鹿らしくもある事なのだが、なるほどと感嘆していた。
もっと良い言い回しをしてくれてもよかったんじゃないだろうかとも思えるのだが彼は当時、そんなことは露ほども思わなかった。
元々蒼の国王に仕える大貴族の一角であった父だが、懇意にしていた他の大貴族達がこぞって派閥の鞍替えをした。そのおかげで政治的権力も弱くなり唯一の後ろ盾であった王が亡くなられ弱小貴族の仲間入りをしたのである。家庭は火の車であった。何とかしなければならないと豪語していた兄達は軍務に励んだのだが残念ながら雀の涙ほどの効果しかなく嘆き悲しんでいる。
そんな脆弱貴族の家計に転機が訪れたのは王が亡くなってから三年の月日が経った頃だった。
新王の誕生がきっかけである。
王は二人の子息を持っておられ、どちらを王座に据えるのかという事を臣下達に伝えずに逝った。それにより王座を巡る二人の王子の争いが始まった。
貴族達は第一王子、フラン=ウィリアムズこそが王になるべきであるとし貴族派を形成した。第一王子フランは元々政治的手腕を買われ貴族達に多大な好感を得ていたのだが王位に対しててんで興味の無い人間だった。だが彼は王位につこうと決意する。決意に至るまでに様々な葛藤があった。自身は王に相応しいのかどうか、幾日も幾日も思考した。ある言葉を呈されるまでは。
「カラム様は軍務に生きる将であります。やはり、今後も戦いに身を投じ、戦場にて生きる事をお望みでしょう。ここは殿下。貴方様が王座に座し、あの方を支えていくというほかありません」
この言葉を発したのは先王の側近であった男である。彼はフランが子供であった時から何時も共に過ごしてきた臣下の一人であった。フランの政治的手腕を鍛え上げたのも彼である。師であり家族でもあった。それ故に王子は彼を信じ政戦へと身を投じることと成る。
一方軍部にもそれなりの権力があった。此方は軍功こそが全てであると雁と譲らず闘将であった第二王子、カラム=ウィリアムズ=トリア・ロードこそが王座に座すべき者であるとして騎士派を形成した。彼はその名を他国まで轟かせる戦功の持ち主であり蒼の国が誇る最強の騎士兵団、蒼術騎兵団の団長を勤め上げる実力を兼ね備えた名に恥じぬ王族であった。
対極した二つの派閥が誕生し国内は殺伐とした雰囲気に様変わりしていた。月日が流れ、力の在りようが傾いた。騎士派がその勢力を拡大させていたのである。闘将カラムと呼ばれ蒼術騎兵団を率いていた頃とは違い、権力のせめぎ合いの中で勝ち抜かねばならなくなった男ははその頭を大きく傾げていた。
「殿下、どう為されたのですか? お体が思わしくないようでしたら遠慮など為さらずに私めに言い付けください」
「いや、何、少し昔を思い出していてね。ここまできてしまってはもう後戻りなどはできないことは分かってはいるのだが……嗚呼、二人で獣狩りに出向いた頃が懐かしいよ」
兄弟二人はとても仲が良かった。幼き頃は出かけるときなどはいつも一緒で初恋の相手まで一緒というなんとも仲睦まじい兄弟であった。他国の王族達も感心していたほどである。そんな二人が対極し王座を賭けて戦うなどとは誰しもが想像を成しえなかったであろう。
「ふむ、いつまでも過去を振り返っていては前には進む事も出来なくなりそうだ。気を取り直して頑張ろうか」
彼の責務は一刻も早く王座につき国内の情勢の乱れを正すことにある。
だが、彼は元は戦で名を馳せた者。政治というものは昔から最も不得意とするものであった。
それでも、立ち上がったのは国民の為である。国の情勢を建て直し経済を活性化させ、できるだけ民に苦労をかけまいとすることが彼の信念であった。その志に感銘を受けた騎士達は国民にその旨を公示した。民意は彼を王座に据えよと訴えかけるようになる。これが騎士派、基、第二王子カラム=ウィリアムズが勝利した時分であった。
一方、貴族派の敗北は確定し追い込まれていた。国民の支持を騎士派に根こそぎ奪われ勢力も収縮され今にでも派閥ごと謀反の罪で潰されてもおかしくはなかった。
「おい、其処の輩。そうお前だ。少し此方へ参れ」
貴族特有の豪華な装飾を施した儀礼服を着ている荘厳な雰囲気の男は宮内の廊下を歩く使用人を呼び止めた。呼び止められた本人はあまりにも唐突だったもので大いに戸惑っている。
「フラン殿下にこれを渡せ。よいか内密にだ」
使用人は男から書状らしきものを受け取り目的の部屋へとそそくさと駆けていった。
「ティム侯爵! 此処に居られたのですか。探しましたよ」
ティム侯爵と呼ばれたこの男は貴族派を形成している数少ない実力者の一人だ。彼は武功により子爵の地位を先王から下賜され着実に力を付け侯爵の地位まで登りつめた男である。
この国の『爵位』という名誉は家柄そのものに与えられる称号とは異なり大体の爵位が担当する行政区域(公爵領、辺境伯領、伯爵領等)に対して与えられているものである。爵位の保持とは言い換えると領地の保全という事のなるのだ。つまりその地域が爵位として担当する区域であればその領域を実行支配している人物こそがその区域を担当する爵位を名乗れるという訳だ。
もっと簡単に言うと、その地域には侯爵という名がありその地域を手に入れたものがその名を、侯爵と銘打つことが出来るというものだ。
ティム侯爵の場合、先王から子爵の地位を担当する地域を下賜され後は自らの手腕で侯爵の担当地域を手に入れたということだ。文字では簡単に表すことができるが並大抵の努力では為しえないことである。
「おお、ダムソン侯爵。すまなんだな迷惑をかけて」
ティム侯爵を呼び止めた男の名はダムソン侯爵という。彼の名を知らないものはこの国にはいない。なぜならば彼は一時ではあるが八つもの爵位を保持していたのである。
家柄に与えられないということは爵位のある区域を支配していけば自ずと為しえることなのだが八つともなるとそうはいかない。
そもそも爵位を複数保持することができるのかという点だがこの国では可能である。何度も言うようにその爵位を担当する領地を保持していることがその爵位の同義であるため七つも八つも爵位を保持することができるのだ。
爵位が八つということは治めなければならない領地が八つあるという事である。こちらも並大抵の事ではない。結局は侯爵を支持する者達に分け与えたのだが。
この二方が貴族派になった事により派閥が形成され諍いの原因となった。といっても過言ではなかった。
だが現状はどうだろう。貴族派は無きに等しい。それが現状。もしこのままこの諍いに負けてしまえばフラン殿下は絞首刑もしくは斬首刑に処されるだろう。それだけはなんとしてでも阻止しなければならない。確かに王になると公言したのは彼ではあるが、それは弟を思ってのことである。彼に罪は無いのだ。貴族派が勝手に壇上に担ぎ上げただけなのだ。何の罪も無いのに刑罰を与えられるのは先王にも忍びない。だからこそ自分達が身代わりになる覚悟で彼を逃がさなければならない。
彼らは王に対する忠誠心は未だ健在である。ただ私利私欲に目が眩んでしまっただけなのだ。それに対する代償は自らの命。
仕方の無いことである。それがこの戦乱の世の理なのだから。
「後は殿下が決意することを待つだけですな」
「そう、だな」
交わす言葉は少ないが彼らは同じ事を熟慮しているだろう。
「決行は明後日だな」
「ええ、これだけは失敗を許しませんよ」
「抜かりは無い」
「それならば良いですが」
「はっはっはっ。なあに大丈夫さ。そんなに固く成っていたら成功するものも失敗するぞ」
豪勢な笑い声である。ダムソンはため息を吐いた。
「はぁ……あなたという人は」
「ふ、まあよいではないか。そうだ明後日が最後になる。酒宴でも盛大に開こうじゃないか」
「……そう、ですね。それもいいかもしれません」
夜、城内は明かりと笑い声が絶えることは無かったという。
‡
「フラン=ウィリアムズ第一王子殿下からご用談が有るとの言伝をお受けしましたが……」
「兄上か! 即刻お通ししろ!」
貴族派の宮内から出てくることがなくなり、顔を合わせる事は久方ぶりである。
密談という事で室内から護衛の兵士達を退室させる。
「カラムか……」
久方ぶりに見せたその顔振りは磨耗しやつれ、以前あった覇気が消失していた。
「嗚呼、兄上お元気でしたか。大分やつれたようですが」
「大丈夫だ。心配するな」
心配するなと言われてもその変わり様は目を疑うほどである。
「今日は話しがあって来たのだが、手間をとらせたな」
「いえ、お気に為さらずに……。では、本題に」
こんな人だっただろうかと疑いたくなる。雰囲気や口調までもが。そう思わざる終えない程までに変わっていたのだ彼が。
「お前も知っての通り、我等貴族派は最早風前の灯だ。もちろんこのまま行けば我々が敗北する事も重々承知している」
カラム自身は兄は自ら自身に対立していると思い込んでいるが事実はそうではない。事実ではないのだが王になると彼は公言してしまっているのだから表向きはそういうことになってしまっている。
「ええ、このままだと兄上は謀反の罪等で刑に処されるでしょう。」
王族や国(現政府)対し反旗を翻し謀反の罪を働いたものは一律して斬首または絞首刑である。稀に生涯幽閉という刑に処されるものがいるがそれは敵国の捕虜であったりと何かしらの理由がある。
「ですが、私もできる限りの事はします。王が抗議すれば幾らかは刑が和らぐでしょう。まあ、今の私では高が知れているかもしれませんが幽閉という形にでもすれば命は助かりますし、いつか必ず開放することを誓います」
兄の話とは自身に降りかかる刑を和らげる事はできないかと交渉しに来たものだとカラムは考え、今できる事の最低限の事は言ったつもりだった。
「ふむ、私は処されることを拒みに来たのではないのだがな……むしろ私は刑を受け入れる気でいたよ」
そんな事を言うのだ。カラムは驚愕に顔が引き攣る。
「何を仰っているのですか! 私は貴方に死んでほしくは無い。たった一人の家族なのですよ」
長兄であったフランは王族の教育を受ける内に家族の情など儚い物だと考えるようになっていた。実際、諸外国では王族同士で殺し合いなど日常茶飯事である国も別段珍しくも無く、そんな事を教えられてきた身に家族の情などという幻想は浮かぶはずも無い。
だが、この弟は違う。初めから王になる為の教育を受けたわけでもない、先王も王座に据える気はないようだった。自由奔放で無知の馬鹿、幼き頃は共に遊んでいながらそんな印象を兄に与えていた。明くる日、自分は騎士になると言い出した時は遂に狂ったかと思わざるをえなかった。
しかし、どうだろう一度訓練を受けただけで剣の腕は向上し、魔術に至っては膨大な魔力が満ち満ちており底が見えないとまで言われていた。これを天賦の才とでも言うのだろうか。
片や王族としての人間教育による自由の剥奪、片や腕を見込まれ自由奔放、剣客として名を馳せる。
これほどまでの対比が有ってでも兄は弟を守ろうとした。
決して信じようとしなかった家族を信じて。
「お別れを言いに来たのだよ」
場の雰囲気が変容する。
「お前はこの国の王になる。国民を、臣を率いてこの国を形成する一部となる。お前にその覚悟はあるか。否、覚悟しろ。騎士たちも何れは国に巣食う貴族たちに変わるだろう。特権階級に固執する愚鈍な者に成り果てる。今お前を取り巻く騎士派の貴族達も一筋縄ではいかない。」
消失していた筈の覇気が復活する。
「私はそんな輩を御してきた。お前はその名声で騎士達を纏め上げた。目指す国は違う。だが祖国を良くしようという信念は共通のものであると信じる。」
覇気を伴うその姿は神々しくもあり禍々しくもある。
「お前は、お前の信ずる国を自身の手で作るんだ。その為には周りの者を最大限に利用しろ。」
男らしく、時には女々しく。それが第一王子の処世訓である。
「頑張れよ。兄弟」
部屋を去るその後姿はどこか酷く懐かしいものだったという。




