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限界集落の終活、配信します。  作者: ふふ太郎


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第1話 父は、村を残すなと言った

 釜野(かまの)地区の人口は、父が死ぬまで27人だった。


 父が死んで、26人になった。


 数字にすれば、それだけのことだった。


 けれど、東京から7時間かけて帰ってきた佐久間直人には、その1人分が、村のどこを見ても抜け落ちているように思えた。


 玄関脇に脱ぎ捨てられていた泥だらけの長靴。


 薪小屋に突っ込まれたままの、刃の欠けた鉈(なた)。


 居間の柱に掛かった、10月の農協のカレンダー。


 どれも父がそこにいるときには "ただの物で" 気にも留めなかったものだった。


 葬儀を終えた翌朝、直人は軽トラックで集落を一周した。


 実家の車庫に残されていた、20年物の軽トラックだ。

 アクセルを踏むと、エンジンは大きな音を立てるわりに、坂道をゆっくりとしか上らなかった。


 集落を囲む山は、子どものころより近くなっていた。


 道の両側から伸びた草と木が、人の通る場所を狭めていた。


 かつて同級生の家だった建物は、雪の重みで屋根の中央が落ちていた。

 軒先には赤い郵便受けだけが、まっすぐ立っている。


 その隣の家には、もう表札がなかった。


 さらに先の家は、去年まではカーテンが開いていた。

 そこに住んでいたトミさんが、昨年の冬の初めに亡くなったことを、父の通夜で聞いた。


 帰省するたびに、誰かがいなくなる。


 回覧板を持っていくたび、菓子箱から好きなものを1つ選ばせてくれた人。


 学校からの帰り道、大雪の中を歩いている直人を見つけ、そのまま車に乗せて家まで送ってくれた人。


 投げた石で車庫のガラスを割ったとき、ひどく怒ったくせに、帰りにはお菓子を持たせてくれた人。


 直人の記憶の中では、みんな当時の顔のままだった。


 だから訃報を聞くたびに、現在の老人ではなく、記憶の中の大人が突然消されていくような気がした。


 軽トラックのタイヤが、アスファルトのくぼみを拾った。


 舗装には細いひびが走り、その隙間から雑草が伸びていた。


 少し先に、田んぼの脇から山へ入っていく細い農道があった。

 子どものころは毎日のように誰かが通っていた道だ。

 今は入り口をススキが塞ぎ、その先がどこへ続いていたのかも分からない。


 『道はな、人が歩かねぐなると、山に戻るんだ』


 ふいに、祖父の清一の声を思い出した。


 直人が10歳のころだった。その農道の草刈りに連れていかれ、

 疲れた、帰りたいと文句を言った直人に、祖父は鎌を動かしながらそう言った。


 道が山に戻るはずがない。


 子どもの直人は、意味が分からなかった。


 祖父が亡くなったのは、もう7年前だ。


 今、その農道はほとんど草に埋まっている。


 舗装された道でさえ、ひび割れ、くぼみ、誰も直さなければ少しずつ土に近づいていく。


 大人の言葉は、ずいぶん遅れて意味が分かる。

 分かったころには、その人に何も聞けなくなっている。


 直人は集落の外れで軽トラックを停めた。


 眼下に、10数軒の家が見えた。青いトタン屋根。

 その間を縫う細い道。廃校になった小学校の、錆びた時計台。


 山の向こうには雲が溜まり、朝の光が筋になって田んぼへ落ちていた。


 写真に撮れば、美しい故郷に見えるだろう。


 けれど、この風景を維持していた人が、また1人いなくなった。


 スマートフォンが震えた。


 『片づけ、今日中に終わりそう?』


 妻の美咲からだった。


 葬儀に来ていた美咲と小学2年生の娘は、学校があるため、昨夜のうちに東京へ戻っていた。


 『無理。山だけで14筆ある』


 返信すると、すぐに泣いている熊のスタンプが送られてきた。


 市役所でもらった資産の一覧には、宅地、田、畑、山林と、見慣れない地番が何行も並んでいた。


 父が持っていることさえ知らなかった土地もある。


 不動産会社には、山林だけでは値段がつかないと言われた。

 

 実家と畑をまとめても、買い手がいるかは分からない。


 持っていれば、税金だけではなく、草刈りや倒木の管理も必要になる。


 父から受け継いだのは、財産というより、終わらせ方の分からない仕事だった。


 「長男だから、か」


 軽トラックの中で口にしてみた。


 子どものころから何度も聞いた言葉だった。


 長男だから盆には帰ってこい。


 長男だから墓を守れ。


 長男だから、いつかは家のことを考えろ。


 大学進学で東京へ出てから、20年ほどになる。

 卒業後も東京で働き、結婚し、子どもが生まれ、家族3人で暮らしてきた。


 それでも「長男だから」と言われると、東京で過ごした20年が仮住まいだったような気持ちになった。


 *


 実家へ戻ると、父の部屋の片づけを再開した。


 机の引き出しには、土地の図面、税金の領収書と、何冊もの5年日記が几帳面に収められていた。


 4月19日、種まき。苗箱48枚。


 5月14日、田植え。去年より3日早い。


 6月9日、畑に肥料。午後から雨。


 同じ日付のページに、5年分の農作業の記録が並んでいた。

 古い1冊を取り、8年前の欄をたどると、その中に1行だけ、畑とは関係のないことが書かれていた。


 6月2日、直人から電話。孫が生まれた。名前は灯(あかり)。母子ともに元気。


 直人はその文字を指でなぞり、日記を閉じた。


 机の隅には、父が使っていた古いノートパソコンがあった。


 電源を入れると、デスクトップに「釜野」と書かれたフォルダが1つだけ置かれていた。


 フォルダを開く。父がスマートフォンで撮影し、パソコンへ取り込んだらしい28本の映像が、日付順に並んでいた。


 ファイル名には、村人たちの名前がついていた。


 佐藤キヨ。


 安達正志。


 阿部ミネ。


 昨年亡くなったトミさんの名前もある。


 そして、一覧の中に1つだけ、人名ではなく宛名をつけたファイルがあった。


 『直人へ』


 直人はしばらく迷ってから、その映像を開いた。


 画面に、実家の縁側が映った。


 撮影されたのは秋らしい。庭の柿が赤く色づいている。


 やがて父が画面の中央へ座った。


 病気になる前の、まだ頬の肉が落ちていない父だった。


 スマートフォンをうまく固定できないのか、父は何度もレンズをのぞき込み、ようやく諦めたように息を吐いた。


 『直人』


 名前を呼ばれただけで、直人の指が止まった。


 『お前がこれを見てるなら、俺はもういないんだろう』


 画面の中の父は、そこで一度、庭の方を見た。


 『みんな、お前に言うと思う。長男なんだから、家を継げ。山を守れ。村へ戻ってこいって』


 直人は無意識に、背筋を伸ばしていた。


 『俺も、昔は言ったかもしれない』


 父は膝の上で両手を組んだ。


 『悪かったな』


 その一言は、直人が生きている父から一度も聞いたことのないものだった。


 『お前の家は、もうここじゃない。美咲さんと、灯ちゃんがいるところがお前の家だ』


 カメラの向こうで、風が吹いた。


 庭の柿の葉が1枚落ちた。


 『だから、山は売れ。家も、田んぼも、持っていられないものは全部手放せ』


 直人は画面を見たまま動けなかった。


 父が何を望んでいるか、分かっているつもりだった。


 自分は長男で、父は自分に帰ってきてほしいのだと、ずっと思っていた。


 画面の中の父は、直人が一度も想像しなかった言葉を口にした。


 『この村を、残そうとするな』

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