浮島
(曇らせは趣味じゃ)ないです。
白雨の蔦が、妖精の身体を縛り上げていた。
それでも、妖精は抵抗しなかった。
ただ、何事もなかったかのように、白雨を見つめている。
「……このはを、どこへ連れていった?」
白雨の声は低かった。
先ほどまでの慟哭は、まだ胸の奥に残っている。けれど、今は悲しみに沈んでいる場合ではなかった。
一刻も早く、このはを取り戻さなければならない。
「……答えてくれないかな」
妖精は小さく首を傾げた。
その仕草に、白雨の蔦がわずかに締まる。
「君がこのはを連れていったんだろう? なら、君には戻すこともできるはずだ」
――今日は、もうできない。
声ではない。
言葉というより、意味そのものが頭の中へ流れ込んでくるような感覚だった。
白雨は眉を寄せた。
「……できない?」
――神隠しは、一日一度。
白雨は、しばらく言葉を失った。
一日に一度。
つまり、今日このはを連れ戻すことはできないということだ。
「……それなら、明日になったら連れていってくれるんだね?」
――うん。
妖精は、何の迷いもなく頷いた。
その無邪気な反応に、白雨は奥歯を噛みしめた。
明日まで待てというのか。
このはがどこにいるのかも分からないまま。
無事なのかどうかさえ分からないまま。
「……君は、どうしてこのはを連れていったんだい?」
白雨は、感情を抑えながら尋ねた。
「何か目的があったのかい。それとも、このはに何かをさせたかったのかな?」
――ううん。
妖精は首を横に振った。
――あの人間が気に入ったから。私の好きな場所を見せてあげたかっただけ。
「……それだけ?」
――うん。前回もそう。
白雨は目を見開いた。
この妖精が、このはをこの世界、プラントへ連れてきた張本人だったのだ。
悪意は感じられなかった。
嘘をついている様子もない。
妖精は本当に、それだけの理由でこのはを2回も連れていったのだ。
気に入った相手がいたから、自分の好きな場所を見せてあげたい。
ただ、それだけ。
相手がどう思うかも、突然いなくなったらどれほど心配するかも、妖精にとっては考える必要のないことだったのだろう。
「……君は」
白雨は言葉を切った。
怒りが消えたわけではない。
このはを奪われた恐怖も、今すぐにでも取り戻したいという焦りも、何ひとつ変わっていなかった。
ただ、目の前の存在には、常識が通用しない。
それだけは理解できた。
「……明日になったら、必ずこのはのところへ案内してくれるんだね?」
――うん。約束。
妖精は嬉しそうに笑った。
白雨は、その笑顔を見つめたまま、静かに息を吐いた。
「……分かった。けれど、それまではここにいてもらうよ」
蔦が解けることはなかった。
妖精は少し不思議そうにしていたが、やがて気にすることもなく、白雨を見つめ続けた。
白雨はそっと目を伏せた。
「……このは」
声に出して名前を呼ぶ。
返事はない。
それでも、明日には必ず迎えに行く。
何があっても、このはを連れて帰る。
白雨は、そう心に決めた。
---
「……どこだ、ここ」
俺は、見知らぬ草原に立っていた。
目の前には青い空が広がり、遠くには白い雲が流れている。
つい先ほどまで、白雨と森を歩いていたはずだった。
あの妖精が俺の手に触れた瞬間、景色が歪んで。それからのことは、よく覚えていない。
「白雨……?」
名前を呼んでみても、返事はなかった。
当然だ。周囲に白雨の姿はない。
胸の奥がざわついた。
白雨は無事だろうか。あの妖精は、いったい何をしたんだろう。
考えても答えは出なかった。
そのとき、肩の近くで小さな羽音が聞こえた。
「……ルミナス?」
青い羽を揺らしながら、小さな妖精が俺の周囲を飛んでいた。
いつの間に付いてきていたのだろう。
ルミナスは俺の目の前で止まると、心配するような感情を伝えてきた。
「お前も一緒に飛ばされたのか?」
ルミナスがふわりと旋回する。
どうやら、そうらしい。
続いて、少し得意げな感情が伝わってきた。
「……もしかして、お前が何かしてくれたのか?」
ルミナスは俺の周囲を一周した。
詳しいことは分からない。
けれど、どうやらルミナスのおかげで、どこか遠い世界へ飛ばされることだけは避けられたようだった。
「そっか……。ありがとう、ルミナス」
そう伝えると、ルミナスは嬉しそうに羽を震わせた。
ひとまず、ひとりきりではないことに安堵する。
とはいえ、ここがどこなのかも、どうすれば帰れるのかも分からない。
「……まずは、周りを調べるか」
俺は草原を歩き始めた。
しばらく進んだところで、ふと足を止める。
草原の先に、地面がなかった。
正確には、地面の向こうに広がっていたのは、果てしない空だった。
「……え?」
恐る恐る近づき、下を覗き込む。
遥か下方には、雲海が広がっていた。
俺が立っている大地そのものが、空中に浮かんでいるらしい。
「……浮島ってことか?」
思わず呟いた。
元いた世界なら、そんなものがあるはずもない。
けれど、ここはプラントだ。何があっても不思議ではない。
俺は雲海から目を離し、島の内側へと視線を戻した。
そのとき、遠くに巨大な建造物が見えた。
高くそびえる尖塔。白い石壁。空に向かって伸びるような城郭。
「……城?」
遠目にも、その大きさはよく分かった。
あそこに人がいるなら、ここがどこなのか分かるかもしれない。
俺は城を目指して歩き始めた。
---
城門は開かれていた。
周囲に見張りの姿はない。
警戒しながら門をくぐると、手入れの行き届いた庭園が広がっていた。
整えられた植え込み。美しい花壇。水の張られた噴水。
人が暮らしている形跡は、確かにある。
城内へ進むと、廊下には調度品が並び、壁には細やかな装飾が施されていた。広間には長いテーブルが置かれ、別の部屋には本棚がいくつも並んでいる。
どこも荒れた様子はなかった。
まるで、つい先ほどまで誰かが暮らしていたかのようだった。
「……誰かいませんか?」
声をかけてみる。
返事はなかった。
廊下を進み、いくつかの部屋を覗いてみても、誰も見つからない。
これだけ立派な城なのに、人の気配がまるでなかった。
「……留守なのか?」
そう呟きながら、さらに奥へと進む。
やがて、広い廊下の先に影が見えた。
「……!」
ようやく誰かに会えた。
俺は安堵しかけて、声をかけようとした。
その瞬間、大きな龍がこちらを振り向いた。
「……む?」
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