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プラント ~大妖の森で君と暮らす~  作者: 天鵞絨色の紫陽花
テラリア大陸編

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お気に入りの匂い


窓から差し込む午後の日差しは穏やかで、森から吹き込む風がカーテンを揺らしている。


昼食を終え、このはは台所で皿を洗っていた。


「……ん?」


ふと、背中に温もりを感じた。


誰かが後ろから俺を抱きしめている。


振り返らなくても、誰なのかはすぐに分かった。


「白雨? どうしたんだ?」


「うん。少しこうしていたくてね」


白雨は俺の背中に顔を寄せたまま、平然と答えた。


細い腕が腹のあたりに回されている。白い髪が肩に触れ、彼女の温もりが背中越しに伝わってきた。


……どうして急に抱きついてくるんだ。


「……今、皿を洗ってるんだけど」


「見れば分かるさ」


「白雨も濡れちゃうよ」


「でも私は今こうしたいんだ」


困ったものだ。


とはいえ、声に不満があるわけでもなく、むしろどこか満足そうに聞こえる。


俺は小さく息を吐き、再び手元の皿に目を向けた。


「……せめて、洗い終わるまで待っててくれないか?」


「分かったよ。ここで待っているね」


そう言いながらも、白雨は俺を抱きしめたままだった。


「いや、待つっていうのは……」


「うん?」


背中越しに首を傾げた気配がする。


……どうやら、白雨の中ではこれで話がまとまっているらしい。


仕方なく、俺はそのまま皿洗いを続けた。


水の流れる音だけが台所に響く。


白雨は何も言わず、俺の背中に頬を寄せていた。ときおり、心地よさそうに身じろぎするのが分かる。


「……白雨」


「なんだい?」


「どうして、そんなにくっついてくるんだ?」


少し気になって尋ねてみる。


すると、白雨はほんのわずかに顔を上げた。


「君の匂いが好きだからかな」


「……匂い?」


「うん。君のそばにいると、落ち着くんだよ」


あまりにもあっさりと告げられて、俺は思わず手を止めた。


白雨は植物を根源とする大妖だ。森に満ちる花や草木の香りだって、俺なんかよりずっと身近に感じているはずだ。


そんな白雨が、俺の匂いを好きだと言う。


「……そんなに好きなのか?」


「そうだね。少なくとも、こうしていたくなるくらいには」


「そ、そうか……」


返事をしながら、俺は再び皿を洗い始めた。


背中から、かすかな笑い声が聞こえた。


「ふふ。君は、こういうことを素直に言われると照れてしまうんだね」


「……こんなこと急に言われたら誰だって照れるよ」


「ふふ。私は思ったことを言っただけなんだけどね」


「分かってるよ……」


白雨にとっては、本当にそれだけなのだろう。


匂いが好きだから、そばにいたい。


落ち着くから、くっついていたい。


それを隠す必要も、恥ずかしがる理由もない。


……まったく、白雨らしいといえば白雨らしい。


やがて最後の皿をすすぎ終え、俺は水を止めた。


「よし。終わったぞ」


「お疲れさま」


白雨はようやく腕をほどいた。


濡れた手を拭いて振り返ると、彼女はすぐ目の前に立っていた。


長い白髪がさらりと揺れる。灼眼がこちらを見上げ、整った顔に穏やかな笑みが浮かんでいた。


「…それで、満足した?」


「そうだね。だから今度はこちらからがいいかな」


「え?」


聞き返す間もなく、白雨が一歩近づいた。


細い腕が俺の背中に回され、そのまま身体を寄せられる。


そして、白雨は俺の胸元に顔を埋めた。


「……っ、白雨?」


思わず声が上ずった。


背中から抱きつかれていたときとは、まるで違う。


目の前にいる彼女の白い髪が頬をかすめる。腕の中にすっぽりと収まった白雨の身体は思っていた以上に柔らかく、抱きしめられていることを嫌でも意識してしまう。


普段から近くにいる相手だ。隣に座ったり、肩を寄せたりすることにも、以前ほど戸惑わなくなった。


けれど、これはさすがに別だろう。


……近すぎる。


「どうしたんだい?」


胸元から顔を上げた白雨が、不思議そうに俺を見つめた。


すぐ目の前に、彼女の顔がある。


切れ長の灼眼も、長い睫毛も、こんな距離で見れば余計に意識してしまう。


「いや、その……」


言葉が詰まる。


白雨は俺の顔をじっと見つめていたが、やがて何かに気づいたように目を細めた。


「……ふぅん。少し驚かせてしまったようだね」


「少しどころじゃないよ……」


「ふふ」


「急にこんな……」


そこまで言って、俺は口をつぐんだ。


白雨を抱きしめるように回された腕。自分の胸元に感じる彼女の温もり。


意識すればするほど、どうにも落ち着かなくなる。


「……嫌だったかな?」


白雨の声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。


からかうような響きはない。ただ、本当に俺の気持ちを確かめているようだった。


「……嫌なわけないだろ」


そう答えると、白雨は安心したように微笑んだ。


「なら、いいだろう?」


そう言って、再び俺の胸元に頬を寄せる。


……この人は、本当に。


俺のほうばかりが意識しているのが、なんだか少し悔しい。


それでも、離れてほしいとは思わなかった。


俺は一瞬ためらってから、そっと白雨の背中に腕を回した。


すると、白雨は安心したように身体を預けてきた。


「うん。やっぱり、君のそばは落ち着くね」


胸元から聞こえる声は、いつもと変わらず穏やかだった。


「……白雨は、俺が落ち着かないとは思わないのか?」


「君も、私と一緒にいるのは嫌いじゃないだろう?」


「それは……そうだけど」


「なら、問題ないね」


あっさりと言い切られてしまった。


……理屈としては、間違っていないのかもしれない。


けれど、もう少しこちらの心の準備というものを考えてほしい。


そんなことを思いながらも、俺は白雨の背中に添えた手を離さなかった。


しばらくすると、白雨が小さく身じろぎした。


「……もう少し、このままでいさせてくれるかな」


「……もちろん。好きなだけいていいよ」


そう答えると、白雨は満足そうに目を閉じた。


「ありがとう。このは」


その声があまりにも穏やかで、俺はようやく肩の力を抜いた。


……まったく、敵わないな。


俺は白雨の髪をそっと撫でた。


彼女は何も言わず、ただ嬉しそうに俺に寄り添っていた。


どうやら今日の午後は、しばらくこのまま過ごすことになりそうだ。


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