夜の大妖
本日2話目です。
昼下がり。
このはは縁側に座って、庭を眺めていた。
白雨はその隣で、いつものように静かに庭を見ている。
袖から伸びた蔦が、白雨の意思に合わせて庭の手入れをしていた。
「……」
このはは、最近すっかり見慣れてきたその光景を眺める。
最初に見た時は驚いた。
今でも不思議ではある。
けれど、白雨の一部として動く蔦は、もうこの家の日常の一部になりつつあった。
その時だった。
風が止まった。
「……?」
このはが顔を上げる。
さっきまで明るかった空が――暗い。
まるで昼という時間だけが、突然どこかへ消えてしまったかのようだった。
太陽は見えない。
けれど、完全な闇でもない。
空一面に、無数の星が浮かんでいた。
月まで浮かんでいる。
「……え?」
このはは立ち上がった。
「何これ……」
隣にいた白雨は、空を見上げている。
そして。
「……うるさいのが来た」
小さく呟いた。
「......?」
その瞬間。
空から何かが降りてきた。
星々の間を、ゆっくりと落ちてくる。
黒と銀の髪。
紫色の瞳。
顔の周囲には、夜会の仮面を思わせる装飾的な意匠が施されている。
身に纏っているのは、黒、紫、白、金を基調とした豪奢な道化師衣装。
星や月を思わせる装飾に、細かなチェーン。
頭には道化師の帽子。
どこか夜から抜け出してきたような姿で、その存在感はひどく妖しい。
そして、その男は。
楽しそうに笑っていた。
「やあ、白雨サマ」
「……星架」
白雨は少しだけ目を細めた。
「久しぶりだね」
「相変わらず愛想がないなあ」
星架はくすくすと笑う。
そして、白雨の隣にいるこのはへ視線を移した。
紫色の瞳が輝く。
「……おや?おやおや?」
一歩。
近づいてくる。
「人間?」
「このはだよ」
白雨が答える。
「ふうん」
星架はこのはの周囲をぐるりと回る。
「へえ」
星架は楽しそうに笑った。
「白雨サマが人間を家に置いてるんだ?」
「そうだね」
「珍しいなあ」
星架はこのはの顔を覗き込む。
「ねえ、このはサマ」
「え?」
「白雨サマのこと、好き?」
「えっ」
このはの顔が一気に赤くなる。
「な、なんでいきなり……!」
「だって気になるじゃない?」
星架は楽しそうに笑う。
「わざわざこんな森の奥で、白雨サマと一緒に暮らしてるんだもの」
「それは……」
「まさか、もう恋人だったりする?」
「ち、違います!」
「ははっ」
星架は声を上げて笑った。
「面白いなあ、このはサマ」
「星架」
白雨が静かに呼ぶ。
「その辺にしておこうか」
「えー?」
星架は不満そうに頬を膨らませる。
「いいじゃないか。せっかく面白いものを見つけたんだから」
「客人を玩具にしないでくれるかな」
「僕は楽しいことが好きなだけだよ」
「それを玩具にしていると言うんだ」
このはは二人を交互に見る。
白雨とは知り合いらしい。
それも、かなり気安い。
けれど。
どう見ても普通ではない。
「……あの」
このはが恐る恐る口を開く。
「えっと…星架さん…?」
「うん」
星架が振り返る。
「僕のこと知ってるんだ?」
「白雨さんが今名前を……」
「ああ、なるほど」
星架は笑った。
「それじゃあ、改めて名乗らないとね」
芝居がかった仕草で一礼する。
「僕は星架」
紫色の瞳が、楽しそうに細められる。
「夜の大妖――『夜宴遊戯』、星架サマだよ」
「……大妖」
このはは黙って星架を見る。
夜の大妖。
夜宴遊戯。
聞いたことのない言葉だった。
何を意味しているのかも分からない。
そんなこのはの反応を、不思議そうに星架はじっと見つめていた。
「……あれー?」
ふっと、星架の口元が歪む。
「ああ、なるほどね」
「?」
「白雨サマ」
星架が白雨を見る。
その瞳には、先ほどまでとは少し違う愉悦が浮かんでいた。
「まだ話してないんだ?」
「……」
白雨は何も答えない。
「ふふ」
星架は妖しく笑った。
「そっかそっか」
「何の話ですか?」
このはが尋ねる。
「いや?」
星架は再び、このはを見る。
「ちょっと面白いことが分かっただけさ」
「……?」
このはには何のことか分からない。
けれど、白雨だけは何を言われたのか理解しているようだった。
「星架」
「分かってるよ」
星架は笑う。
「今は言わないでおいてあげる」
「助かるよ」
「その代わり」
星架は、このはへ顔を近づける。
「いつか聞いてみるといいよ、このはサマ」
「何をですか?」
「白雨サマが、いったい何者なのか」
「……?」
このはが首を傾げる。
白雨は何も言わない。
星架は満足そうに笑った。
「じゃあ、今日はこの辺にしておこうかな」
「もう帰るんですか?」
思わずこのはが聞いた。
「うん」
星架は笑った。
「今度は僕のところにも遊びにきてよ、このはサマ」
「え……」
「その時は、もっと愉しいことをしよう」
「それは……」
このはが困っていると、星架は楽しそうに笑った。
「じゃあね、白雨サマ」
「うん」
星架が空を見上げる。
星々が揺れる。
その姿が夜空へ溶けるように消えていく。
そして。
何事もなかったかのように、昼の空が戻った。
鳥の声が聞こえる。
風も戻ってきた。
このははしばらく空を見上げていた。
「……」
「疲れたかい?」
白雨が尋ねる。
「……ちょっと」
「そうだろうね」
「白雨さん」
「うん?」
「今の人……何だったんですか?」
「変なやつだよ」
「それは分かります」
このはは苦笑する。
「『夜の大妖』って言ってましたけど」
「そうだね」
「大妖って……何ですか?」
白雨はこのはを見る。
「妖の中でも、特に強大なもののことだよ」
「特に強い妖……」
「うん」
「星架みたいに自分の領域を持っているものもいる」
「領域?」
「自分の領地みたいなものさ。自分の力が強く影響する場所だね」
「なるほど……」
このはは考える。
「じゃあ、大妖っていうのは、妖の中でもかなり特別な存在なんですね」
「そうだね」
白雨は静かに頷いた。
「長い時間を生きていたり、人々に強く認識されていたり。最初からそう生まれることもある。星架は夜という概念が人々の間で成立した時から存在する妖だ。――だから夜の大妖」
「……そんなすごい妖だったなんて」
このはは周囲を見る。
深い森。
どこまで続いているのか分からない木々。
この場所へ来てから、森の中で迷ったことは一度もない。
不思議なほど、この森は白雨の存在を中心に回っているように感じる。
蔦も。
植物も。
森そのものも。
「……じゃあ」
このはは白雨を見る。
「この森も、白雨さんの領域だったりするんですか?」
白雨は少しだけ笑った。
「どうだろうね」
また、はぐらかされた。
けれど。
このはには、なんとなく分かる気がした。
星架が現れた時に感じたものとは違う。
この森には、もっと静かで、深い何かがある。
それが何なのか。
今はまだ、確かなことは分からない。
ただ一つだけ。
白雨という存在が、この森と深く結びついていることだけは。
このはにも、少しずつ分かり始めていた。




