落とし物
昼前。
「……これで、だいたい揃ったかな」
このはは、手元の買い物袋を覗き込んだ。
食材に日用品。白雨に頼まれたものも含めて、必要なものは一通り買えたはずだった。
「忘れ物はないかい?」
隣を歩く白雨が尋ねる。
「たぶん大丈夫。帰ってから足りないものに気づかなければいいけど」
「ふふ。そうだね」
二人はマークの通りを歩いていた。
いつもの買い出しを済ませ、そろそろ帰ろうとしていたところだった。
白雨の姿に気づいた人々は、道の端へ避けるようにして距離を取る。
話し声が途切れ、店先にいた者たちも、遠巻きに二人の様子を窺っていた。
白雨はそんな人々を気に留める様子もなく、このはの隣を歩いている。
そのとき、道の脇から小さな声が聞こえた。
「……これも、これも」
何かを数えているような声だった。
このはがそちらへ目を向けると、荷物の陰に小さな妖が座り込んでいた。
丸みを帯びた体に、短い手足。
人間の子供よりもずっと小さく、両腕には何かを抱えている。
その足元には、財布や鍵、手袋、装飾品などが積まれていた。
「……何してるんだ、あれ」
このはが足を止める。
妖は抱えていた鍵を隣へ置くと、すぐに地面へ目を向けた。
「あっ、これも落ちてた」
今度は、道端に転がっていた小さな財布を拾い上げる。
「……落とし物を集めてるの?」
このはが近づいて尋ねると、妖は顔を上げた。
「そうだよ」
「どうして?」
「落ちてたから」
あまりにもあっさりとした答えだった。
このはは、足元に積まれた品々を見た。
財布に鍵、手袋。
どれも、なくしたら困るものばかりだ。
「これ、誰かがなくしたものだよな?」
「うん。落ちてたもの」
「持ち主に返そうとは思わないのか?」
妖は不思議そうに首を傾げた。
「返す?」
「そう。これを落とした人がいるだろ?」
「……うん」
「だから、その人に返してあげたら喜ぶと思うんだけど」
妖はしばらく考え込んだ。
やがて、手元の鍵を見つめる。
「でも、落ちてたよ?」
「……うん。それは分かってるんだけど」
このはは言葉に詰まった。
どうやら、話が噛み合っていない。
妖にとっては、落ちていたから拾った。
それ以上でも、それ以下でもないのだろう。
「ふふ。困っているようだね」
白雨が隣から声をかけた。
「白雨は、この妖のこと知ってるの?」
「この子自身を見るのは初めてだけれど、どういう妖なのかは分かるよ」
白雨は妖の前にしゃがみ込んだ。
妖は一瞬だけ身を固くしたものの、白雨が何もせずにいるのを見ると、また手元の品々へ目を戻した。
「落とし物という、小さな概念を根源に生まれた妖だろうね」
「落とし物が根源……?」
「人が物を落とすこと。落とした物を探すこと。そういう身近な概念から生まれたんだろう」
白雨は、妖が集めた品々へ目を向けた。
「大きな力を持っているわけではないけれど、落ちた物を見つけて拾い集めることには長けている。きっと、この子にとっては、それが自然な行動なんだろうね。たぶん誰が落としたかとかもわかると思うよ」
「なるほどね。だから、理由を聞いても『落ちてたから』なのか」
「そういうことさ」
このはは改めて妖を見た。
妖は二人の話を聞いているのかいないのか、足元に落ちていた小さななにかを拾い上げていた。
「それで、集めたものはどうしてるんだ?」
「ここに置いてる」
「ずっと?」
「うん」
このはは、積み上がった品々を見渡した。
財布や鍵の持ち主は、今もどこかで困っているかもしれない。
このまま道端に置いておくわけにもいかないだろう。
「だったら、拾ったものをまとめて置いておく場所を作ったらどうかな」
「場所?」
「そう。拾ったものを一か所に集めておけば、なくした人も探しやすいだろ?」
妖は少し考えたあと、こくりと頷いた。
「ここに置けばいいの?」
「うん。ただ、道の脇に積んでおくと邪魔になるから、もう少しちゃんとした場所にしよう」
このはは白雨を見た。
「白雨、店の人に相談してみてもいいかな?」
「もちろん。話してみようか」
二人は近くの店を訪ねた。
店主は白雨の姿を目にした途端、顔色を変えた。
慌てて店先へ出てきたものの、彼女と目を合わせることもできず、深く頭を下げる。
「し、紫蔦妖姫様……。本日は、いかがなさいましたでしょうか」
声には、隠しきれない緊張が滲んでいた。
白雨はいつもと変わらない穏やかな調子で答えた。
「少し相談したいことがあってね。そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「は、はい。もったいないお言葉です……」
店主は恐縮した様子で、二人の話に耳を傾けた。
このはが、落とし物を集める妖のことと、拾った品々を保管する場所を作りたいことを説明する。
店主は何度か頷き、やがて思い当たったように顔を上げた。
「なるほど……。確かに、このところ鍵や財布が見つからず、お困りのお客様もいらっしゃいます」
少し考えたあと、店主は店の裏手を指した。
「もしよろしければ、使っていない小さな物置がございます。今はほとんど使っておりませんので、そちらをお使いいただいても構いません」
「本当ですか? 助かります」
このはが礼を言うと、店主は慌てて首を振った。
「とんでもございません。紫蔦妖姫様のお役に立てるのであれば、喜んで」
「ふふ。ありがたく使わせてもらおうか」
「は、はい……!」
店主は再び深く頭を下げた。
こうして、使われていなかった物置を落とし物の保管場所として使うことになった。
二人と妖は物置へ向かい、中を片づけていく。
棚を整え、品物を種類ごとに分けて置けるようにする。
財布や鍵などの貴重品は別に保管し、持ち主が分かるものは確認して返すことにした。
「……こんなもんかな」
このはは、最後の棚を整えた。
「これなら、探しに来た人も見つけやすいだろ」
「うん。いいんじゃないかな」
白雨が頷く。
妖は新しくできた場所を、興味深そうに見回していた。
「ここに、落ちてたものを置くの?」
「そうだよ。道に落ちているものを見つけたら、ここへ持ってくればいい」
「……分かった」
妖は手元に抱えていた鍵を棚へ置いた。
それから、少し離れた場所にあった手袋を拾い、別の棚へ運ぶ。
どうやら、さっそく仕事を始めたらしい。
「これも、ここ?」
「うん。それは手袋だから、そっちでいいよ」
「分かった」
妖は手袋を置くと、満足そうに頷いた。
このはは、その様子を見て小さく笑った。
「……結局、やることは変わらないんだな」
「そうだね。拾って集めること自体は、変わらないからね」
白雨も楽しそうに答えた。
そのとき、物置の入口から声がした。
「失礼いたします。こちらに鍵が届いていると伺ったのですが……」
近所の住人らしい男性が、遠慮がちに顔を覗かせていた。
妖はすぐに顔を上げた。
「鍵?」
棚を見回し、ひとつの鍵を手に取る。
男性がそれを確認すると、ぱっと表情を明るくした。
「ああ、これです! 昨日からずっと探していたんです。本当に助かりました」
男性は何度も礼を言い、鍵を持って帰っていった。
妖は、その後ろ姿を不思議そうに見つめていた。
「……あの人、どうして喜んでたの?」
このはは少し考えた。
「なくしたものが見つかったからだよ」
「落ちてたものなのに?」
「そう。落ちてたものだけど、その人にとっては大切なものだったんだ」
妖は、空になった棚を見た。
しばらく考えたあと、こくりと頷く。
「……そうなんだ」
それ以上、何かを尋ねることはなかった。
妖にとって、落ちている物は拾うもの。
その性質は、きっとこれからも変わらない。
けれど、拾った物を置く場所ができた。
そして、それを探している人がやって来る。
それだけで、人間の暮らしと少しだけつながったのかもしれない。
「じゃあ、俺たちはそろそろ帰ろうか」
このはが白雨に声をかける。
「そうだね。買い出しも済んだことだし」
二人は物置を後にした。
背後では、妖がさっそく道端へ向かって歩き始めていた。
落とし物を探すために。
「……あの子、これから忙しくなりそうだね」
白雨が呟く。
「そうだな。でも、あの仕事は向いてるんじゃないかな」
このはは振り返り、小さな物置を見た。
落とし物を集めるだけだった妖に、落とし物を集める場所ができた。
それは、マークで暮らす人々にとっても、妖にとっても、ちょうどいい居場所なのかもしれなかった。
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