帰る場所
昼下がり。
このはは居間で本を読んでいた。
窓から差し込む日差しは穏やかで、時折、秋の風が庭の草花を揺らしている。
静かな時間だった。
「……このは」
ふと、白雨に呼ばれた。
「ん?」
本から顔を上げると、白雨が湯呑みを二つ持って立っていた。
「お茶にしないかい?」
「いいね。ちょうど休憩しようと思ってたところ」
このはは本を閉じ、白雨の隣へ移動した。
二人で縁側に腰を下ろす。
差し出された湯呑みを受け取り、一口飲んだ。
「……おいしい」
「ふふ。それはよかった」
白雨もお茶を口に運ぶ。
しばらく、二人は何を話すでもなく庭を眺めていた。
こうして一緒にお茶を飲むことも、今ではすっかり日常になっている。
このはは、ふとそんなことを思った。
この世界に来たばかりの頃は、何もかもが知らないことばかりだった。
見たことのない景色。聞いたことのない名前。そして、人間とは違う存在である妖たち。
そんな中で、白雨と暮らすことになった。
最初は戸惑うことも多かったけれど、今ではこの家に帰ってくると自然と安心する。
「……どうしたんだい?」
白雨の声に、このはは我に返った。
「いや、ちょっと考え事」
「そうかい。何を考えていたんだい?」
このはは少し迷ってから、素直に答えた。
「……ここでの暮らしにも、慣れたなって」
白雨は静かにこのはを見た。
「もう半年くらいになるもんね。最初は分からないことばかりだったけど、今はだいぶ慣れたよ」
「それはよかった」
白雨は穏やかに微笑んだ。
「この家も、すっかりこのはの居場所になったね」
「……うん。そうだね」
このはは庭へ視線を戻した。
居場所。
その言葉が、胸の中に静かに残った。
元の世界にいた頃、こんなふうに誰かと暮らすことを想像したことはあっただろうか。
少なくとも、今のような日々が待っているとは思っていなかった。
「……白雨」
「なんだい?」
「俺、ここに来られてよかったと思ってるよ」
白雨は少しだけ目を見開いた。
このはは、照れ隠しをするでもなく続けた。
「白雨と出会えたし、こうして毎日楽しく過ごせてるから」
白雨はしばらく、このはの顔を見つめていた。
やがて、ふっと表情を和らげる。
「……そう言ってもらえると、私も嬉しいよ」
その声は、いつもよりほんの少しだけ柔らかかった。
白雨は湯呑みを置くと、このはの肩にそっと寄りかかった。
そして、このはも白雨が寄りかかりやすいように、わずかに身体を傾ける。
白雨は何も言わず、目を細めた。
秋の風が、二人の間を静かに通り抜けていく。
「……ねえ、このは」
「ん?」
「これからも、ここにいてくれると嬉しいな」
いつもと変わらない、穏やかな声だった。
けれど、このははその言葉に、白雨の小さな願いを感じた。
「……うん。これからもよろしくね、白雨」
白雨は嬉しそうに微笑んだ。
「こちらこそ、よろしくね」
それ以上、二人は何も言わなかった。
ただ肩を寄せ合い、ゆっくりとお茶を飲む。
この家で過ごす、いつもの午後。
けれど、その何気ない時間が、二人にとって少しずつ特別なものになっていることを、二人ともまだ言葉にはしなかった。
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