距離
朝。
このはは台所に立っていた。
「……よし」
味噌汁の味を確かめる。
「うん。大丈夫」
器へ盛り付ける。
「白雨さん、できましたよ」
「ありがとう」
縁側にいた白雨が立ち上がる。
このはが器を運ぶ。
白雨はその様子を見ながら、ふと微笑んだ。
二人で暮らし始めて、もう随分経つ。
こうして朝食を用意することも。
向かい合って食事をすることも。
すっかり当たり前になっていた。
「いただきます」
「いただきます」
静かな朝だった。
⸻
食事を終える。
このはが器を片付けようと立ち上がる。
「俺、洗ってきますね」
「私も行こうか」
「え?」
白雨が立ち上がる。
「手伝うよ」
「いや、大丈夫ですよ」
「そうかい?」
「はい。これくらいなら一人でできますから」
このはが台所へ向かう。
白雨もその後ろをついていく。
「……白雨さん?」
「うん?」
「何かありました?」
「別に何もないよ」
白雨は笑う。
それでも離れない。
「……」
このはは少しだけ首を傾げながら、食器を洗い始めた。
その隣に白雨が立つ。
肩が触れそうなくらい近い。
「……白雨さん」
「うん?」
「ちょっと近くないですか?」
「そうかな?」
白雨は何でもないように答える。
「そうですよ」
「嫌かい?」
「……嫌ではないですけど」
このはは少しだけ頬を赤くする。
「なら、いいよね」
「……」
白雨はそのまま隣にいた。
⸻
昼前。
このはは庭に出ていた。
紫陽花の様子を見ながら、伸びてきた草を抜いていく。
「こっちは大丈夫そうだな」
しゃがみ込んで作業をしていると。
「このは」
「はい?」
白雨が近づいてくる。
「そこ、少し残っているよ」
「え?」
白雨が指差す。
このはが振り返る。
「どこです?」
「そこ」
白雨の手が伸びる。
このはの髪に触れた。
「……」
髪に付いていた小さな葉を取る。
「これだよ」
「……あ」
白雨は葉を見せる。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
白雨が微笑む。
このはは少しだけ視線を逸らした。
「……今日の白雨さん」
「うん?」
「なんだか距離近くないですか?」
白雨は少し考える。
「そうかな」
「はい」
「……嫌かい?」
「だから、嫌じゃないですって」
このはは困ったように笑う。
「ただ……ちょっと恥ずかしくて」
「ふふ。君のそういう顔も良いと思うけどね」
「……」
このはの顔が、さらに赤くなる。
「そういうところですよ」
白雨は楽しそうに笑った。
⸻
午後。
二人で森を歩いていた。
ルミナスも一緒だ。
「今日はこっちへ行ってみようかな」
このはが道を選ぶ。
白雨が隣を歩く。
以前なら少し後ろから見守っていた白雨が、今日はずっと隣にいる。
「……」
このはは横を見る。
白い髪が風に揺れている。
いつもと同じ白雨。
けれど。
やっぱり今日は妙に近い。
「どうしたのかな?」
「いえ」
このはは前を向く。
「なんでもないです」
しばらく歩く。
小さな川へ差し掛かった。
このはが石へ足を乗せる。
その瞬間。
少しだけ足が滑った。
「――っと」
白雨がすぐに手を伸ばす。
このはの手を掴む。
「大丈夫かい?」
「はい」
「気をつけて」
「ありがとうございます」
白雨は手を離そうとする。
けれど。
ほんの少しだけ、その手を握ったままになった。
「……白雨さん?」
「……」
白雨は自分の手を見る。
そして、静かに笑った。
「もう少し、このままでいようか」
「……え?」
このはの顔が赤くなる。
「いや、その……」
何と言えばいいのか分からない。
けれど。
嫌ではなかった。
「……はい」
小さく答える。
白雨は嬉しそうに目を細めた。
二人はしばらく、そのまま歩いた。
手を繋いだまま。
⸻
夕方。
家へ戻る。
「今日は結構歩きましたね」
「そうだね」
縁側へ座る。
ルミナスが二人の周囲を飛んでいる。
「……」
このはは自分の手を見る。
さっきまで白雨と繋いでいた手。
なんとなく、まだ感触が残っている気がした。
「どうしたのかな?」
「……なんでもないです」
白雨はそんなこのはを見て、少しだけ笑う。
「そう」
それ以上は聞かなかった。
けれど。
白雨の手が、そっとこのはの手の近くへ置かれる。
触れそうで、触れない距離。
このははそれに気づく。
「……」
少し迷ってから。
自分から手を近づけた。
指先が触れる。
白雨がこのはを見る。
「……」
このはは少し恥ずかしそうに笑った。
「……こういうのも」
「うん?」
「悪くないですね」
白雨は何も言わなかった。
ただ。
今度は自分から、このはの手をそっと握った。
二人の間に、穏やかな時間が流れていく。
以前よりも少しだけ近い距離で。
それが、今の二人には心地よかった。
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