龍のくしゃみ
本日2話目です。
朝。
このはは昨日白雨にも伝えた通り、森からマークへ向かって街道を歩いていた。
肩にはルミナスが止まっている。
「今日は買うもの多いからな」
ルミナスが翅を揺らす。
「ちゃんと覚えてるから大丈夫」
しばらく歩く。
穏やかな日だった。
風も強くない。
空も晴れている。
「……」
このはは空を見上げた。
雲一つない。
その時だった。
――ピリッ。
空気が震えた。
「……?」
このはが足を止める。
ルミナスが突然、激しく翅を動かした。
「どうした?」
青い蝶が、このはの前へ飛び出す。
そして。
凄まじい雷鳴が響いた。
視界が白に染まる。
「――!」
――そこでこのはの意識は途切れた。
---
その頃。
白雨は縁側に座っていた。
昼を過ぎても、このはは戻ってこなかった。
「……」
いつもなら、そろそろ帰ってくる頃だ。
けれど。
まだ姿がない。
「少し遅いね」
そう呟いて、森へ意識を広げる。
木々。
草。
花。
蔦。
森に存在する植物、その一つ一つへ意識を伸ばしていく。
けれど。
「……いない」
このはがいない。
森のどこにも。
白雨はさらに意識を広げる。
マークへ向かう道。
森から続く植物の気配を辿っていく。
けれど。
途中で途切れている。
少し先まで辿る。
また、途切れる。
さらに先にも。
植物の気配が途切れている場所がいくつもある。
「……」
白雨は目を細めた。
何かに焼かれたのだろう。
その周辺だけ、植物から何も感じ取れない。
けれど。
その先に、このはがいるのかどうかまでは分からない。
「……このは」
名前を呼ぶ。
返事はない。
---
森の中なら、どこにいるのか分かるはずだった。
だが今日は分からない。
「……」
胸の奥が、ざわついていた。
このはが帰ってこない。
ただ、それだけのことなのに。
こんなにも不安になる。
いつからだろう。
いつの間にか。
このはがいることが、当たり前になっていた。
朝になれば顔を合わせる。
食事をする。
くだらない話をする。
森を歩く。
笑う。
そんな日々が、これからも続くと思っていた。
それが。
もし。
「……」
白雨は胸元へ手を置く。
考えたくない。
けれど。
もし、このはに何かあったら。
「……嫌だ」
小さく声が漏れた。
---
その時。
遠くから、翼の音が聞こえた。
巨大な影が空から降りてくる。
赤い鱗。
巨大な翼。
身体には青白い雷が走っている。
龍は森の上空を旋回し、そのままゆっくりと高度を下げる。
そして地面へ降り立った。
巨大な身体が光に包まれる。
赤い鱗が消え。
翼が消え。
龍の姿が、人の姿へと変わっていく。
やがてそこに立っていたのは、赤い髪を持つ女性だった。
片目を髪で隠し、頭には角。
背には大きな翼が残っている。
着物を着崩し、大きな胸をさらしで抑えていた。
「久しいの、白雨嬢」
「……久しぶりだね、アギト」
アギトは白雨の様子を見る。
「どうしたのじゃ?」
「このはが帰ってこない」
「このは?」
アギトが首を傾げる。
「誰じゃ?」
「私と暮らしている人間だよ」
「ほう」
アギトは少し驚いたように目を細める。
「お主、人間と暮らしておるのか」
「うん」
「それで、その人間が帰ってこないと」
「そう」
白雨は頷く。
「マークへ買い出しに行ったんだ」
「なるほどの」
アギトは周囲を見る。
「ならば妾も空から探してこようぞ」
「頼めるかな」
「任せるがよい」
アギトは再び龍の姿へ戻る。
翼を広げる。
そして空へ飛び立った。
---
上空。
アギトは森を抜け、マークへ向かう道でこのはを探していた。
「……」
地上を見下ろす。
道。
木々。
焼けた場所。
その先へ進む。
すると。
焼け焦げた木々の向こうに、何かが見えた。
「……?」
アギトが高度を下げる。
地面に、人間が一人倒れている。
そのすぐそばには。
青い蝶がいた。
「……妖精と一緒か」
アギトは地上へ降りる。
このはへ近づく。
呼吸がある。
「生きておるな」
ルミナスも、弱々しく翅を動かした。
アギトはこのはをそっと抱き上げる。
ルミナスがその肩へ止まる。
「では、帰るとするかの」
再び空へ舞い上がる。
---
しばらくして。
「……ん」
このはは、ゆっくりと目を開けた。
「……?」
目の前に広がっていたのは、見慣れない空だった。
雲が、自分の遥か下を流れている。
「……え?」
身体を動かそうとする。
その瞬間。
自分が誰かに抱えられていることに気づいた。
「……えっ!?」
下を見る。
地面がない。
「俺、飛んでる!?」
「おお、起きたか」
頭上から声がする。
このはが顔を上げる。
そこには、見知らぬ女性がいた。
赤い髪。
片目を隠す髪。
頭には角。
そして、大きな翼。
「……誰!?」
「妾か?」
女性は少しだけ笑う。
「アギトじゃ」
「アギト……?」
「そうじゃ」
このはは困惑したまま、もう一度下を見る。
「いや、それより……俺、どうして……」
「説明は後じゃ」
アギトは前を向く。
「もうすぐ白雨のもとへ着く」
「……白雨さんのところ?」
「そうじゃ」
それを聞いて、このはの表情が少し緩む。
「……よかった」
肩では、ルミナスが弱々しく翅を揺らしている。
「ルミナスも一緒だったのか……」
このはは青い蝶を見る。
「……ありがとうな」
ルミナスが翅を揺らす。
「……」
「どうしたのじゃ?」
「い、いや……」
高い。
かなり高い。
このはの顔が少し青くなる。
「……なんでもないです」
「そうかの?」
アギトは不思議そうに首を傾げた。
---
白雨の森。
白雨は縁側に立っていた。
遠くから翼の音が聞こえる。
「……」
空を見上げる。
龍がこちらへ向かってくる。
その腕には。
「……!」
白雨が駆け寄る。
アギトが地面へ降り立った。
そして。
その腕から、このはを下ろす。
「……このは!」
白雨はすぐにこのはへ駆け寄った。
このはの顔を見る。
呼吸を確認する。
怪我を確かめる。
そして。
「……」
目から、一筋の涙が流れた。
このはは驚いた。
「……白雨さん?」
白雨は答えない。
もう一度、このはの名前を呼ぶ。
「……このは」
その声は震えていた。
「……よかった」
このはは、しばらく白雨を見つめる。
そして。
少しだけ笑った。
「……ただいま」
白雨は目を閉じる。
そして。
そっと、このはの腰に手をまわした。
「……おかえり、このは」
「……」
その言葉に。
その距離に。
このはの顔が赤くなる。
「……はい」
白雨はしばらく、このはに抱き着いて離れなかった。
---
無事に帰ってきた。
それだけで。
今は十分だった。
けれど。
今日初めて知った。
このはが帰ってこないだけで。
こんなにも怖い。
こんなにも、胸が苦しくなる。
そして。
このはが帰ってきたことが。
どうしようもなく嬉しい。
白雨は、まだ頬に残る涙を指で拭った。
その理由を。
もう、誤魔化すことはできなかった。
アギトについてとお仕置きは次回!お楽しみに(?)
励みになりますので良ければ評価、感想よろしくお願いします。




