第四十八話
レイナイト侯爵家の本邸へと秘密裏に書簡が届けられた。
「そういうことだったのか」
それを読んだレイナイト侯爵は眉間にシワを寄せ、唇を噛み締めた。
ダニエルが先代レイナイト侯爵を連れ、本邸に来てからすべての歯車が狂いだした。
ルドルフを次期侯爵と決めて、セラフィーナと婚約させ、ようやく肩の荷が下りた気がしていたところだったというのに。
自分の下した決定に先代侯爵が口を挟み、そのうえ、まるでそれを後押しするかのようにあのような事故が起きてしまうなんて。
しかし、疑問には思っていた。
事故が起きたとされたあの日。
ダニエルは本邸におり、先代侯爵に呼ばれて別邸へ向かった。
先代侯爵の話ではその道中で落石事故にあったセラフィーナを助けた、ということだった。
このままでは本当に自分の決定を変更せざるを得ないと頭を悩ませていたところ、学園にいるはずのルドルフが先代侯爵の監視付きで本邸へ帰宅した。
ダニエルとセラフィーナの婚約が整うまで部屋から出さないように、という先代の命令にレイナイト侯爵は違和感を覚えた。
あまりにも上手く事が運び過ぎている。
そこでレイナイト侯爵は独自に調査してみたのだが、すでに先代侯爵の手の内だった。
調査が行き詰まっていた頃、グランディ公爵家から隠密に書簡が送られてきたのだ。
内容はたったの一言。
『今もルドルフを後継者と考えているか』
その一言に、レイナイト侯爵は迷うことなく『はい』と返答した。
そして、今。
グランディ公爵家からの書簡で自分の違和感の正体が判明した。
レイナイト侯爵は足早にルドルフが軟禁状態にある私室へと向かった。
「ルドルフ。この書簡の内容は事実か?」
もっと早く話をすべきだった。
振り返ってみると、今まで嫡男であるダニエルとは会話を交わしていたが、ルドルフと話すことはあまりなかった。
だから、ルドルフと直接話すという選択肢がレイナイト侯爵にはなかったのだ。
「よかった……アンナの意識も戻ったのですね」
ルドルフの心から安堵した表情が、書簡の内容は真実であると示していた。
「すまなかったな、ルドルフ」
書簡に目を落としていたルドルフが視線を上げた。
もっとルドルフと会話をすべきだった。
貴族としての教育や学業など平等に与え、平等に育てていたつもりでいた。
しかし、そうではなかったのだ。
レイナイト侯爵自身が嫡男であるダニエルにだけ期待を寄せてしまっていた。
そのことに今回、気づかされた。
「もっと早く、お前と話すべきだった」
父親がうなだれるように頭を下げたのを見て、ルドルフは目を丸くした。
「どうやら先代侯爵は歳を取り、耄碌してしまったようだ」
今までに見たことのない父親の怒りに満ちた表情に、ルドルフは目を見開いたまま固まった。
◇
レイナイト侯爵領の別邸で、ダニエルと私の再婚約の手続きが行われようとしていた。
満足げに笑う先代レイナイト侯爵と、どこか吹っ切れた様子のダニエルが対面に座っている。
先日までの私の様子を伺うような感じがしない。
少し疑問には思ったが、もうどうでもいい。
今日、ここですべて完結させるのだから。
「最初に確認しておきたいのですが、私を助けてくださったのはダニエル様なのですね?」
私の言葉に先代レイナイト侯爵は眉をひそめる。
「そうだ。だから、こうしてまたセラフィーナ嬢と婚約を結ぼうとしているのではないか」
「そうですわね。ダニエル様には助けていただいた恩がありますものね」
「ああ。そんなこと、当たり前だろう?」
昔と同じような私を蔑むダニエルの態度にイラッとした。
「その、“当たり前”という言葉、とても便利な言葉ですわよね。それはいったい誰にとっての、何にとっての“当たり前”なのでしょう?」
「は……? 何を言っている?」
心底わからないというダニエルの表情に今度はムカッときた。
「少なくとも、私にとっての“当たり前”とは違うようですわ。ダニエル様、すべてのことが“当たり前”だとは思わないほうがよいと思いますけれど」
この際だから、全部ぶちまけてしまおう。
十年分の私の不満を。
私のダニエルに対する高圧的な言い方に先代レイナイト侯爵の眉間がさらに深く刻まれる。
その様子を見て、私は微笑んだ。
「お祖父様、とお呼びしてもよいと仰っておりましたが……今でもお変わりはございませんか?」
「もちろんだとも! 我がレイナイト侯爵家の嫁になるのだからな。生きている間にこのような可愛い孫娘ができて嬉しいかぎりだと言っただろう」
先代レイナイト侯爵は先ほどまでの険しい顔を何とか取り繕い、笑顔を作った。
「では、お祖父様」
「何かな? セラフィーナ嬢」
「お祖父様はなぜ可愛いと思ってくださる孫娘に罰をお与えになるのでしょうか?」
私の言っていることが理解できないというように先代レイナイト侯爵は首を傾げた。
「罰、だと? 何故、そのようなことを?」
「可愛い孫娘に不幸な生活を送らせることがお望みなのでしょうか?」
「そんなわけないだろう!」
私は憤慨する先代レイナイト侯爵からその隣に座るダニエルへと視線を移した。
「『そんなことは――将来、侯爵夫人になるのだから、わかって当たり前だろう!』
『君の婚約者は私だ。弟の手を取ってもいいはずがないだろう? そんな当たり前のこともわからないのか、君は』
『君は本当に当たり前のことがわからないのだな。それで次期侯爵夫人が務まるのか?』
『当たり前だろう? デビュタントの後、婚約者である君が学園に入ってこなかったら、エスコートをしていた私が恥をかくではないか』
――そして、こちらが決定打になりましたわ。
『君はお嬢様だから、世の中の“当たり前”を知らないのだよ』
『彼女は学園の同級生だ。一度もドレスを選んだことがないというから、友人として助けてあげただけだよ。困っている友人を助けることは当たり前だろう? まあ、君は学園に通っていないからわからないだろうけど』
『そんなこともわからないのか。これだから嫌なんだよ。まあいい機会だから、ハッキリ言っておく。家同士が決めた婚約だから君とは結婚する。ただ――君は学園に入ることもできないくらい頭が悪いのだから、侯爵夫人となる君には補佐が必要だろう? それを彼女に頼もうと思っている』
――どこの誰が愛人を補佐に、と考える男性と結婚したいと思うのです?」
今までダニエルの発した“当たり前”をすべて記憶から掘り起こして投げつけてやった。
あまりのことに言葉をなくした先代レイナイト侯爵と絶望した表情のダニエルにスカッとした私は最上級の笑顔を向ける。
「今までそのようなダニエル様の態度に耐えてこられたのは――ずっとそばにルドルフがいてくれたからです」
ダニエルはハッと顔を上げた。
「そして、今回も」
続けた私の言葉に先代レイナイト侯爵の目が僅かに揺れた。
「私を助けてくれたのは――ルドルフ、ですよね?」
そう確信を持って言い切った私に、先代レイナイト侯爵はガタリと立ち上がった。
「どこにそんな証拠がある! 君を助けたのはダニエルだ!」
想定外の剣幕にビクリと肩が震え怯むと、背後から私を護るような言葉が聞こえた。
「往生際が悪いですよ、お祖父様」
久しぶりに聞いた声に、私の胸がドクリと跳ねた。




