第四十六話
ルディがマルティナ様と婚約することが決まったと先代レイナイト侯爵から手紙が届いたらしい。
「ルディは――覚悟を決めたのね……」
貴族なのだから、当たり前のことだ。
そうなることが当然としてここまで育てられてきたのだから。
「私も――覚悟を決めないと」
少しずつではあるが、自分の脚で歩けるようになってきた。
私は窓際までゆっくり歩くと、押し開けた窓の外を見つめた。
冷たい風が部屋の中に吹き込んでくる。
私の決意を凍らせて、固くするかのように。
私は窓を閉め、父の執務室へと向かった。
◇
「お父様、セラフィーナです」
「入りなさい」
執務中だったのか、机に向かっていた父は私が入室するとその手を止めた。
部屋の中には執務を手伝っていた兄の姿もあり、まだ不安のある足取りの私にすぐさま駆け寄ると、手を引いてくれた。
「ありがとう、セディお兄様」
「構わないよ。さあ、ここに座って」
兄の優しいエスコートで応接用のソファに腰掛けると、私の隣にピタリとくっつくように兄も座った。
父が私たちの対面へと移動し着席したのを確認すると、私は背筋を伸ばした。
「お父様。ダニエル様との再婚約の件、お受けしてください」
「なっ……フィー?」
私の言葉に兄は驚き、目を見開いた。
私の視線の先にいる父は表情一つ変えず、私に質問を投げかけた。
「セラフィーナ。再婚約を受ける、と言った理由を聞かせてくれるか?」
私はまっすぐ父の瞳を見つめて頷いた。
「はい。最初はお祖父様同士の約束から始まった婚約でした。正直、お祖父様の恩をなぜ本人ではない私が返さなければならないのか、と理不尽に思っていたこともありました」
思わず本音が出てしまい、苦笑いを浮かべる。
「でも」
私は表情を引き締めると、呼吸を整えた。
「今回、私を助けてくださったのはダニエル様です。そして、私が恩を返さなければならないのはダニエル様なのです」
「ちょっと待ってくれ、フィー」
隣に座る兄が私の手を握り締めた。
「父上、フィーに話してもよろしいでしょうか」
「……いったい、何を? お父様……?」
父は大きく息を吐き出すと、兄を静止した。
「私から話そう。セラフィーナ、実は今、あの事故について詳しく調査している」
「どういうことでしょうか。何か問題でも?」
「事故現場の状況と、ダニエルたちの証言にいくつか疑問点があってな」
兄が握る手にぎゅっと力を入れた。
「今、私が調査してるところなんだ。だから、頼む。もう少し待ってくれないか、フィー」
普段はどんなことがあっても余裕のある顔を崩さない兄の珍しく焦った表情に、私は思わず頷いていた。
◇
(なぜだ……! なぜ、すぐに再婚約しない?)
祖父である先代レイナイト侯爵を頼り、セラフィーナとルドルフの婚約を白紙に戻したというのに。
セラフィーナは一向に再婚約を受け入れない。
(まあ、あれはきっとグランディ公爵が返事を渋っているに違いない。確かに元は私の不義理な行いのせいだったからな……。しかし、不貞を働いたわけでもないのに厳しすぎやしないか? そもそも、娘が想いを寄せる相手と婚約できれば、幸せになれるだろうに。愛する娘の想いをそんなに阻みたいのか?)
ダニエルは後期中間考査の後、セラフィーナとパルヴィン侯爵家ノーマンが婚約するという噂話を聞き、すぐにレイナイト侯爵領の別邸から先代を連れ、本邸へ来ていた。
しかし、父である現レイナイト侯爵はセラフィーナとルドルフの婚約を白紙に戻しただけで、先代が別邸に戻ったのをいいことに、それ以上話を進めようとはしていなかった。
(父上も父上だ。なぜ、すぐに私との再婚約をグランディ公爵家に打診しない?)
領地に戻ってから数日。
そろそろ学園に戻らないと、後期最終考査に影響が出てしまう。
そんなことを考えていたダニエルに先代レイナイト侯爵から急ぎで別邸へ来るようにと連絡が来たのだ。
『……セラフィーナ?』
別邸の客室に横たわるセラフィーナの姿があった。
頭には包帯が巻かれ、見える範囲は傷だらけ。
その見るからに痛々しい姿はダニエルの心に慈しみの感情を起こさせた。
落石事故にあったというセラフィーナの様子と助け出された時の状況を聞き、先代レイナイト侯爵から『助けたのはお前だ、ダニエル』と言われ、その言葉の意図を理解した。
何日も目覚めないセラフィーナのそばに付いていることで、ダニエルは本当に自分が助けたのだという気になっていた。
だから、セラフィーナが目を覚ました時、本当に愛おしく感じた。
『あなたが、助けてくださったのですか……? ――ダニエル様』
そうセラフィーナに聞かれた時、ダニエルは心から思ったのだ。
『ああ、そうだよ。大切な婚約者を助けるのは、当たり前のことだろう?』
自然と笑顔が溢れ、いつの間にか、セラフィーナの髪を撫でていた。
それから何日も、身体を自由に動かせないセラフィーナに付き添っていたが、彼女から以前のように気に入られようと必死な姿は見られず、笑顔も、ましてや会話すらもなくなっていた。
ダニエルも最初は、まだ目覚めたばかりでそれほどに事故の衝撃が強かったのだと思っていたが、次第に自分といる時だけ表情がなくなることに気がついた。
決定的だったのは、セラフィーナの父親であるグランディ公爵が見舞いに来た時の彼女の表情だった。
自分と一緒にいる時には見たことのない嬉しそうな笑顔。
考えてみれば、一度も向けられたことがない。
事故に遭う前も含めて。
だから、腹が立ったのだ。
グランディ公爵領に帰る許可が下りたと嬉しそうな顔をしたセラフィーナに。
『ここを離れるのがそんなに嬉しいのか?』
思わず口からこぼれ落ちてしまった言葉に、セラフィーナは一瞬表情をなくしたが、すぐにいつもの笑顔で答えた。
『嬉しいというわけではございませんわ。ただ……私はまだ両親と一緒にいたいのです。レイナイト侯爵家に嫁いだら、そうそうグランディ公爵領に戻ることはできませんから』
自分にしか向けたことのない、いつもの笑顔で。
『ああ、なるほど。そうか』
ダニエルはようやく気がついた。
セラフィーナの想いが自分になかったことを。




