第四十二話
「本当に……よかった……」
ルドルフはセラフィーナが無事に目覚めたことを知り、安堵した。
ここ数日は生きた心地がしなかった。
横転した馬車の中で、頭部から出血し、意識のないセラフィーナを見つけた時、ルドルフは自分の身体から血の気が引いていくのを感じた。
セラフィーナを抱えたまま、車内から出ると、一番近くにあるレイナイト侯爵家の別邸まで形振り構わず必死で走った。
今考えると、セラフィーナを抱えた状態でよくあんなに走り続けられたと思う。
それにあの時の――屋敷の者に託したセラフィーナの状態を思い返せば、最悪の事態も頭をよぎった。
それから三日が経ち、セラフィーナも安定してきたと聞いた。
(こんな時にフィーのそばにいられないなんて……)
ルドルフは何とかしてセラフィーナに会いに行こうと試みるも、ことごとく先代レイナイト侯爵に潰されていた。
(あのクソジジイ……!)
先代レイナイト侯爵から、セラフィーナとダニエルの再婚約が成立するまではルドルフの外出を禁ずると言われ、それを破ろうとするたびに幾度となく警告を受けた。
「そんなにも家に留まっていることができないのか、お前は」
ちゃんと大人しくしているかどうかを確認しに来た先代レイナイト侯爵に、ルドルフはにっこりと口角を上げた。
「ええ、後期考査も近いですから。一刻も早く学園に戻りたいのですが……」
「ああ、そうか。そういえば、お前は学園で優秀だそうだな。話は聞いている」
「はい。ありがとうございます」
昔から嫡男であるダニエルにしか興味のなかった祖父がまさか自分の成績を知ってくれているとは思わなかった。
ルドルフは少々驚いたものの、自分の努力が認められたのだと今まで陰ながら頑張ってきてよかった――と、思ったのだが。
「少しは自重しろ。ダニエルが霞むではないか」
(……やっぱり、そうか……)
結局、父親も祖父も嫡男であるダニエルにしか期待していない。
だからこそルドルフは、いつかそんな彼らの期待を叩き潰してやりたいと思っていたのだ。
「申し訳ございません、お祖父様」
「まあ、よい。お前も座れ」
先代レイナイト侯爵はルドルフの部屋のソファにドカリと腰を下ろすと、ルドルフに着席を促した。
「外出するな、というのをお前に強制するのは難しいことがよくわかった。外出禁止を解こうと思う」
「本当ですか……!」
「ああ」
少々前のめりになり、素直に喜んだルドルフに先代レイナイト侯爵は鋭い視線を向けた。
「ただし、条件がある」
「何でしょうか」
「お前も婚約しろ、ルドルフ」
(…………は?)
突然の命令に理解が追いつかない。
「よい条件の釣書が来ているではないか。その中から一つを選べばよいだけのこと。簡単だろう?」
呆然としたルドルフに先代レイナイト侯爵は平然と言葉を続けた。
「お前が選べないというのなら、私が選んでやろう」
「ま、待ってください……お祖父様!」
先代レイナイト侯爵は側に控えていた従者に片手を上げた。
従者は黙っていくつかの書類を差し出す。
「そうだな……これがいい」
その中から一通の書類を抜くと、ルドルフの前に置いた。
「パルヴィン侯爵家マルティナ嬢」
ルドルフは書類に目を落とすことなく、自分の正面に座る祖父にまっすぐ視線を向けた。
「お前の婚約が整えば、自由に外出する許可を与えよう。そもそも、レイナイト侯爵家のため、学業に力を入れているのだろう? ならば、婚約も同じことだ。その婚約が侯爵家のためになるのだから」
ルドルフは唇を結んだ。
「相手が同じ侯爵家なら何も問題あるまい。しかも、グランディ公爵家とパルヴィン侯爵家の間に持ち上がった婚約話の後始末にもなる。両家に恩を売れるよい機会だぞ。マルティナ嬢はお前にとって、これ以上ないくらい相応しい相手ではないか。なあ、ルドルフ」
ルドルフはギュッと拳を握り締めた。
この状況を打破するためには、権力のある後ろ盾が必要だ。
(今の状況をどうにかしてグランディ公爵家に伝える方法はないか……?)
本来なら自分で解決しなければならないことだ。
しかし、ルドルフは学園に通っている年齢であり、成績優秀とはいえ、まだまだ一人前とも言えない。
知識も経験も圧倒的に不足している。
何十年も侯爵として領地を治め、護ってきた祖父に敵うはずもない。
何も言い返すことができず、何の権力もない、今の自分がただただ悔しい。
「実はもうすでに先方に返事をしていてな。近々パルヴィン侯爵家へ挨拶に行く予定だ」
「なっ……!」
「今日はお前にそれを伝えるために来たのだ。次、私が来るまでに仕度をしておけ。先方に失礼のないように。――わかったな? ルドルフ」
「……はい。承知、いたしました……」
ルドルフは大きく息を吸い、目を伏せた。




