第四十話
「セラフィーナ」
「お父様……!」
ダニエルが部屋を出てから、しばらく後。
部屋にノック音が響き、入室の許可を求められた。
その時点で、ダニエルや先代レイナイト侯爵ではないことはわかっていたが、いざ直接、父親の顔を見たら、張り詰めていた糸がぷつりと音を立てて切れてしまった。
足早にベッドサイドに駆け寄った父に手を伸ばす。
父は身体を動かせない私を覆い隠すように、そっと抱きしめた。
「心配したぞ、セラフィーナ」
「うう……ごめんなさい……」
父は堰を切ったように泣き出した私の頭を、まるで幼子をあやすように優しく撫でる。
「無事に目が覚めてよかった」
ひとしきり泣き、ようやく落ち着いたところに先代レイナイト侯爵とダニエルがやってきた。
「この度は娘がお世話になりました」
「いや、構わない。我々はもうすでに家族だろう? ああ、そうだ。こうしてグランディ公爵も来られたし、ダニエルとセラフィーナ嬢の再婚約の話でもしようではないか」
先代レイナイト侯爵の提案に、後ろで控えていたダニエルが満足げに口角を上げた。
その表情を見てしまった私は、抗えない運命に絶望し、反射的に胸を押さえて目を逸らした。
「ああ、セラフィーナ! 大丈夫かい? まだどこか痛むのだな?」
父は大げさなほどに声を上げて彼らに背を向け、私にだけわかるように合図を送る。
『任せておけ』
私は小さく頷くと、苦しそうな表情を浮かべてみせた。
「申し訳ございません。まだセラフィーナは万全ではないようです。つきましては、私と領地へ――」
「そうだろうとも。医師からはしばらく安静に、動かないようにと指示されている。完全に回復するまで、この屋敷で療養するとよい」
父の言葉を遮るように先代レイナイト侯爵はここでの療養を推し進めた。
「危ないところだったのだ。もしあの時、ダニエルがセラフィーナ嬢を救出するのが少しでも遅くなっていたら……そう考えるだけで肝が冷えるな」
「…………」
先代レイナイト侯爵は以前、グランディ公爵であった祖父を助けた時も、こんなふうに話を持っていったのだろうか。
この――呪いのような婚約の始まりも、彼の策略の一つだったのだろうか。
私は悔しくて、唇を噛み締めた。
そんな私の口元に、父は優しく触れる。
「まだ痛むのか、セラフィーナ。そんなに唇を噛んでは傷になってしまうだろう? 確かに先代侯爵の仰る通り、今、移動させるのは得策ではないな。お言葉に甘えさせていただこうか」
「――っ! お父様!」
まさか父が私をこの屋敷に留めておくとは思わずに驚いていると、小さく口元が動いた。
『心配するな』
父は私に背を向け、先代レイナイト侯爵とダニエルに向かい合った。
「セラフィーナは万全ではありませんし、先ほどのお話はまた日を改めて――よろしいでしょうか」
「……ああ、もちろんだとも」
私の状態でこの場所に縛り付けている以上、強引に進めることはできないはずだ。
「セラフィーナ。また、来る」
「はい、お父様」
きっと父にも何か考えがあるのだろう。
身体を自由に動かすことができない私は、ただただ父のことを信じて待っていればいい。
(でも――ルディの様子は聞きたかったな……)
私がここにいることを、ルディは知っているのだろうか。
私が事故に遭ったことも、今まで意識不明だったことも。
(知っていれば、すぐに飛び込んで来そうなのに)
今、向かっている途中なのか。
それとも――まだグランディ公爵家のタウンハウスにいて、何も知らずに学園へ通っているのだろうか。
最後に見たルディを思い出す。
カメリア様に腕を取られていても、品行方正で完璧な王子様スマイルを崩さなかった。
『今はもう心配はいらないはずでしょう? それに――お二人は婚約者でなくなったわけですし』
カメリア様の言葉が頭の中に響き渡る。
このまま私がダニエルと再婚約することになれば、カメリア様はルディの婚約者候補になるのだろう。
ルディならきっと、婚約相手となる御令嬢にも気づかれず、気持ちを隠し通すことができるに違いない。
現に私がそうだったのだから。
二人が微笑み合う姿を思い浮かべると、急に胸が苦しくなり、私は眉間にシワを寄せた。
「セラフィーナ! 大丈夫か?」
心配そうに近づいてきたのは、今、一番会いたい人ではない。
「ごめんなさい、ダニエル様」
私は胸元をぎゅっと押さえ、瞳を閉じた。
「一人に……して、もらえませんか?」
先代レイナイト侯爵は父を見送るため、先に出ており、今、この部屋の中にはダニエルと私、二人だけ。
私の願いに、ダニエルは少し怪訝な顔をしたが「わかった」と頷き、部屋から出ていった。
一人になった静かな空間で、今までのこと、そして、これからのことを考える。
父には何か策があるようだったが、今の状況からしても、ダニエルとの再婚約は回避できないように思う。
祖父の恩に加え、自分の恩まで重ねてしまった。
もしかしたら今頃、社交界にもこの噂は広まっているかもしれない。
『二人は運命で結ばれた婚約者』――なのだ、と。




