第三十九話
「目を覚ましたと聞いて安心したよ、セラフィーナ嬢」
「助けていただき、ありがとうございます」
「何を言う。我がレイナイト侯爵家嫡男の婚約者なのだ。もう家族同然なのだから、助けるのは当然のことだろう?」
私の意識が戻ったと報告を受けた先代レイナイト侯爵が見舞いにやってきた。
どことなくダニエルに似た物言いに胸の辺りがぎゅっと締め付けられ、苦しくなる。
「医師からはまだ安静が必要だと聞いている。君と一緒にいた侍女もまだ意識を取り戻していないのだ。しばらくの間、ここで静養するとよい」
「ありがとうございます」
御礼は述べたが、私としてはここにいることこそ、静養を妨げているように思える。
出来る限り早く、父や母のいるグランディ公爵領に戻りたい。
「一つ、お伺いしたいことがございます」
「何だね。何でも遠慮せず言いなさい。君はダニエルの婚約者なのだ。こんなにも可愛い孫娘ができることを私は心から喜んでいるのだよ。私のことは『お祖父様』と呼んでくれて構わない。これからは亡き先代グランディ公爵の分も、君の祖父として君を大切にしよう」
皮肉なもので、柔らかく微笑んだ顔はルディに似ていて、ドクリと鼓動が速まった。
「ありがとうございます。お祖父様」
先代レイナイト侯爵は満足げに頷いた。
「私の……父や母と連絡は取れておりますでしょうか。私は領地に帰る途中でした。ただ、今回の帰省は先触れを出しておりませんでしたので、心配で……」
最大限に不安な表情を浮かべ、目を伏せてみせた。
先代レイナイト侯爵は慈しみを込めた瞳で私を安心させるように優しい声をかけた。
「心配する必要はない。もうすでに一度、君の様子を見に来たよ」
「えっ? そうでしたか……」
「大丈夫、恐らく今、こちらに向かっているところだろう」
ホッとしたからか、大きく安堵の息が漏れ、同時に涙が溢れてくる。
目の前で泣かれることに慣れていないのか、先代レイナイト侯爵はギョッと目を見開き、オロオロと戸惑い始めた。
「い、今、すぐにダニエルを呼んでこさせよう」
先代レイナイト侯爵は慌てふためいて部屋を飛び出していった。
「ダニエル様は呼んでほしくないのだけれど……」
何より、この状態を見られたくない。
私は溢れた涙を拭い、大きく息を吸い、気持ちを整えた。
「セラフィーナ!」
間を開けず、ノックされた扉からダニエルが飛び込んでくる。
「大丈夫か? お祖父様からセラフィーナが泣いていると聞いた。どこか痛むのか?」
焦った表情も、かける言葉も、想いの通った婚約者そのものだ。
もっと前に、こうしてくれていれば。
「いえ。どこも痛くありませんわ」
私は以前と同じように微笑んでみせた。
ダニエルはベッドサイドに跪き、私の手を取る。
「よかった。もうこれ以上、心配させないでくれ」
「申し訳ございません。ダニエル様」
私は握られた手をゆっくりと引いた。
「目覚めたのが自分の部屋ではなかったので、少し不安になってしまって」
だから、早く領地に帰りたい。と、含ませてみたが、それに気づくわけでもなく、ダニエルはハハッと笑った。
「何だ、そうだったのか。今後、この屋敷にもセラフィーナの部屋ができるのだから、早く慣れなくてはな。そうだ、この部屋をセラフィーナの私室にしてもらおう! ああ、それがいい!」
勝手に話を進め、先代レイナイト侯爵に許可を得るといい部屋を出ていってしまった。
「私の話を聞かないところは相変わらずね……」
それでも、以前よりもずっと私のことを気にかけてくれている。
なぜ、もっと早く――いや、最初から。
お互いを思いやれる婚約者になれていれば。
「こんなに、苦しくなかったのに」
ルディに溺愛され、まっすぐな気持ちを毎日伝えられて、私は愛される喜びを知ってしまった。
私もルディに愛を返したいという気持ちに気づいてしまった。
そんな想いを抱えたまま、ダニエルに向き合うことができるのだろうか。
これから先、この想いを生涯、隠しきることができるのだろうか。
「婚約って――本当に……呪いね」
どれだけ多くの貴族が愛のない政略的な結婚をしてきたのだろう。
不倫、愛人なんてとんでもなく不誠実なことだと思っていた。
好きだという気持ちがこれほどまでに自分を苦しめるなんて思っていなかった。
「でもルディは――隠し続けてくれていたのよね」
私はルディの想いに気づいていなかった。
だから、将来の義弟として、そして、何でも話し合える仲の良い幼なじみという関係でいられた。
「ねえ。どうやったのか、教えてよ。ルディ」
窓の外に広がる空に向かって、手を伸ばす。
「待っていればよかった」
あの日。
あのままルディを待って、一緒に帰っていたら。
帰りの馬車の中で、私の気持ちを伝えていたら。
今が、違っていたかもしれない。でも――
「もう、元には戻らない。もう、元には戻れない」
すべては、私が行動した結果なのだから。




