第三十二話
「父上……どうして、こちらに?」
「私がお呼びしたのです」
「……ダニエル」
先代レイナイト侯爵の後ろから姿を現したダニエルにレイナイト侯爵は小さく息を吐いた。
「マルティナの愚行の責任を取って、セラフィーナとノーマン様が婚約するなど――納得いきません。こじつけが過ぎます!」
噂話はすでに学園にも広まっているのだろう。
さらに領地の片隅で隠居生活を謳歌していた先代レイナイト侯爵の耳にまで届いてしまっている。
レイナイト侯爵はズキズキと痛みを増したこめかみを指で押さえた。
「そもそも、この婚約はダニエルとセラフィーナ嬢が結んだものだ。私がグランディ公爵家に直接出向き、こちらが正式な婚約だと公表する」
レイナイト侯爵が眉間の溝を深めた。
「しかし、父上――」
現侯爵である自分がダニエルに家督を継がせないという判断をしたのだから、その婚約者も侯爵家を継ぐルドルフとなるはずなのに、なぜ――
そう続けようとした言葉を先代レイナイト侯爵は片手を上げて遮った。
「言いたいことはわかる――が、ダニエルはまだ学生だ。いわば学びの途中。これからいくらでも変わることができる」
先代レイナイト侯爵は今まで侯爵家嫡男であるダニエルを可愛がってきた。
念願だったグランディ公爵家との繋がりを実現させたのもダニエルだったから、尚更。
「むしろ――お前はこれまでしっかりとダニエルを導いてきたのか?」
レイナイト侯爵はそっと目を伏せた。
ダニエルが理解できるように何度も何度も伝えてきたつもりだ。
しかし、自分が置かれている環境に胡座をかき、実際に状況が変わらなければ、理解しようともしなかった。
(いや――今も本当の意味で理解しているわけではないだろうな……)
だからこそ、祖父である先代レイナイト侯爵をこの場に連れてきて、次期侯爵は自分だと言わせているのだから。
「父上」
祖父の言葉を聞き、わずかに口角を上げたダニエルの瞳を据えた後、視線を先代侯爵へと移す。
「本当に――グランディ公爵令嬢の婚約者がダニエルであると公式に宣言してもよろしいのですか」
「――何、どういう意味だ?」
先代レイナイト侯爵が片眉をピクリと上げた。
「現レイナイト侯爵である私の決定に不服を申し立て、その判断が間違えていると公にしてよろしいのでしょうか」
先代侯爵は口を横に引き結んだ。
「公にするのであれば、先代グランディ公爵との約束のみでよいのでは」
自分では思い至らなかった解決方法を提示してくれたことには感謝する。
しかし、自分が下した判断まで覆されてたまるか。
「セラフィーナは私の婚約者です!」
ダニエルが一歩前に進み出る。
「その婚約者を蔑ろにしたのは誰だ?」
研ぎ澄ました視線をダニエルへとまっすぐ向けると、彼はビクリと肩を揺らした。
「……次は、間違えません」
先ほどまでの勢いを失い、俯き加減で呟く。
「もう一度、ダニエルに機会を与えてやってもよいのではないか?」
「お祖父様……」
先代侯爵はダニエルの肩に手を置いた。
「グランディ公爵には私から話をしてみよう」
レイナイト侯爵は気づかれぬよう、小さく息を吐き出した。
◇
「先代グランディ公爵と先代レイナイト侯爵のお話、もうお聞きになられました?」
「ええ。本当に素敵な絆のお話よね!」
レイナイト侯爵家からの提案で、事態の収束を図るため、先代の間で交わされた約束の一部を公表することにしたようだ。
結果的にそれが美談となり、すでに広まっていた噂を一気に沈静化させることができた。
ただ――
ルディとの婚約も一旦白紙に戻された。
「はぁ……」
不意にこぼれ落ちた溜め息に自分でも驚く。
最近はこんなことなかったのに。
(私は……ダニエルとまた婚約する可能性があることに落ち込んでいるの? それとも――)
胸の奥がもやもやする。
どんなに難しい問題でも答えは出せる。
それなのに今は――自分の感情が理解できず、説明がつかないことに苛立ちを感じる。
お気に入りのサンルームでティータイムをしていても、気持ちが浮かない。
普段はキラキラと光が差し込んでくるこの場所も、まるで私の気分を反映しているかのようにどんよりと薄暗かった。
「なんか此処、暗くないか?」
「……ルディ」
手を付けられず、すでに冷めてしまったカモミールティーに視線を落とす。
「珍しい茶葉を手に入れたんだ」
ルディは多分――私よりも私のことを理解していると思う。
何だか負けたような気分になり、思わず頬を膨らませた。
「おい……何だよ? 甘いモノ食ってないからマシだと思ってたんだけど、違ったのか」
確かに以前、ルディにそう指摘されたことがあったと思い出す。
あの頃はどんなふうにルディと接していたのか、今は再現できそうにない。
ルディは私の反応などお構いなしに持参したティーセットから新しいカップを用意すると、私の前に差し出した。
ふわりと柑橘系の香りが漂う。
「わぁ……いい香り」
大きく息を吸い込み、その香りを堪能する。
「だろ? フィーは絶対気に入ると思った」
「ありがと」
ルディは満足そうに口角を上げると、いつもの席に座った。
「これで――よかったのよね? パルヴィン侯爵家との縁談の可能性が消えたのだから」
落ち着いたら、するりと言葉が出てきた。
「当たり前だ。あんな理屈が通ったら、それこそ学園中が紅茶まみれになるだろうよ」
「ふふっ。それも、そうだよね」
大げさにしかめっ面をしてみせたルディに、思わず笑顔が溢れた。
きっと――私たちのこの関係が変わることはない。
たとえ、互いに別の婚約者ができたとしても。




