第三十一話
「それはグランディ公爵およびレイナイト侯爵からも承諾を得ているということでしょうか」
持ち前の美しい顔から表情を無くした兄が、パルヴィン侯爵に問いかけた。
突然のことに驚きすぎて、ただ呆然としていた私とルディも兄の普段とは違う低い声に気を取り直した。
「セドリック様の仰る通りです。父がその婚約を許諾するとは思えません」
兄やルディの言っていることは間違いない。
だって、グランディ公爵家とレイナイト侯爵家には例の約束があるのだから。
私たちは今までずっとそれに縛られ、振り回されてきた。
そんな絶対的で強固な約束に、これまでずっと重責を負わされてきたレイナイト侯爵がそう簡単に反故にするとは思えない。
「だから、こうして直接セラフィーナ嬢に謝罪をしに来たのだ。書簡を送っても、取り合ってはいただけなかったのでね。それほどにセラフィーナ嬢は重症で、グランディ公爵のお怒りは計り知れないのだと思い、パルヴィン侯爵家のすべてをかける覚悟でここに参った次第だ」
この国の“誠意”は重い。
先代のグランディ公爵とレイナイト侯爵の約束事がいい例だ。
子孫の運命までも平気で縛り付けてしまう。
先ほどのパルヴィン侯爵の発言から、先に社交界に話を広め、外堀から埋めて嫌でも交渉の場に出てきてもらおうと考えたのだ。
確かにあの紅茶事件は学園での目撃者が多数おり、そのほとんどが貴族令嬢。
お喋り好きな夫人たちには格好の御茶請けだっただろう。
「いやはや、社交界の伝達速度は異常ですな。先触れを出している暇もございませんで――こちらとしても最大限の誠意を示し、なるべく早く収束すべきかと思いましてね」
パルヴィン侯爵は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「それに――両家にとっても、悪い話ではないと思うのだよ? グランディ公爵、レイナイト侯爵にはそれぞれ直接お話ししたいと伝えていただけるかな」
「それは私たちが決めることではございませんので。パルヴィン侯爵、恐れ入りますが今日のところはお引き取りいただけますか」
平静を取り戻した兄が促し、パルヴィン侯爵とノーマン様にはお帰りいただいた。
パルヴィン侯爵は何か言いたげだったけれど、ノーマン様は最後まで兄と目を合わせず、言葉も交わさなかった。
◇
社交界では彼らの思惑通り、“パルヴィン侯爵が謝罪し、最大限の責任を取らせてもらうことにした”という話がすでに収拾がつかないほど広まっていた。
そしてレイナイト侯爵家にはマルティナが嫁ぐことになっている、ということも。
「一体、どうなっている? なぜこのようなことに……」
レイナイト侯爵は悲願の達成を目前に次々と起こる問題により、先代の約束が履行されないかもしれない今の状況に焦り、広まってしまった噂話をどのようにおさめようかと考えあぐねていた。
ただでさえ、後継者の変更やそれに伴う婚約の結び直しで目が回るほど忙しいと言うのに。
手元に届いた書簡に目を通し、レイナイト侯爵は眉間に指を当て、長く大きな溜め息を吐いた。
パルヴィン侯爵家とはそれなりに交流があった。
特にダニエルとマルティナは同じ歳ということもあり、他家より頻繁に交流していたと思う。
しかし、グランディ公爵家にセラフィーナが生まれてからその交流は少なくなった。
ダニエルとセラフィーナの婚約が決まっていたからだ。相手に期待を持たせてはいけない、と。
ただ、ルドルフとマルティナが婚約してくれたら、と思ったこともあった。
『父上の独断で私の婚約者を決めないでいただきたいのです』
釣書が送られてくるようになったある日。
執務室に来たルドルフが今まで一度も見たことがないほど真剣な眼差しで約束を求めてきた。
ルドルフは幼い頃から優秀だったが、兄であるダニエルに気を使ってか、何事も真面目にやらなくなってしまった。
しかし、セラフィーナと受ける教育だけは真剣に取り組んでいると講師から聞いていた。
『私が兄上を側で支えます。父上でしたら、その言葉の意味がおわかりになりますでしょう?』
ダニエルは頑張っている。しかし――
『わかった。約束しよう』
それからというもの、パルヴィン侯爵家との子どもたちを含めた交流はなくなった。
ルドルフの何処かホッとした様子に、セラフィーナに対する彼の想いの強さに気がついた。
そしてその想いを胸に秘めて二人を見守っていこうとしていることも。
(近くで見ているほうがより辛いだろうに)
ルドルフを気の毒に思うも、父親としてやれることはせいぜい彼の希望を聞いてやることくらいだと思っていた。
ダニエルのセラフィーナに対する態度の数々を耳にするまでは。
ついには夜会で婚約者であるセラフィーナを出席させず、他の令嬢のエスコートをするなど――さすがにここまで来るとグランディ公爵家にも申し訳が立たない。
『私がドレスを贈り、当日セラフィーナをエスコートします』
『ああ、頼む』
『その意味を、ご理解いただけておりますか?』
ルドルフがこの目をするのはいつもセラフィーナが関わることだけだ。
幾度も機会は与えた。
諭したり、喚起したりもした。最終的には警告とも取れる強さで促した。
しかし、ダニエルには届かなかった。
『グランディ公爵家の方々も――何よりセラフィーナが限界です。私たちレイナイト侯爵家にとっても良いとは思えません。すでに私の準備は整っております。――父上、ご決断を』
レイナイト侯爵は肩で大きく息を吸い込むと、覚悟を決めた。
『レイナイト侯爵家の次期当主をルドルフに決定する。したがって、グランディ公爵令嬢の婚約者はルドルフとする』
先代も、きっと理解してくれるだろう。
彼もまた、子どもたちを常に比べ、そして相応しい者を選んだのだから。
「そんなことを、誰が許したのだ? 次期レイナイト侯爵は嫡男であるダニエルに決まっているだろう!」
レイナイト侯爵の考えは、たった一言で覆されたのだった。




