第 玖 話 「 白雪を踏む 」
灰色しかなかった世界に色を与えたのは、私を売ったあの男だった。
煌びやかに着飾る女ども。
弱さを隠すように塗りたくる白粉と赤い紅。
下賤の血の匂いを気付かれないように、強い香を焚く。
その中に私がいた。
欲にまみれた男の瞳が私へと向けられる。口の端を上げれば男は悦ぶ。馬鹿な男どもは顔を綻ばせ、金を落とす。
「白雪、お前が欲しい」
「この世で一番のお前が」
「俺の全てをお前に渡そう」
気が狂ったかのように紡がれる言葉。
閨での言葉など、本心ではないとこの私が知らぬわけがない。
熱に浮かされた虚言などで、私の胸を響かせることは出来るわけがないというのに。
「とても、嬉しいですわ」
そう声を吐き、男の胸に縋りつく。男など皆、一緒……それだけで、男は満足気な顔を見せる。可笑しい、まさに滑稽。
汚い指が私へと伸びる。私に触れた場所が灰色に見え始めた。
こんなに色鮮やかな絹を纏っても、私の芯はあの頃と一緒。
明日など、信じられない。
障子から外が見えた。あの日と同じ雪が降っている。私の心を覆うことは出来ても、満たすことは出来ない。私は寝台に沈んだ。
「……つまらぬ、人生ね」
力の入らぬ身体。気力などない。
開いた窓から外を眺める。賑やかな声が遠くで聞こえた。
「どうした?」
男は眉を上げ、私の顔を覗き込む。
「いえ、なんでもありません」
私の前で紫煙を吐くのは、私に新しい人生を与えた男。
「お前の、──白雪のおかげで、俺はこうやって旨い酒にありつける」
そう軽く笑いながら、男は酒を食む。私は空いた酒盃に酒を注ぐ。
「それは、良かったですね」
私はつまらなそうに言葉を吐いた。
ドン、ドン、ドン!!
妓楼が慌ただしい。
こんな太陽が真上にいる時間に何があったのか。
私は顔を扉へと向ける。
なぜだか、胸が騒ぐ。
疼く身体を抑え込むように腕に爪を立てた。
「お前がこの世で一番美しいと叫ばれる妓女か?」
そう重い言葉を発した男はこの世で最も尊き龍である、皇帝だった。
欲しいものを手に入れる為に、人となり皇帝なったと言われた男。その傲慢の龍が私を見ている。
その事実に私の心が踊った。
絹が小刻みに揺れ出す。
私と皇帝の前に強い色が過ぎった。床に膝をつけ、必死な顔で龍に目を剥く。
「───陛下!!なぜあの小娘より私をお選び……」
白刃が煌めく。
龍は剣を抜いた。眉ひとつ動かさず、しゃしゃり出てた妓女をその鋭い切先で胸を突き刺した。
場に広がる血の香り。
芯を失った身体から熱が消え、そこに倒れていく。
あの日、野犬が骸を貪った光景が重なる。
だが、それは違う。
この者は死を待つのではなく、奪う者。
欲しいものを手に入れる為に全てを壊し、欲を満たす為だけに軋轢を屠る者。
胸に色が宿った。
「───フッ、お前。ここで笑うのか?」
龍の唇が歪む。鮮血のついた指が私へと伸びた。
私はその手を迎える。
胸の高鳴りが止まらない。
私はこの龍の隣に立てる存在だという事実に身体が熱を上げる。
血だらけの冷たい龍の爪を私は受け入れた。
「俺を選べ。皇帝はお前自身を選んだわけじゃない」
「お前の美しさを見ただけだ」
私は嗤った。
烏滸がましい。
そんな戯れ事など耳に入らない。
お前が売ったのだ。
この国の一番になれと。
この国一の華になれと。
そう言い続けた男はそこにはいなかった。
さよなら。
私に名をつけたお方。
さよなら。
私を愛したお方。
私は貴方の望みを叶える。
いや、私が選んだの。
私がこの国一番の華になると。
「女、名は何だ」
龍はそう尋ねた。低い覇王の声。
私は臆せずに華を咲かせた。
「陛下。私は名を棄てました」
「……なに?」
「ですから、陛下。私に、」
目を伏せる。風が吹く。
重苦しい雲が流れ出し、陽が差した。
「───名を、お授けください」
細めた瞳に欲を添えて。
今世の大華と呼ばれたのは、
紛れもなく……
白雪、
─────いや、白瑛だった。
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