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後宮の大華ー蟻は死せる花に忠を捧ぐー  作者: 幻燈 カガリ


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第 伍 話 「 棄ててきた名 」






 寒空の下だった。

 薄暗い雲から落ちてくる白い羽根。

 この世を知らない無垢の白へと骸のような指先を伸ばす。それだけで、腕が小刻みに震える。


 手のひらに触れた羽根は、すぐに形を変えてしまう。


 私はそれをも口にする。

 見上げれば幾千の数の羽根が惜しげもなく降ってくる。


 口を広げ、ひとつでも多く身体に取り込みたくて。


 しかし、私の腹を癒すことは出来ない。


 お腹が減った。

 食べるものが、欲しい。


 お腹をいっぱいにしてみたい。


 それが私の夢だった。



 私は膝を抱く。骨が突き出た膝。

 肉などない身体は骨と皮だけ。

 抱き寄せたところでこの寒さを凌げるわけもない。


 視界の端で倒れたままの女。

 しばらく身動きひとつしない。



 そんな無情な世界。

 道行く人も私を見ない。


 遠くで犬が私を見ている。

 いや、私ではない。


 そこで動かない女を見ているのだ。


 物言わぬ犬でさえも、私を邪険にした。


 私はここでも、邪魔者。



 ふらつく身体で立ち上がる。


 薄汚い髪が揺れ、ふわっと軽い羽根が地に敷き詰められていく。



 サクッ。サクッ。


 私の生きた証のように足跡をつけていく。


 冷たさなんて感じられない。



 数匹の犬が私の傍らを走り去る。


 布を引きちぎったあとに荒い呼吸音とグチャグチャと鳴る肉などない皮を食む音。


 沈む空間に漂う血の匂い。



 私は足を動かす。

 背後のことなど気にもしない。


 明日は私もあの女のように……


 犬の腹を癒す骸になるのだろうか。






「オイ!犬ども!!」



 鼓膜を叩く野太い声音。ふわっと薫った紫煙。

 犬が唸り声を上げる。


 私は何故か、振り返ってしまった。

 振り向いたら戻れない気がしたのに。



「あ?お前……」


 私を覗き込むように見つめてくる男。自分より幾分も贅沢な暮らしをした男が、私を目指し歩いてくる。


 咄嗟に足が後退った。


 目を私に向ける。

 上から下。下から上へと。


「まあ、お前でもいいか」


 そう口を曲げながら楽観的に笑う男。

 私はその男の顔を見上げた。


 降る羽根が音を奪う。

 聞こえるのは自分の鼓動。


 この場には私と男のみ。



 双眸が私を捉えた。

 その瞳は私という、人を見ている。


「名はなんて言うんだ?」


 私だけにかけられた言葉。

 そんなことを尋ねられたことなど、今まであっただろうか?


「私は、 "____"」


「そんな名は、華には不釣り合いだ」


 男は頭を捻る。

 顎を撫でながら男は何かを考えていた。


白雪ハクセツ……、お前は白雪だ」


 男は満足気に口を緩ませる。そして、私へと手を伸ばす。


「俺はお前に、賭けることにするよ」


 差し出された掌。

 私より大きい男の手。


 この手を取れば、私はあの名を捨てたことになる。


 でも、私は迷いはない。


 私は男の手を取った。


 その日から、私の世界が変わったのだ。

 見ていた景色が、価値観が。


 この世、全てが。



 男の手を取らなかったら、犬どもの腹を満たす骸になっていたことだろう。


 あの女のように何も、残せずに。




 でも結局、その名も棄てた。


 この国の寵妃となるために。




 ……


 ………………



 ─────────コトン。


 淡い衣が過ぎった。



「……白瑛ハクエイ様?」



 視界に入った白い湯気と立ち上がる茶の香。


 私は我へと返る。


 声の主へと視線を移せば、名の知らぬ女官が私を見つめていた。


「なんでも、……ないわ」


 なんでもない。

 そう、なんでもないの。


 かじかむ指先が茶杯へと伸びた。

 あの頃には考えられない暮らし。


 空腹などない。


 目に入らないモノだった私に、皆が媚びへつらう。



 こんな愉快なことがある?


 私はこの国で一番高貴になった。

 皇帝の心を射止め皆が羨む寵妃、だったのに。


 絹の衣が小刻みに揺れる。


 どたどた、と慌てた足音。

 無礼も承知で下女が小走りで室に入って来た。


 乱れた髪をそのままに下女は膝を杖にし、息を整える。


 生唾を呑み、下女はハッキリと私を見た。


「───白瑛様、乱華様が……自死、なされました」



 その名に跳ねた心臓。

 口に含んだ茶の味が消えていく。


 顔が、繕えない。


「……そ、そう」


 やっと出せた言葉。

 茶杯から茶が零れ、絹衣に滲む。


「白瑛様!!」


 女官が私に駆け寄る。

 その顔があの女と重なった。


 私をそんな……

 私を、私を!!


「み、見るなっ!!」


 女官を腕で払い除けた。

 鋭く尖った爪が女官の頬を掠め、床へと力なくへたり込む。


 女官は今にも泣きそうな顔を浮かべ、頬に指を伸ばす。


 紅い血が傷口から垂れた。

 その血は私を責め立てる。


 動悸が激しい。

 肩を揺らしながら息を吸う。


 女官の怯えた瞳に映る私の姿が、とても醜く見えた。









お読み頂きありがとうございます。

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次回もお楽しみに♡

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