第 肆 話 「 残像の大華 」
鎮まり返った玄華宮。空も大華を喪い憂いでいるのか、今にも雨が落ちそうな雲をまとっている。
私はまだ。
この場から離れられない。
心があの方を求めている。
今にもあの方が私を呼んでくれるのではないかと、そう思ってままならない。
あれをしたら、これをしたらと頭に浮かぶ。
風が玄華宮を走る。
陰の気を取り除くと宦官が全ての門扉を開け放ったせいで、微かに残る乱華さまの残り香を攫って行ってしまう。
季節外れの冷たい風が私の心の穴を通り過ぎた。
そこからどんどん身体が凍てつき始める。
風に舞い上がる白布。
死者を弔うための色。
大華は、土へと還った。
あんなにも皇帝のご寵愛を一身に受けていたこの後宮の大華の最期は虚しいモノだった。
皇帝は乱華さまの最期のお姿も見ず、言葉もかけない。手向けでさえも、贈ろうとはなさらなかった。
あんなにも、乱華さまを大事になさっていたはずなのに。
ぶつけようのない怒りが沸くのを感じる。
「……陛下は美しさ、しか興味がない」
いつか、乱華さまが言った言葉が突然落ちてきた。
寂しそうな目を伏せ、茶杯を揺らしながら乱華さまは零された。茶杯の底に残った茶を眺め、その円几に腰を落とし、朱几に肘を当てがわれて物憂げなお顔をなされながら。
その時の茶は私が淹れたものだった。
「乱華さま、このアリが可愛いからとそんなことを言うものではありません!」
「そうですわ!私たち女官の仕事ですのに!」
下女の私が尊きお妃さまにそんなことをするものではないと皆が言うなか、乱華さまはひと言。
「よい」
と、だけ仰った。
皆が驚く中、私はひとり肩を竦め、硬く口を詰ませていた。しかしそれは、私の内心の悦びに満ち溢れた顔を、隠そうとしていただけに過ぎない。
あの方の特別を頂けたように思えたから。
茶など淹れたことのない蟻は見様見真似しか出来ない。
意味など知らぬ私は、湯を急須に入れそのままお出しした。
いや、真心はあった。
乱華さまが少しでも安らげるように、と。
そっと、朱几に置いた茶杯。
湯気が立ち上がる茶杯に乱華さまは視線を移される。
薫る匂いも色の違いも分からぬ蟻に乱華さまは笑っていた。
それで、終わりでは無い。
私を笑い者にしたわけではないのだ。
長い細い指先が茶杯へと伸び、そのまま紅い唇へと誘われる。細めた目から覗く瞳が一瞬、私を捉えた。
私の心臓が跳ね上がったことは乱華さまはお知りになっているのだろうか。
静かにひと口、含まれたあとに乱華さまは、ふっと口元を歪ませた。
「味も風味もない。だが、」
私を見つめるその瞳は柔らかで、そして穏やかだった。
「────阿梨の想いは伝わった」
目元を緩ませ微笑む、そのお顔が私は好きだった。
目を瞑れば乱華さまを思い出せるのに、現実のあの方は私の目の前から跡形もなく消え失せてしまった。
「辛いです。……乱華さ、ま」
どうせなら、
アナタさまと一緒に逝きたかったです。
なぜ、ひと言……
私に仰ってくれなかったのですか?
私はそんなにも、アナタの助けになりませんでしたか?
答えの出ない問答を何度続けても、私の求める返答は出ない。
コトン。
後ろの方で何かが落ちた。
床に転がったそれを掬い上げる。
小さく折られた紙。
私はその紙を解いていく。
「……どう、して」
紙が小刻みに震える。
黄ばみがかった半紙にぽた。ぽたと滲みが広がっていく。
『 死にたくない
死んでなるものか
こんなところで、死ぬつもりはない 』
落ちた雫は墨を溶かす。
半紙に書かれた文字は、乱華さまのものだ。
何度も真似して土に書いたあの達筆で、芯のある字を私が見間違えるはずはない。
この事実が私の錆び付いた胸を燃え上がらせた。
「あの方は、自死では…ない…」
流れた雫を拭う。
涙を流すのは今ではない。
この涙を流すのは、
「────全てを、噛み砕いたときだ」
あの方の香が、した。
私の背に温もりを覚えた。
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