第 拾壱 話 「 藍雨の波紋 」
雨が顔を伝い足元へと落ちる。
私は遠い空を見上げた。
重苦しい雲と延々と降る雨粒。
蒼い空はいつ見たことだろうか。
あの者が天に還った日から空は晴れてはいない。
天もあの者の死を嘆いているということか。
だったら、天も……
「───正気ではない、な」
私は天を、睨みつけた。
何もせず、ただ眺め、
ただ咽び泣く……
────天を。
傘を手にし、頭を下げたままの宦官に私は声をかける。
「すまない。待たせた」
控えていた宦官は更に頭を下げる。
「……いえ」
雨音に宦官の声はかき消された。宦官は目を伏せたまま。何も言わずとも宦官は私へと傘をかける。
宦官の衣に雨が染み込んでいく。そのさまを目にし、思わず言葉が漏れた。
袖の衣を宦官の視線まで上げる。
「既にこのザマだ。お前が使いなさい」
自分の衣を宦官に見せながら、私は言い聞かせるように話した。
傘から雫が勢い良く落ちた。
「そ、そういう訳にはまいりません。陽耀様を前にして、そんな事が出来るわけがございませぬ」
宦官の声が震える。雨は平等に落ちているというのに、身分だけでこうも変わるなんておかしいものだ。
「気にすることはない」
「いけません!皇弟でおられる陽耀様が雨に濡れておられるというのも、私は胸が痛みます」
声が、跳ねた。
肩を竦め宦官は眉尻を下げる。
そう話す宦官は心配を口にするが、私の顔を見て言葉を交わすことはない。私も、この者の瞳の色をこの先も知ることはないのだろう。
それがこの国の教えであり、掟なのだ。
であるのに、あの下女は、私の顔を臆することもなく目を向けた。
雨が塞がれる。宦官は私に傘を傾けた。
「お早く宮に戻りましょう、陽耀様。お身体に障ります」
雨音は激しさを増す。
あの下女は、もう戻っただろうか。
「陽耀様?」
「……ああ、そうしよう」
私は顔を少し傾けようとするが、それは阻まれてしまう。
「───陽耀。なぜお前はそんなに濡れている?」
その声の主へと身体を向ける。頭を下げ、ゆっくりと面を戻す。そこにはこの国の龍がそこに立っていた。
「……いきなり、降ってきましたので」
当たり障りのない言葉を紡ぐ。この世で唯一、私を真っ直ぐに見ることができる相手。それはこの国の皇帝であり、兄である龍炎だけ。龍炎は目を細めると口端をつり上げた。
「お前のその姿、まるで、」
乾いた嗤いを混ぜた声。この世を好き勝手に生きる傲慢な龍は、私と同じ金色の瞳を私へと注ぐ。
「───犬のようだ」
悪びれたその言葉は私の胸を突いた。だからと言って、私が何かできるわけもない。
眉ひとつ動かさず、私は兄上の言葉を浴びる。
「…………」
「つまらぬ男よ」
兄上はそれだけ吐くと、急に興味が失せたように踵を返す。その背中を私は静かに見つめる。
あの者が好んだという色の衣をまとい、影を求め後宮を彷徨う愚かな龍。
それを何も進言も苦言もできない忠臣たち。
「───フッ」
自分もその中のひとりだと思うと、笑えてしまう。
「陽耀、様」
再び呼ばれた名に嫌気が差した。
陽ではない自分が、耀もできない自分が。
私は背後を振り向いた。
だが、そこには誰もいない。
あの下女の強い瞳が、
私の心に波紋を起こした事実にまだ気づいてはいなかった。
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