ダイヤはダイヤです
銀狼亭は、水曜が定休の週休一日制。夕方5時から夜11時までの夜営業のみの酒場である。
妾は、平民になりすますことを許された2ヶ月の間、日曜を除く全営業日に出勤しようと思っている。が、皇女の本業――政務や社交――が重複する場合は、本業優先だ。そもそも、本業だけではヒマゆえに始めた平民調査であるので、皇女の本分を疎かにしてはならない。
エルザ夫人にも「家業の都合次第で欠席する」とは事前に伝えてあるので、問題ないと考えている。嘘偽りなく、まさに“家業”であるしな。
今日は、そのような本業優先日であり、銀狼亭には休むと伝えた。諸々の警備体制などが整い、ユリウスとも都合をつけ、ようやく、貴族家主催の夜会に本日初めて出席するのだ。
主催は、妾の専属侍女ユリエッタの生家、エッセンバッハ公爵家である。妾にとって、当主夫妻とも子供たちとも関わりが深く、初めての外部夜会として安心感が大きい。
デビュタンティンを終えて初めての夜会で楽しみなことといえば、まず、装うイブニングドレスであろう。全時間帯ドレスの中で最も華やかなイブニングドレスは、社交界デビューを済ませた大人の女性に限り、夜会という場でだけ纏えるものだ。
貴族令嬢で、いや、女子で憧れない者はいないと言ってもいい。
デビュタンティン時のドレスは、肩を露出させた純白のボールガウンとオペラグローブの着用が必須、アクセサリーにも制限があり、決まりごとが多く、自由度に乏しい。
だが、その次の夜会からはようやく、格式を満たす範囲での自由なデザインと色のイブニングドレス、アクセサリーの使用が許されるのだ。
日頃男装しているせいでよく誤解されるのだが、妾はドレスが嫌いなわけではない。ただ、普段から着るにはドレスは不便であるゆえに男装しているだけで、たいていの令嬢と同様、華やかに飾られたドレスも好きだ。
ゆくゆくは、帝国で一番貴き乙女として、新しき流行を生み出し、若き令嬢らのファッションを大きく変革していきたい。だがまずは、夜会の初心者として無難に、特に気に入っている典型のイブニングドレスを今回は着ていくとする。
選んだのは、妾の瞳色に合わせたサファイア・ブルーを基調としたドレスだ。上半身はビスチェ、下半身はふっくらベルライン。最高級の超軽量クリノリンを下に着けているので、見た目のボリュームに反して羽のように軽い。
腹部には大きなリボンがあしらわれ、先端がフリルのオーバースカートを飾っている。オーバースカートは、アシンメトリーに斜め前方が大きく開かれ、下に重ねられた白のスカートを見せていた。この下にも、生地や色の違うスカートが何枚か更に重ねられている。これらのレイヤーは、舞踏会で踊った際に花開き、美しく映えるのだという。
使われている最新型クリノリンは、開閉機能が備わった魔導具でもあり、魔力を流して開閉状態を変更できる。これで、馬車への乗り込みや、狭い部屋への入室も可能というわけだ。なんらかの理由で魔力を使えない場合であっても、背後の2本のヒモを使って手動開閉が可能である。このドレスには、そのヒモを通すための穴が空けられており、オーバースカートの下にヒモを隠せるようにもなっている。
胸元には、布で作られたバラのコサージュがいくつも縫い付けられていて、華やかで美しい。花弁の中心には、艶やかな白い真珠がアクセントとして縫い付けられている。
スカート部にも小さなバラが多く飾られ、足元を彩る。庭のバラ迷路で昔よく遊んでいたせいか、妾はバラが好きだ。
差し色には、ユリウスの瞳の琥珀色が、バラ花弁の先端やドレス本体などに細く入っている。合わせのショールも、同じく琥珀色のものだ。
婚約者要素もあって、実によい仕立てのドレスである。
わずかながらの先鋭要素として、コルセットは限界まで緩めさせる。むりに絞らずとも、妾のウエストは十分細く、ベルラインのスカートが似合うであろう。
反コルセット派としての抵抗活動は、今日この日から始めるのだ。
***
「重い……」
何時間もかけて侍女たちから丁寧に磨き上げられ、メイクとヘアアレンジをしてもらい、すべての準備を終えた妾は、支度の間の大鏡の前で、げんなりとそう呟いた。
「本日のドレスは、クリノリンでだいぶ嵩増しされますが…。これだけスカート重ねがございますと、やはりまだ重く感じられますか」
レオノーラが尋ねる声に、妾はふるふると頭を横に振って応じる。
「ドレスではなくて、こちらだ」
両手を軽く持ち上げる。術式汎用型魔導具のブレスレット――社交場に武器となるものの持ち込みは基本厳禁だが、先の事件があるので事前許諾済み――は、細い金をベースに小さな宝石がついているだけのシンプルなものだ。問題は、追加された飾りのほうである。
ジャラリ、と音を立てたのは、大粒のダイヤモンドが無数についた3連の白金ブレスレットたち。両手首に、合計2つ。
光を反射して眩しく輝いているそれらは、まるで罪人の手錠のようだ。
「ああ…。少々、その。姫様のお好みに合いませんわね。ですが、朝の鍛錬でお召しの重りほど重くはございませんでしょう?」
「それは、まあ…。5キロ、いや1キロも無いであろうが」
妾は毎朝、1時間ほど軽い鍛錬を行うようにしている。その際、時間あたりの効率を上げるべく、両手両足と胴に重りをつけているのだ。
その際は、両手に5キロの重りをそれぞれ着けている。
「それに、耳も重い」
そう言いつつ、右手で耳飾りのひとつに触れる。こちらも、白金とダイヤで作られた大きな耳飾りであった。
左右一対のそれは、涙型の大粒ダイヤモンドを主体に、小さいダイヤで周りを更に囲っている。留め具もまた、それなりに大粒のダイヤときていた。全体のサイズ感は、耳そのものに迫る勢いである。
これだけ貴石で飾り立てられているのに、髪飾りまでダイヤだ。蝶々のモチーフであることは、ドレスのバラと合っていて好みなのだが、またもや白金とダイヤで象られている。
「これほど多くのダイヤを一度に見るのは初めてだ。宝石商にでもなったのかと思うよ」
「ふふっ。ですが、姫様の品格と美貌をもってすれば、けっして負けておられませんわ」
「しかし妾は“目隠し皇女”だぞ。笑いものにならねばいいがな」
「まあ、姫様が笑いものだなんて。ありえませんわ」
先の事件が原因で、妾が人前――正確には、父上とユリウス以外の異性の前――において目隠しを着用し、顔を隠すようになったということは、広く周知が成されたらしい。目隠しは、妾の視界を遮らない魔導具であり、視野の心配は無用だということも。
その結果、ついた渾名は“目隠し皇女”。実に端的でわかりやすい名だ。
この件で唯一不満があるとすれば、令嬢たちの一部で、妾を真似た目隠しファッションが流行っているらしい、ということだ。
おのれ、顔を隠さねばならぬ事情もないくせに。妾はなにも、好き好んでこのような珍妙な格好をしているわけではないのだぞ。こんなものを流行らせるな。
あと、この件と関係があるかは不明だが、こうして妾がダイヤの展示台にされていることにも理由はある。なんでも、皇室の権威と、妾が次期皇帝であることと、帝国の豊かさとを象徴するため、らしい。
妾が豪華に飾られることで、『そうできるほど皇室と帝国に余裕がある』ということを臣民にアピールでき、それによって臣民を安心させるとともに、皇室の権威も示される……らしいのだ。
妾にはまだピンときていないが、アーベントロートが言うならそうなのだろう。
まあ、「『平民になりすまして過ごしたい』という殿下の願いを、確かに叶えて差し上げましたが…?」と圧をかけられては、否と言えなかったのだが。
費用は国庫負担とのことで、直接値段を聞いたわけではない。だが、皇族の妾にとっても驚く値段らしい。どれか1つでも、りっぱな本邸が3つ4つ建てられる値段…とは、本当の話だろうか。
なんでも、とある亡国の王妃が持っていた最上級の宝飾品であるとかで、その子孫が資金調達のために手放したものらしい。
縁起の悪い品では? と尋ねると、アーベントロートは「ダイヤはダイヤです」と切り捨てた。「そもそも、その国の王政が滅んだ原因は、民衆は異国人王妃の浪費と信じていましたが、実際には国王らの政治的失敗がまずあって……」と続き、それなりに面白い話だったが、ここでは詳細を省く。
まあ要するに、ダイヤはダイヤだ。それ以上でも以下でもない。
そうして重たく飾られた妾は、侍女達から褒め称えられたのち、先に皇宮に来て待っていたユリウスと合流した。
「またせたな。そなたのその衣装、よく似合っているぞ、ユリウス」
今宵のユリウスは、ヴァイセンドルフ家の男らしい軍服ベースの礼服を、妾と同じくサファイア・ブルー基調で仕立てて纏っていた。飾緒やアクセントカラーは金色で、妾の金髪に近い色味に思える。
すごく、全身が妾カラーだ。妾ときたら、己を前面に押し出すばかりで、差し色程度で婚約者を表しているのが申し訳なくなる――と、そんなことを思いながら声をかけたのだが、当のユリウスは、呆けたようにこちらを直視するばかりで、反応がなかった。
妾たちが困惑していると、ユリウスはぐしゃりとその場に膝から崩れ落ちた。
「どうした!?」
なにごとかと侍女たちが駆け寄り、どこか悪いのかと尋ねる。だがユリウスは手を振って退け、両膝をついて座りこんだまま、顔を伏せ――なぜか、祈るように両手を前で組んだ。本当にどうした。
「……言葉が…みつかりません、アナスタシア様。……あまりにも…あまりにも、お美しくて……」
随分とオーバーなリアクションをする。妾の褒め言葉は、まるで届かなかったらしい。
なぜだか、周囲の侍女たちまでウンウンと頷いて同調している。なんだ? 先に根回しされていたのか、そなたら?
「あー……ユリウス。せっかくの礼服が汚れるぞ」
「グスッ…はい」
ユリウスが立ち上がる。すると、その頬に涙がひとすじ流れていた。泣いてる……??
すかさず、侍女の一人がハンカチをユリウスに差し出した。それを受け取り、ユリウスが顔をぬぐう。
「具合が悪いのか?」
「いえ、問題ございません。失礼いたしました」
「そうか。ならよいのだが、無理はするなよ」
「はい。ありがとうございます」
侍女に膝下をパタパタと払われたあと、ユリウスは妾に歩み寄り、あらためてエスコートの手を差し出した。
妾はユリウスのエスコートを受け、皇室の紋章がついた馬車に乗り込んだ。




