採用します
妾は――いや、“あたし”がはじめて銀狼亭に向かったとき、時間は、開店準備前の非営業時間、昼過ぎの14時くらいだった。
客席数25ほどのこぢんまりとした木造の酒場は、なんというか素朴で、暖かみのある内装だった。高そうな装飾も家具も何もないけれど、安っぽくても赤くて目立つタペストリーや、少し朽ちた鹿の頭骨の壁飾りなど、使えるもので飾り付けしていて、よく掃除されていた。
「いらっしゃい。あなた、給仕の仕事をしたいって言った?」
正面扉をあけて出迎えてくれたのは、酒場店主のエルザ夫人だった。落ち着いた栗毛の髪に緑色の瞳、ふくよかな体型の彼女は、おだやかな目つきをしており、事前調査どおりの温厚な女性に見えた。
「はい! アンナ・シュタルクといいます!」
あたしは、元気よく声をだして応じ、上半身だけを大きく前に倒して挨拶した。体を起こしたら、大きく破顔してニッコリ笑ってみせる。
「あら、まあ。とんだ別嬪さんが来てくれたこと。ちょっと、レオン! レーーオン! 降りて来な! 給仕の面接の子が来てくれたわよーー!」
突然目の前でエルザ夫人が声をはりあげたので、あたしは驚いてビクッと体をふるわせた。貴族はあまり大きな声を出さないので、まだ少し慣れなかった。
エルザ夫人の視線の先には、2階に上がる階段があった。調べによると、2階が彼女たちの住居スペースらしい。
ここの酒場は、彼女と一人息子の2人と、従業員2人で営業されている。レオンというのは彼女の息子で、母子はこの住居兼酒場に住み込みで働いているのだ。
エルザ夫人の声に応じ、レオン青年と思われる若い男――18歳らしい――が、足音とともに階段出口から姿を見せた。背が高くすらりとしていて、外見的特徴は母親によく似ている。
「どーもー…って、うわ、マジじゃん! え、そんなカワイイのに、こんなボロ酒場で働きたいの?」
「レオンッ!! ボロ酒場とはなんだい!? せっっっかく、待望の給仕希望者が来てくれたってのに! ……もうほんっと、ごめんなさいね? 美人なお嬢さん。生意気な息子で。どうぞ、座って? まずは、面接させてもらうわね」
「はい! 失礼します!」
あたしは元気よく応えて、エルザ夫人に促されるまま、入り口を背にして客席テーブルのひとつについた。
おなじく、席についたエルザ夫人と向かい合う。レオン青年は、その後ろ、店の奥側の少し離れた場所に座って、あたしたち二人の様子を見守っていた。
「じゃあ、あらためて。お嬢さん、お名前は?」
「アンナ・シュタルクといいます!」
「ご両親は何をしていらっしゃるの?」
「商人です! 平民向けだけじゃなくて、お貴族さまのお屋敷とか、いろんなところに商品を卸してます!」
「まあ、まあ、すばらしいわ。立派なお仕事をなさっているのね。それで、アンナちゃんは、どうしてウチで給仕をしたいのかしら?」
「はい! あたしも将来、りっぱな商人になりたいんですけれど、そのためには、いろんな人と知り合ったほうがいいと思いました。それで、酒場には人がたくさん集まるから、酒場で働きたいと思って、こちらにうかがいました!」
「んまあ~~! なぁんて立派な考えなのかしら! ちょっとレオン、あんた、アンナちゃんを見習いなさいよ? あとで爪の垢でも分けてもらいなさい!」
終始ニコニコしながら、あたしの答えにウンウン頷いて、最後にエルザ夫人は後ろを振り返り、息子を叱るような口調でそう言い足した。
レオン青年は「うるっせぇわ」と苦笑しながら母親に応じる。
エルザ夫人の言葉じたいは終始レオンに厳しいが、親子関係は悪くなさそうである。
エルザ夫人は、また笑顔であたしに振り返った。
「採用! 採用します。ぜひ、うちで働いてちょうだい」
「ありがとうございます!」
「あら、いやだわ。私ったら、自己紹介がまだだったわね。私は、ここ銀狼亭の店主、エルザ・ディートリヒよ。みんなからは “おかみさん” って呼ばれてるわ。
それで、あっちの生意気な跳ねっ返りは、息子のレオン」
「嫌な紹介やめろよ! 母さん!」
エルザ夫人が、後ろのレオン青年を手で軽く示しつつ、そう自己紹介すると、レオン青年は顔をしかめて抗議する。
しかし、なにも聞かなかったかのような態度で息子の抗議を聞き流し、エルザ夫人は話を続けた。
「いつから入れそうかしら?」
「明後日から入れます! 家の用事もあるので、毎日は入れないのですが、大丈夫でしょうか?」
「ええ、ええ。大丈夫よ。できたら、休むときは前日までに教えてちょうだいね」
「わかりました!」
こうしてあたしは、銀狼亭の給仕として働くようになったのである。




