01-19 二人の世間知らず(前編)
01-19 二人の世間知らず(前編)
Ver1.1
「……凄いですね、ちゃんとお湯になりました」
見慣れぬ形の蛇口から湯船へと流れ込む流水を確かめていた銀髪の少女は、部屋に置かれた冊子に書かれていた通りの事が発生した驚きに思わず声を洩らす。
「――温泉ではないのだな?」
それを脇から眺めていた緑髪の青年もまたいつもの無表情に僅かな驚きの表情を浮かべ、その異様に向けた問いを重ねる。
青年の言葉は彼が竜騎士となる前――アースラー山脈の西側に訪れた時の経験から出たものであり、地熱によって温められた湧き水の利用が盛んであったその地での驚きを思い出しての発言であった。
もっとも、青年の記憶ではその地域であっても蛇口を使って湯を制御出来るような設備は無かったのだが、そんな経験談を聞いた少女は静かに黙考する。
「……炎の魔力を感じますので、専属の術者か魔石で沸かしたものですね――費用的にはどちらも高額ですが」
「――――王国ではこれは一般的なのか?」
「……いえ。……中央にも市井向けに売れるような値の物は無かったと思いますので、北の最新技術でしょう」
そうして出された推察と共に銀髪の少女――ラフィーアは湯船の蛇口を閉め、その隣に居る緑髪の青年――グランは追加された驚きをその無表情に潜めながら、2人の常識を揺さぶった湯の出る蛇口を見据える。
この部屋を借りる1時間程前の頃、即興の魔術講義を開いていた喫茶店でグランの傷を看破したラフィーアは協力者の不調を改善するべく行動を開始した。
しかし、いくらグランが男性であるとはいえ人通りの多い往来や用途の違う店で服を脱がせる訳にもいかず、対応を迷う2人がノース・クラウの商業区画を彷徨い歩いていると――この珍妙な宿へと辿り着いた。
「…………様式は市井の民家を小綺麗にした程度ですが、防音の“刻印”はかなり高度な施術が行われています。……なんなのでしょう、この宿屋は」
そうして最後の未確認部分の見分を終えたラフィーアは、解明に至らなかったこの店への疑問を静かに呟く。
人の目を気にしなくてよく、傷の治療を行えるだけの広さがあり、値段は可能ならばそれなりで。
ラフィーアが探していたのはそんな『普段使いが出来なさそう』な用途であったが、2人が辿り着いた宿(?)はその要件を満たした店(?)であった。
それは2人にとって都合の良い話ではあったが、治療を開始して動きが制限される前に『本来の用途』も含めた安全を確保しようと決めた彼等は借りた部屋の検分を進めていたのだが――そこで判明したのは驚く程に『守備範囲』が広い備品の数々だった。
「此方の記憶では、野営か商人の手配した商館の宿しか経験がないのだが――宿というのは、こんなにも多くの物が置いてあるものなのか?」
チェスラやオーロ等の盤上遊戯――部屋から持ち出した場合に発動する報復系の“刻印”付きだそうだ――から最低限の体裁が揃った茶器一式に、彼等が今居る浴室。
それらは市井ではあまり見掛けない嗜好品の類であり、数時間単位で借りられる事も含めれば、グランは元より世間一般の常識を知っている筈のラフィーアをもってしても不可解と言わざるおえない部屋であった。
「……営業形態も含め、中央で見た事はありませんね」
「――――営業形態?」
「……市井にも解放されている癖に、値が銀術貨20枚程度で済んでいる事です。……この店、本当に何なのでしょう」
「――普通ではないのか?」
とは言え、その評価には温度差があったようで――グランから見れば娯楽に優れ過ぎているといった程度の認識だったのに対し、彼の人間の世界の先生にとっては常識を疑う程の違和感であったらしく、自分の認識とは大きくずれたその言葉に彼は疑問を投げ掛ける。
「……? ……ノース・クラウの商業区画に程近いこの立地で、何の後ろ盾もない市井にも開放されているのでしたら――そうですね……金術貨10枚程度でもおかしくはありません」
「――? ――――え、金術貨……?」
そうして続けられたラフィーアの言葉はグランの中に定まりかけていた法則を揺るがすものであり、その衝撃を前にした彼は人間の世界の先生が間違える筈がないと思いながらも彼女の方に視線を飛ばす。
人間の世界に生きるようになったグランの中でまず理解が進んだ事象は、竜の里の外では思った以上に金の力が大きいという事だった。
グランの中では『食材等の消耗品』が大凡銅術貨、『宿等の人間が関わる消耗品』が銀術貨、『剣や家具等の価値ある物』に金術貨が当てられるという所までは理解が進んでいた。
そして、端数を下位の術貨として返却するという法則も含め、これ等を理解し、持っていなくては人間の世界において行動が著しく面倒になる事も理解出来ていた。
とは言え、短命でありながらも生きるのに糧を必要とする人間が生活し、発展する為には様々な作業を分担せざるをおえず、その働きを正当に評価する『貨幣』という仕組みは非常に合理的であるとグランは考え、好感すら抱いていたのだが――。
「…………中の設備が貧弱であれば、それも1つの商売の形かと考えましたが……これだけの物を貴賤の判断もなく運営しているとなると予想が付けられません」
「――む」
しかし、グランがその全容を把握出来ていないのもまた事実であり、商人と同行していた頃にも経験した大きな誤差――宴会というものの支払いが『飲食』という括りでありながら金術貨であった――と似たような感覚に、彼は警戒を強める。
「……少し、勉強会ですね」
その表情からは窺い知れないグランの狼狽をこれまでの経験から感じ取ったラフィーアはくすりと微笑みながら呟き、彼の正面へと向き直る。
「…………竜士様はそんな事ができる人とは思いませんので、想像する事も難しいかもしれませんが――身元の判らぬ市井の者が宿を貸したとして、例え前金を払っていたとしてもそれ以上に調度を荒らされた挙句に逃げられたとしたら……宿側はどうなりますか?」
「――――追いかけるにしても資金が必要になり、そも捕まえられてもそんな事をする奴に賠償は出来ないと考えられる。――よって、貸し出した事自体が間違いとなる」
竜の友としてグゥエルナーの役目に関わっていたグランとしては契約を破った者が罰を受けない事を許せないという感情があるものの、人間の世界が金と信用で回っている以上、損益を基準に置かなければ彼等の生活を理解する事は出来ない。
「……ですので店側としては『入口』で篩に掛けるしかない」
その思案と推察によって下したグランの言葉は人間の世界の先生を満足させるものだったようで、彼女は浴室から部屋へと続く扉を開きながらグランが考えた通りの現実的な答えを口にする。
「――――此方が以前に使った事のある商館の宿は、『同じ商会の組合員』という身元を保証する商人が居たからこそ使えた、という事か」
「……私も商会の施設には入った事しかありませんが、おそらくはそういう理論かと」
「――概念魔術と事象魔術の事と言い、人間の世界は世知辛い理が多いな」
「…………その割には、あまり驚かれてらっしゃらないようですね」
「仕組みが判れば、な」
そんなやり取りを交わしながら部屋へと戻り、更に歩みを進める小柄な背を追うグランはため息と共に結論を零す。
「……さて、興味深い施設ではありましたが――本題です。……竜士様、上を脱いでくださいませ」
そうして部屋の中央に配されている大きな寝台に腰かけたラフィーアは髪を留めていた大小3つの布飾り(リボン)を解き、それ等を寝台の端に置きながらグランを自分の隣へと誘う。
「判った」
その催促にグランは足を速め、協力者に倣って寝台に腰掛けた彼は外衣に手を掛ける。
「――っ」
しかし、魔導鋼線で編まれた鎖帷子を仕込んでいる外衣はそれなりに重く、外すという行為だけでもグランの左肩にじんわりとした痛みを響かせ――はだけた先の傷が露わになると、それを見ていた緑色の瞳が痛ましそうに細められる。
「…………」
そうしてグランの傷を睨んでいたラフィーアはその細く白い指先で今にも血が滲みそうな傷に触れ、浅く撫でるようなその動きに痛痒さを感じたグランが頬を引き攣らせると、彼女は静かに目を伏せる。
「……今まで動かさず傷に影響を与えなかったのは流石ですが――いえ、言い訳は駄目ですね」
そんな要領を得ない行動と共に零れた呟きの後、ラフィーアは何らかの決意と共に伏せていた目を正し、グランの事を真っ直ぐに認めてから深く頭を下げる。
「……竜士様、ごめんなさい。……知らなかったとはいえ無理をさせてしまいました」
「――君と出かける事を決めたのは此方だ。君が気にする事ではない」
「…………」
その思いもよらぬ真摯な態度に驚いたグランは対応に迷いながらも本心で言葉を発するも、それでも頭を上げないラフィーアを前にした彼は思案を捻る。
「――――では、こうしよう。左肩か脇腹のどちらかの傷を、実演を混ぜながら君の力で治して貰う事で君の間違いを無かった事とし――残りのもう一方の傷の治療の対価とし、此方が君の望む何かに応える」
「…………その内容ですと、私が得をしていませんか?」
「それは見解の相違だな。――此方は自分が得をしていると思っている」
「……竜士様はお優しいのですね」
「――――」
ラフィーアの指摘に対してこれ以上の言葉を返せないグランが沈黙で通すと、彼女は困ったような吐息を洩らす。
「……わかりました。……では、自分の間違いを雪ぐとしましょう」
そうして生まれた沈黙の後、グランの頑なさに音をあげたラフィーアは提案を受け入れ、施術へと移る。
「…………我は咎人、なれど光と命を識る者なり」
その最後にラフィーアはグランの傷に触れ、いつもの詞を紡ぐ事で組まれていた魔術が動き出す。
「――――」
その過程は違えどもグランの瞼を閉じさせる程の光は里で受けた“白姫”の治療と似通っており、里での思い出の多くを占める光に彼が懐かしさを感じている中、ラフィーアの魔術は青年を苛んでいた左肩の熱をゆっくりと静めていく。
「……光――陽光とは作物を育てるものである。……故に、光は生物に活力を与える事が出来る」
そうして徐々に光が弱まり、魔術が終わる頃に解説のような言葉を呟いたラフィーアが指を離すと、その下にあった左肩の傷は薄っすらと赤い色彩を残す程度にまで回復しており、それを確認した彼女は満足気に目を瞑り、力尽きたように寝台へと倒れ込む。
「…………では、活力とは何を意味するのか? ……そんな曖昧な概念を利用し、『傷を治す』という効果に結び付けたのが今の魔術です」
そのまま過大な魔力消費を補うように深い呼吸を繰り返したラフィーアは、ある程度落ち着いてから行使した術理の残りを口にする。
「――すまない。フライアの船医がそこまで疲弊していなかった事から、此方は魔術による治療の負荷を勘違いしていたようだ」
息も絶え絶えに言葉を紡ぐラフィーアの様子は人の身における魔術での治療の難しさを雄弁に示しており、自分の認識が間違っていた事を認めたグランは静かに頭を下げる。
「……いえ……概念魔術は、総じて効率が最悪ですので…………私としては、予想の範囲内でしたよ」
気落ちするグランに対し、微かな笑みと共にそれを受け入れたラフィーアは確かな理論で応じ、その緑色の瞳に許すような“色”を湛えながらグランを見上げる。
「…………あと、こちらは魔術講義の続きですが――あの船医は王国で珍重されている水魔術の使い手で、使用したのが体液を制御する事象魔術だった事が疲弊していない理由でして……彼自身は優秀な魔術師ですよ」
そんな補足と共に呼吸を落ち着けたラフィーアは、他の質問を待つようにグランの顔を眺め続ける。
「――体液……血液を制御して傷が治るのか?」
「……人体に含まれる傷を治す効果を集めるか、よく回す事で傷の治りを早める事が出来るそうです。……効率は良いですが、事象の要素が強過ぎるのでどうやっても概念魔術にはならないとも聞きましたが」
「――そうか…………む?」
ラフィーアからの丁寧な解説に、里で掛かっていた施術はそれぞれどんな系列だったのだろうと思いを馳せていたグランは、“鱗薬”を使った後に来る不調すらも幾分か和らいでいる事に気が付く。
「……事象魔術が主体の水の属性に対し、光の属性は原理原則を無視できる概念魔術が殆どですので――竜士様の魔力生成を阻害していたモノを取り除く事も出来ます」
「――――凄いな」
これまでの経験則から時間経過でしか治らないと考えていた“鱗薬”の副作用を治す術があった事にグランが素直な驚きを示すと、ラフィーアは今までにないぐらいに満足気な笑みを浮かべる。
「……随分と嫌な魔力が混ざっていましたが――私の取り分でこちらの事も話して頂けると嬉しいですね」
そうして追加の要求を強請るだけの余裕を取り戻したラフィーアは身体を起こし、幾分か回復した保有魔力を解放する事で次の施術の準備を始める。
「……もう1つの傷の治療を始めます。……お聴きしたい事は、報告にあった『投擲で対空戦車を貫いた』という話ですので――説明を考えておいてくださいね?」
そして、そんな要求を最後にグランの脇腹へと指を這わせたラフィーアはいつもの詞を紡ぎ――組み上げた術式を起動させた。
「…………これが、投擲した騎士剣を遠方の対空戦車にまで届かせる為に必要なモノ――竜の作った薬……ですか」
グランが語る説明の途中で預かった“鱗薬”を摘み、仔細を確かめているラフィーアはそれを構築する魔術の細工に惚けるような吐息を洩らす。
今よりも少し前――グランの脇腹の治療を終えたと同時に保有魔力を使い果たしたラフィーアは再び寝台へと倒れ込み、そのまま意識を失ってしまった。
しかし、それだけの消耗を被りながらも動けるだけの魔力を取り戻したラフィーアは対価である説明をせがみ、その熱意に押されたグランが経緯を話した段階で彼女は“投擲”の矛盾に気付き――今、彼等の話題は“鱗薬”に纏わるものへと逸れていた。
「名は“鱗薬”。効果は魔力生成の大幅な向上――いや、魔力を生み出すものを身体に入れる……と言うのが正しいか?」
「……説明が疑問形になってしまうようなものを飲まれるとは――竜士様は意外と無謀なのですね」
そうしてグランが“鱗薬”の製造元であるグゥエルナーの言葉を思い出しながらその効能を伝えると、ラフィーアはうんざりしたような顔を見せ、呆れたような言葉を零す。
「…………形を構築する属性は、闇――混沌の魔力を使った“刻印”に似た魔術なのですね」
その無謀さを指摘した時こそグランに意識を向けたラフィーアであったが、“鱗薬”は相当に珍しい物のようで、彼女の視線はすぐにその検分へ埋没されていく。
「――――魔力の属性か? それは」
「…………そうですが――あぁ、属性の事はお話していませんでしたね」
しかし、そんな最中に洩れたラフィーアの独り言に対するグランの問い掛けに気付いた彼女は再びグランの方へと向き直り、言葉を纏めるように一息おいてから新たな講義を開始する。
「――――」
そうして始められた新たな講義は、グランが“霊廟”で読んだ物語に度々登場してきた要素と似た内容であった。
しかし、『髪と瞳に魔力の属性の資質が表れる』、『魔術は『才能』と『術具』と『技量』によって効力が確定する』と改めて説明する人間の世界の常識に自分の記憶を照らし合わせる事で、グランは幅のあった自分の記憶を添削していく。
「…………そして、相反する属性を上手く混ぜると“そのようになる”と提唱されているのが混沌。……闇の属性で――この混沌の元の魔力は、風と土……外周にある溶解用の魔術は――水、でしょうか?」
そう言って講義の続きを締めたラフィーアは自らが導き出した“鱗薬”の見解をグランへの問い掛けとし、その可否を彼に求める。
「――グゥエルナーの魔力と同じだから、君の推察は正しいのだろな」
「……っ。…………そうでしたね……すみません、配慮が足りませんでした」
「――?」
その問いに対してグランは確証足り得る情報で応じたものの、それを聞いたラフィーアは唐突に暗くなった声音と共に失望でも落胆でもない“色”を発し、あまり見た事のないその“感情”にグランは疑問と驚きを覚える。
「――――あぁ、そういう事か」
その“感情”に暫く困惑していたグランであったが、人間の機微への理解を進めていた彼は間を置くだけでラフィーアの反応――喪に服したまま捕われているグランを憐れみ、そしてグゥエルナーの事を悼んでくれている事――に気が付き、そんな協力者の配慮に頭を捻る。
「――君は、やはり優しいのだな――ですね」
「…………?」
その想いを無駄にせず、しかし無用なものであると諭すのであれば『冗談にする』事が最善である。
プロブ大佐やレイル大尉等の上官達の言動に習ったグランは拙い言葉で『その教え』を実践してみるものの、その思惑に反して困惑を浮かべたラフィーアを前にした彼はいつもの無表情を微かに歪め、ばつが悪そうに視線を逸らす。
「――此方が気にしていない事を示し、同時に発言者の配慮を損ねたくない場合には冗談を言えばいいとの事だったので、君のよく言う言葉を真似て見たのだが――慣れない事はするものではないな」
グラン自らが零した通り、彼の思惑は盛大に失敗したようだったがその“目”に映るラフィーアの“色”は悪いものではなくなっており、その変化を得られただけで良しとしようと青年は目を瞑って逃げに転じる。
「……竜士様は、やはり――優しい方なのですね」
しかし、そんな協力者の一面を再確認したラフィーアはクスリと微笑んでから彼と同じ言葉を返し、目を瞑ったままやり過ごそうとした青年を逃がさず、ズィと間合いを詰める事で追い込みを掛けてくる。
「――」
グランが目を瞑っていても見る事の出来る相手の“色”――竜の里で培われた“目”が映すラフィーアの“感情”は楽し気なものへと変化しており、彼女は鼠をいたぶる猫のようにグランへと“視線”を向けていた。
「――――」
2人の外見はただ無言で対峙しているだけに見えるが、グランが自分の感情を“見ている”事を理解しているラフィーアは、視線に乗せる“感情”に強弱を付ける事でグランから何らかの行動を引き出そうと働き掛けていた。
「――(人間は、なんとも面倒くさいのだな……)」
その行動。竜の里とは異なり、シキタリを挑む訳でもないのに視線を外しても逃がしてくれない協力者の“視線”に驚き、困惑しながら、グランは彼女から発せられる未知の情報伝達に耐え続けた。
お読み頂き、ありがとうございます。
ブックマークや評価は執筆を加速させる燃料となりますので、よろしければお願い致します。
2020/09/18 Ver1.0:実装
(幕間の実装に伴い、一覧の更新日と実際の作成日が異なる)
2021/03/25 Ver1.1:プロット確認・調整のついでに行った誤字脱字及び調整を反映




