2 私はあなたのお姫様
従僕の開いた重そうな扉をくぐり、分厚い絨毯の上を、アミーリアはとぼとぼと歩く。
身に纏っているのは、春めいて軽やかな、白いドレスだった。薄いレースで模した花がいくつも裾についている。髪を飾るのは、同じく白いレースのリボンだ。長く垂れたそれは、アミーリアの重い歩みに反し、こめかみでひらひらと揺れている。
「アミーリア、調子はどうだ?」
「……最悪よ。ねえ、父様。あんなことがあったんだし、いっそ、『婿選び』も中止して――」
「今日のドレスは花嫁みたいでかわいいな、アミーリア。さすがお父さんの娘だ、空気を読んでる。今日はめでたい日だからな!」
「父様は、空気を読んでないわよね……」
待ちかねたように出迎えたエルバートは、アミーリアの呟きが聞こえているのかいないのか、にこにこと機嫌よく笑っている。
(これは……聞く耳をもたない時の顔だわ……)
エスコートするように前を歩く父の背中に、『婿選び』の中止は叶わないと悟るアミーリアだが、だからと言って諦めがつくわけではない。
アミーリアを連れて自室を出たエルバートは、別棟にあるホールへ足を向けた。装飾の多い白い扉を手ずから開けたエルバートは、アミーリアを中に入れると扉を閉め、中から閂を下した。
しっとりと落ち着いた雰囲気のホールの中には、すでに候補者たちが居た。現れたアミーリアにいち早く気付いたジェラルドは、椅子を立って生真面目に頭を下げる。
「お加減はいかがですか、アミーリア殿。騎士である私が居ながら盗賊を見過ごしあなたを危険にさらしてしまうとは、お詫びの言葉もありません」
「……あなたのせいじゃないわよ。相変わらず、堅いわね、ジェラルドは」
すっかり落ち込んだ風なジェラルドに苦笑する。はやく『婿選び』から解放して、キャロルに慰めてもらわなければ。
「とにかく、あなたが無事でほっとしました、アミーリア様。まだ、元の元気はなさそうですけど……僕にできることならなんでもしますから、遠慮なく言ってくださいね」
「ありがとう、ユージン。じゃあ、また絵を描いてもらおうかしら」
次いで声をかけてくれたユージンの手元には、やはり小さなスケッチブックがあった。
すっかり絵を描く自分を疎まなくなったユージンに、アミーリアは小さく微笑む。クラムと一緒に描いてもらった絵は、こうなった今も、やはり宝物だ。
ユージンの引いてくれた椅子に腰かけると、横からカチャ、と微かな音を立て、紅茶が出された。見上げると、ポットを片手ににこやかに笑みを浮かべる、本物のリオが居た。アミーリアは思わず大きな声を出す。
「リオ! あなた、怪我してるでしょう。そんなことしちゃ駄目よ」
「いえ、怪我は本当に、ペーパーナイフが手に刺さった程度のものでしたから。気を失ったのも塗られていた薬のせいだったみたいですし。レイルは僕が弱いことを知っていたから、手加減してくれたみたいですね」
「そう……? それならよかったけど。でも、無理をしちゃ駄目よ?」
「はい、ありがとうございます。アミーリアさんも、無事でよかった。ずいぶんふさぎ込んでるって、クラムさんも出発寸前まで、すごく心配してたんですよ?」
「クラム……」
戻った翌日、クラムは早朝から出かけていた。どうやらエルバートの用事らしく、遠出をしていて、今日もまだ戻っていない。
リオを担いで戻ってきたクラムと合流し、屋敷へ戻ったアミーリアだが、振られた直後に顔を合わせる勇気はなく、結局あれから一言もしゃべっていないままだった。部屋にこもり、泣き続けるアミーリアを心配したクラムは、出発直前まで扉越しに何度か声をかけてくれたが、結局は諦めて、そのまま旅立ってしまった。
(でも、あんなにあっさり私を振って、それで普通に話しかけてくるなんて、なんだかバカにしてるわよね……。冗談だとでも思ってるんじゃないでしょうね? でも、それならまだ望みは――……)
もんもんと考えた末、アミーリアは頭を振る。そんなに儚い望みを持ったって辛いだけだ。この二日、自分の中で、そんな問答は何回も繰り返した。もしかしたらと考え、やっぱり無理だと悟り、昨日の夜あたりからはもう、涙も出なくなった。
(今日が来てしまったんだもの。現実逃避は終わりにしなきゃいけないわ。私はちゃんと、選ばなくちゃいけないのよ)
伏せていた顔を上げ、ゆっくりと、広い長方形のテーブルを囲む候補者を見回す。
あいかわらず厳めしい顔をしたジェラルド。
心配そうにアミーリアを見守るユージン。
にこにこと、穏やかな笑顔で紅茶を口に運ぶリオ。
(選ばなくちゃいけないのよ……ここに、私の好きな人がいなくても)
ぎゅっと唇を噛みしめるアミーリアを見て、テーブルの奥に座るエルバートは何かを待つような表情で、ホールの白い扉を見やった。
少しの間そうしていたエルバートは、やがてふっと息を吐き、おもむろに口を開いた。
「――では、始めようか。十日という長い間、我が娘アミーリア、ひいてはアディルセン家のために、ここに滞在してくれてありがとう。アミーリアが誰を選ぶのかはまだ俺も知らないが、君たちがこうして我が家のため尽力してくれたことは忘れない。何らかの形でお返ししよう」
ジェラルドとユージンが、そしてしばしきょとんとした後にリオが、エルバートの言葉に頭を下げた。それを見届けて、エルバートは続ける。
「途中、厄介な事件も起こったが、とりあえず今日、こうしてみな無事に集えたことを喜ぼう。――さて、前置きはこのくらいにしようか。アミーリア」
「……はい」
名前を呼ばれて、返事をする。
「今日、ここに集うのは、いずれも将来有望な貴公子だ。お前の婿、ひいてはアディルセンの後継者として、全員が申し分ない働きをしてくれるだろう。さて、では――選べ」
「……っ……」
テーブルの下で、ぎゅっとドレスを握りしめる。
そうだ。選ばなければならない。そのために、彼らは今ここに居る。
(ジェラルドにも、ユージンにも、私以外の大切なものがある。きっと、リオにも。そして――私にも)
六年。六年の間、いつも隣に居たのだ。傍にいるのが当たり前だと思うくらい、離れることなど思いつかないくらい、ずっと近くに。
「……アミーリア?」
答えないアミーリアに、エルバートが訝しげな声を上げる。その中に秘められた威圧感を、アミーリアは感じ取る。選ばなければならない。それがアミーリアの義務だ。それはわかっている。――でも、それでも、無理だ。
「……やっぱりね、結局、私は自分の気持ちが一番大事なのよ」
「アミーリアさん……?」
隣に座るリオが、突然呟いたアミーリアを不思議そうに見つめる。
それを無視して、アミーリアは勢いよく椅子を立った。ガタンと大きな音がして、白い瀟洒な椅子が倒れる。
ぎょっとしたような候補者たちの視線を感じたが、アミーリアは顔を伏せず、きっとエルバートを見つめて続けた。
「……ごめんなさい、父様。私はやっぱり大人になんてなれそうにないわ。そうよ、私は子供で、だから自分の気持ちが一番大事よ。クラムの気持ちなんかよりよっぽど大事なの。だから、一回や二回ふられたくらいじゃ、やっぱり諦められないわ!」
「…………」
エルバートは答えない。アミーリアは更に続ける。
「クラムはあれでけっこう押しに弱いタイプだもの。私は若いしかわいいし、きっとこれからもっと綺麗になるわ。母様に習って手練手管を身に着けて、押して押して押しまくれば、きっといつかはクラムも私を好きになるはずよ! だから父様、私、この中の誰かとは――……!」
ドンドン、と扉を叩く音が背後から聞こえた。
はっとして言葉を止めたアミーリアが振り返る間にも、音はどんどん大きくなり、しまいには白い扉が揺れるのが目に見えるほどになった。激しい音と揺れの合間に、「開けろ」とか「エルバートてめぇ」だとかをわめく、聞き慣れた声が混ざる。その声に、アミーリアは目を見開いた。
「……クラム……?」
「――やっと来たみたいだな。アミーリア、うるさいから開けてやれ」
視線で扉を示し、エルバートは面倒そうに言う。
わけがわからず、呆然としながらも、アミーリアは扉へと足を向けた。
「クラム――開けるわよ」
扉の向こうに声をかけると、音はたちまち静かになった。
閂に手をかけて、そっと引き上げる。おそるおそる扉を開けると、未だ旅装を解いてもいないクラムがそこに居た。
「クラム……? どうして、ここに……」
問いかけるアミーリアの頭をぽん、と叩き、どうしてかすっきりしたように笑ったクラムは、次に眦を鋭くしてホールの奥のエルバートを睨み据えた。
「てめぇエルバート、待ってろって言ったじゃねぇか! なに勝手に始めてやがる!」
「待ってろと言われはしたが、待ってるとは言ってないぞ。開始の時間は伝えておいた、遅刻したお前が悪い」
「遅刻って、お前、レナートがどんだけ遠いと思ってんだ! 普通なら往復で五日はかかるんだぞ!?」
「それくらい根性見せろよ、ずっとうじうじしてたんだから」
エルバートはそう言って、荒い足取りで自分の元まで歩んだクラムを挑発するように見上げ、にやりと笑った。
「――で? 手に入ったのか?」
「親父は体を壊してて、半分隠居してるらしくてな。実質、今のクルサードを仕切ってるのは兄貴だった。だから話も早かったぜ」
ばさりと外套をまくったクラムは、下に背負っていたらしい鞄の中から、一枚の羊皮紙を取り出してエルバートに突き出した。受け取ったエルバートはしばらく書面を眺めていたが、ふむ、と顎に手をやり、頷いた。
「いいだろう。やっと全部を取り戻したな、クラム。――いや、クラディス・クルサード」
「あんたに呼ばれるとなんだかすっげぇ気持ち悪いな、おい……」
うんざりと眉を寄せて呟いたクラムの言葉は、ぽかんとクラムを見やるアミーリアの耳には届いていなかった。
「クラム……が、クラディス? クラディス・クルサードって……どういうこと……?」
呆然と呟くアミーリアに、クラムは困ったように眉を寄せた。しばらく考えるように視線をさまよわせていた彼は、やがてゆっくりと口を開いた。
「あのな、アミーリア。俺は実は――」
「――兄さん!」
クラムの言葉をさえぎって、席を立ったリオが叫ぶように言った。その目はきらきらと輝き、満面の笑みを浮かべている。
「やっぱり兄さんだったんですね! なんだか毛並は悪くなってるし目つきも悪くなってるし背は伸びてるし声変わりはしてるしで確信が持てなかったんですけど、やっぱりあなたはクラディス兄さんだったんだ!」
「いや、後半はお前にも当てはまるからな、リオ……。変わんねえもんだな、性格って……」
「にいさん……?」
リオのおかげで、ようやくアミーリアは思い当たる。
リオには死んだ兄が居た。遺体がないまま葬儀をあげた兄。
そして今、エルバートは言った。やっと全部を取り戻したな、と。
クラムの名前は、クラディス・クルサード。つまり、クラムは――……
「……さて、じゃあ、ちょっと中断したが、仕切りなおすぞ。いいか、アミーリア」
アミーリアの理解を待たずに、エルバートは再び口を開いた。
ぽかんとするアミーリアや、未だ立ったままのクラム、クラムに抱きつかんばかりに身を乗り出しているリオや、わけがわからないとばかりに顔を見合わせるジェラルドやユージン。
その全員をゆっくりと見渡したエルバートは、いつかと同じセリフをもう一度口にした。
「お前を妻に望む貴公子の中から、お前自身が自分にふさわしい相手を選び出せ。――お前の相手を、お前自身の気持ちでな」
「私の……気持ち……」
ようやく全てを理解したアミーリアは、エルバートのしたように部屋の中を見渡した。
ジェラルドもユージンもリオも気立てのいい人たちで、きっとこれから彼らとはいい友人になれるだろう。エルバートは、やれやれと言いたげに笑っていた。合間にクラムを横目で睨むように見て、それに気付いたクラムが嫌そうな顔している。
――そう、そして、クラム。
「クラム……」
「……黙ってて悪かったな。俺が死んだことになったのは十年も前だ。もともと親のウケも良くなかったし、そこのおっさんに裏書はもらったが、今さら認めてもらえるかわからなかった。もし駄目だったら、多分、お前が悲しむかな、と……」
「……悲しむかな、じゃないわよ。悲しむっていうならこの三日、まさに地獄の苦しみを味わったわ……! 人生でこんなに落ち込んだのは初めてよ! どう責任とってくれるのよ、もう!」
ふるふると、握った拳が震える。
きっと顔を上げて自分を睨み、顔を赤くして怒るアミーリアを見て、クラムはきょとんと空色の目を丸くした。あどけなくも思えるその顔に、しかしアミーリアの苛立ちは募る。
「人の一世一代の告白をあんな風に断ってのこのこ帰ってきて、よく平気な顔してられるわね……! 乙女の純情を踏みにじった罪は重いわよ!? 簡単に許してもらえるなんて思わないことね! また選ばれるつもりでいるなんてお笑い種だわ!?」
「だってお前、それじゃどうしろって言うんだよ」
「だから、責任を取りなさいよ!」
「だからどうやって」
「……私、あなたの気持ち、聞いてないわ」
「は?」
「私が言うばっかりで、あなたの気持ちを聞いてないって言ってるのよ。そういうのって、男の人として、どうかと思うわ! 私にもう一度選ばれたいなら、ロマンチックにプロポーズして、私をその気にさせてみなさいよ!」
「…………お前な……まだ懲りずにそういう……」
腰に手を当て、つんと顎を上げて言い放ったアミーリアに、クラムはげんなりとした声を出した。だが、不意にホールに響いた、まばらな拍手にぎょっとしたように目を丸くして部屋を見渡す。
リオは満面の笑みで、ユージンは穏やかに、ジェラルドはやはり無表情で。
全員がクラムをけしかけるように、ぱちぱちと手を叩いていた。
「……おまえら……!」
「ここまでされて逃げないよなぁ。なあ、クラディス?」
眉を吊り上げて候補者を睨むクラムに、エルバートはにやにやと、からかうような笑みを浮かべて言った。
「お前まで何言って……」
「逃げたらお前にアミーリアはやらん」
「………………」
ぎり、と奥歯を噛みしめて、つんと言い放ったエルバートを睨んだクラムは、やがて諦めたように大きくひとつ息を吐くと、アミーリアをまっすぐ見つめた。
こちらに歩み寄ったクラムは、ドキドキと顔を赤くするアミーリアにふと、呆れたような顔で笑った。それから差し出された右手に、アミーリアはゆっくりと指をかける。
――そこで、クラムは唐突に、アミーリアの手を引き寄せた。
「ちょ、ちょっと、クラム!?」
「話は後だ、とりあえず走れ!」
まろぶように足をもつれさせながら、走り出したクラムに引きずられるようにしてホールの白い扉を抜ける。
兄さん逃げた、と叫ぶリオの声を背に、アミーリアはクラムと二人、中庭の木陰に走りこんだ。
逃げ込むように入った木の下で、アミーリアは目の前のクラムに、掴みかからんばかりの勢いで叫んだ。
「なんで逃げるのよ! そんなに私にプロポーズしたくないの!?」
「んなこと言ってねえだろ。公衆の面前でそんな恥ずかしいことできるかって話だよ」
「恥ずかしいこと……?」
きょとん、と考える。――だからつまりそれは、プロポーズのことではないか。
「やっぱりしたくないんじゃ――……?」
外套を掴みあげ、近い距離にある顔を見上げて再び文句を言いかけたアミーリアに、クラムはすっと顔を寄せた。なにと尋ねる間もなく、ちゅ、と軽い音がする。
「――……え?」
一瞬で離れた乾いた感触は、いつか手の甲に感じたことのあるものと同じに思える。
そのことに気付いた瞬間、アミーリアの顔は瞬時にかっと赤く染まった。
「な……ななな、なに、今、あなた何してっ……!」
「プロポーズだよ」
「きゃあ!?」
湯気の立ちそうな顔で掴みかかったアミーリアを軽くいなし、抱き上げたクラムは、空色の瞳を笑みの形に細めてあっさり言った。ぽかんと目を丸くしたアミーリアの顔を正面から見つめ、眉尻を上げてにっこりと、挑むように笑って続ける。
「お返事いただけますか? お姫様」
「…………っ!」
からかうような物言いにかっと腹が立ったアミーリアは、冗談だよとクラムが言いだすその前に、掴んだ襟首を引き寄せる。
ぽかんと数回瞬いた後、赤く染まったクラムの頬に、アミーリアはようやく溜飲を下げ、満足して微笑んだ。




