(五)勇者と言葉
◆ (十)勇者と言葉
理人は質問を変える。
「勇者とは、神殿ではどう定義されていますか」
エルネストは碑文を見上げた。
「女神の加護を受け、災厄へ立ち向かった者」
「加護とは?」
「聖剣を扱う力。瘴気を払う力。先を読むような戦場の勘。傷を癒やす力」
エルネストは一つずつ挙げる。
「時代によって異なります」
「全員が同じ力を持っていたわけではない」
「はい」
「勇者は、一つの能力の名前ではない」
「神殿の記録では、危機に応じて女神に選ばれ、必要な力を授かった者です」
理人は書いた。
勇者。
女神の加護。
能力、個別差あり。
危機に応じて選定。
神殿記録上の説明。
確認必要。
そこで筆を止める。
「勇者が現れた時、言葉は通じていたんですか」
リナが理人を見る。
「言葉?」
「もし勇者たちも外から来たなら、俺と同じ問題があったはずだ」
袋。
行く。
昨日。
一つの言葉を覚えるだけでも、時間がかかった。
語尾一つで意味が変わった。
同じ形に見える言葉が、状況によって違う意味になった。
外から来た者なら、言葉に苦労しているはずだ。
エルネストは、すぐには答えなかった。
「確かなことは言えません」
「記録がありませんか」
「古い記録は、勇者を称えるために作られたものが多い」
エルネストは答えた。
「苦労や失敗、不自由さは、後の写しで削られやすい」
理人はうなずいた。
現場の痛みは、正式な記録から落ちる。
英雄を称える文書なら、なおさらだ。
「ただ」
エルネストが続ける。
「私が読んだ範囲では、勇者が言葉に苦しんだと分かる記録はありません」
理人の筆が止まる。
言葉に苦しんだ記録がない。
それは、苦しまなかった証明ではない。
記録されなかっただけかもしれない。
後から削られた可能性もある。
それでも、引っかかる。
自分ほど苦労したなら、何か一つくらい残っていてもよい。
奇跡としてでも。
笑い話としてでも。
神殿の補助としてでも。
勇者来訪時、言語不自由の記録なし。
記録欠落の可能性あり。
言語支援の有無、要確認。
理人はそう書いた。
◆ (十一)外から来た者
リナが小さく言う。
「理人とは、違ったのかな」
「まだ分からない」
理人は碑文を見る。
「でも、違った可能性はある」
勇者たちは、外から来たのか。
外から来たとして、なぜ言葉に困らなかったのか。
女神の加護に、言語も含まれていたのか。
ならば、自分にはなぜ与えられなかったのか。
理人は、そこまで考えて筆を止めた。
仮説が先へ進みすぎている。
確認できる材料がない。
ノートには書かず、頭の中にだけ残す。
「あなたには、この名がただの古い名には見えないのですね」
エルネストが尋ねた。
「はい」
理人は答えた。
「少なくとも、俺にはそう見えません」
世界を救った者たちの名。
その中へ、自分のいた世界の音が混ざっている。
自分だけが、外から来た例外とは限らない。
碑文は、英雄を称える石から、過去の来訪者を残した記録へ見え始めていた。
◆ (十二)祈りの奥の記録
勇者碑文を離れると、エルネストは礼拝堂とは別の通路へ向かった。
巡礼者の声が遠ざかる。
白い石の廊下は続いている。
だが、奥へ進むほど装飾が減っていった。
女神を描いた壁画もない。
花を置く台もない。
代わりに、棚が並んでいる。
古い水害の記録。
魔物が増えた年の記録。
飢饉の祈祷記録。
勇者に関する写し。
神託公開文の控え。
各分院へ送った文書の保存束。
理人は歩きながら、一つ一つの背表紙へ目を向けた。
見たい。
止まって開きたい。
どこからでもよいから読みたい。
エルネストは振り返らずに言った。
「後で必要なものは見せます」
「顔に出ていましたか」
「非常に分かりやすい顔でした」
横でリナが笑う。
理人は咳払いをした。
奥へ進むほど、人の数が減った。
祈りの声も聞こえなくなる。
代わりに聞こえるのは、紙をめくる音。
鍵が触れ合う音。
硬い床を踏む靴音。
神殿の奥は、祈りの場所というより、記録を扱う場所だった。
※第18話「川沿いの村を数えよ」は全八回です。
続きます。
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