(一)旅装と防水のノート
◆ (一)使うための旅装
中央神殿へ向かう前日の夕方、セリアは理人を冒険者ギルドの奥へ呼んだ。
いつも書類を広げている机の上に、畳まれた服が並んでいる。
白い長衣。
濃い灰色の上衣。
茶色の外套。
濃紺のスカーフ。
腰へ下げる革の道具袋。
記録具を入れるための小さなポーチ。
そして、底の厚い丈夫な靴。
理人は机の前で足を止めた。
「これは?」
「旅装です」
セリアは簡潔に答えた。
「中央神殿へ行くなら、今の格好では困ります」
理人は自分の服を見下ろした。
灰境地帯を歩いた。
倉庫で荷を運んだ。
泥のついた札を並べた。
川沿いの道を歩き、白倉村では濁った水の近くに膝をついた。
繕った跡も増えている。
町の中で生活するには問題ない。
だが、王都の中央神殿へ入る者の服には見えないのだろう。
「借り物ですか」
「一部は」
「一部」
「全部を借り物にすると、返すために汚さないよう気をつけるでしょう」
「当然では?」
「あなたの場合は困ります」
セリアは真顔で言った。
「川を見れば屈む。床に線があれば膝をつく。埃を払う前に書き始める。壁の染みを見つければ袖で触る」
横にいたリナが小さく笑った。
「全部やってる」
「否定しにくいな」
理人は茶色の外套を手に取った。
布は厚い。
ただし、重すぎない。
肩を動かしても邪魔にならないように作られている。
裾も、長すぎて泥を引きずることはなさそうだった。
濃紺のスカーフは落ち着いた色で、神官の白い服とも、冒険者の装備とも違って見える。
「剣士には見えません」
セリアが言う。
「それは助かります」
「神官にも見えません」
「実際、神官ではありません」
「でも、記録帳を持って神官長に同行する人間には見えます」
理人は外套から顔を上げた。
「それは何という職業ですか」
「今から、そういう人間に見せるんです」
「職業ではないんですね」
「あなたに正式な肩書きがないのが悪いんです」
◆ (二)肩書きのない同行者
それを言われると、返す言葉がない。
この世界へ来た時、理人には身分を示すものが何もなかった。
名前を証明するものもない。
どこで生まれたのかを示す記録もない。
仕事の履歴もない。
神殿の所属証も、ギルドの冒険者証もない。
今も、正式な立場ができたわけではなかった。
ただ、神官長が同行を求めた。
セリアが提出者となった報告書が中央まで届いた。
その積み重ねによって、中央神殿の門を通れる位置まで来ただけだ。
中身が同じでも、入口では見た目が判断材料になる。
理人はそれを理不尽だと思う。
同時に、現実的だとも思った。
「着てみてください」
セリアに促され、理人は白い長衣へ袖を通した。
その上に灰色の上衣を重ね、スカーフを巻く。
外套を羽織り、腰にポーチをつける。
リナが一歩下がり、全身を見る。
「知らない人みたい」
「そんなに変か」
「変じゃない。ちゃんとしてる」
「普段は、ちゃんとしていないのか」
リナは答えなかった。
セリアも目をそらした。
「そこで黙られると困るんですが」
「中央神殿の中で、身元の怪しいよそ者には見えなくなりました」
セリアは言った。
「そこは認めます」
「では、今は何に見えますか」
セリアは少し考えた。
「神官長に同行する記録係です」
「付き添いですね」
「外から来た調査役にも見えます」
「正式な役ではないですよね」
「見た目の話です」
リナが言う。
「理人は理人に見えるよ」
「それが一番助かる」
理人が外套を脱ごうとすると、セリアが止めた。
◆ (三)防水のノート
「まだあります」
机の下から、細長い包みを取り出す。
服よりも慎重に扱っていた。
布を開くと、革で覆われた小さなノートが現れた。
表紙には簡素な留め具がついている。
理人が手に取る。
紙の端に、ごく細い線が走っていた。
模様にしては規則的だ。
触れると、わずかに冷たい。
「防水の魔法がかかっています」
セリアが言った。
理人はすぐに、ノートを机へ戻そうとした。
「高いでしょう」
「高いです」
答えは早かった。
「なら、受け取れません」
「受け取ってください」
「セリアさん」
「紙は貴重です」
セリアは理人の言葉を遮った。
「防水魔法がかかっていれば、さらに高くなります」
「なら、なおさらです」
「だから、あなたに渡します」
理人はノートとセリアを交互に見た。
話がつながっていないように聞こえる。
だが、セリアの表情は真剣だった。
「あなたは、価値にしてくれますから」
「価値に?」
「白倉村の報告書も、書き始めた時はただの紙でした」
セリアは言った。
「でも、神殿を動かしました。水位杭が立ちました。薬草が水に浸かる前に移されました」
「それは俺だけがしたことではありません」
「分かっています」
セリアはうなずいた。
「でも、あなたが記録しなければ、動き始めなかった可能性があります」
リナがノートをのぞき込む。
「水に濡れても平気なの?」
「多少の雨や湿気なら」
「川に落としたら?」
「拾うまでの時間によります」
セリアが答える。
「試さないでください」
「俺も試すつもりはない」
※第18話「川沿いの村を数えよ」は全八回です。
続きます。
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