(四)暫定記録
◆ (十)三番の反応
最後に、リナが補筆した札を荷役獣三番のもとへ運んだ。
理人と術具係の男は少し離れた位置から見る。
以前と同じ側。
同じ高さ。
同じ向き。
札を近づける前から、三番はリナを見ていた。
リナがゆっくり札を持ち上げる。
三番の耳が動いた。
少し後ろへ向く。
だが、前のように強く伏せることはなかった。
鼻を鳴らし、札の匂いを嗅ぐ。
一歩だけ首を引く。
それから、顔をそむけることなく藁を噛み始めた。
リナが振り返る。
「前より、嫌がらない」
理人はうなずいた。
「完全に嫌がらない、ではない」
「うん。前より少ない」
「それでいい」
セリアが記録する。
荷役獣三番。
補筆前、耳伏せ強い。
補筆後、耳伏せ弱い。
逃避なし。
比較時の位置と向きは同じ。
術具係の男が言った。
「慣れただけかもしれません」
「そうかもしれません」
理人は答えた。
「一度見た札だから、反応が弱くなった可能性もあります」
男は少し意外そうに理人を見た。
理人は続ける。
「だから、これだけで正しいとは言えません」
「では、やはり意味はないでしょう」
「意味がないとも言えません」
理人は札を見た。
煙。
羽虫。
荷役獣。
違う観測が、同じ方向へ少し動いた。
答えではない。
だが、無視するには揃いすぎている。
◆ (十一)否定できない変化
「偶然かもしれません」
術具係の男が言った。
理人はうなずいた。
「偶然かもしれません」
「煙は風で変わります」
「はい」
「虫は光や匂いで動く」
「はい」
「荷役獣も、札に慣れただけかもしれない」
「それもあります」
男は苛立った顔をした。
「では、何が分かったというのです」
理人は床へ並べた札を指した。
「閉じる形を足したら、三つの反応が変わりました」
「偶然だと――」
「だから、続けて見ます」
理人は男の言葉を遮らないよう、ゆっくり答えた。
「一回では足りません。別の札でも見る。別の荷役獣でも見る。魔物被害は長く見る」
「その間、効果があると扱うつもりですか」
「扱いません」
理人はすぐに答えた。
「魔物除け効果は未確認です」
セリアが記録の紙を軽く持ち上げる。
「そのように残します」
男はセリアを見た。
「神殿の術具について、ギルドが記録を作るのですか」
「ギルドに持ち込まれた札の調査記録です。神殿側の確認者も入れます」
「私は、この修正が正しいとは認めていません」
「それも書きます」
セリアは落ち着いて答えた。
男は口を閉じた。
認めたわけではない。
納得したわけでもない。
ただ、何も変わらなかったとは言えなくなった。
理人は、それで十分だと思った。
信用は、拍手で増えるとは限らない。
反論が一つ減る。
無視できない記録が一枚増える。
それも前進だった。
◆ (十二)暫定記録
セリアは新しい紙を用意した。
上部へ題名を書く。
魔物除け札の外形補正に関する暫定記録。
理人は、書かれた題名をゆっくり読んだ。
知らない専門語も混じっている。
リナが横から小さな声で補う。
セリアは、記録の内容を一つずつ読み上げた。
「比較対象。比較的新しく、乾燥した同型の魔物除け札」
理人はうなずく。
「除外対象。古い札。湿った札。素材が明らかに異なる札」
リナが脇へ分けた札を指して確認する。
「除外理由。経年、湿気、素材差による影響を比較から外すため」
術具係の男は腕を組んだまま聞いている。
「比較項目。閉じる印らしきものの有無。描き手。魔力を通した者。魔物被害の報告。煙、虫、荷役獣の反応」
男が小さく口を挟んだ。
「閉じる印らしきもの、ですか」
「正式な名称が分からないので」
理人が答える。
「閉環印に近いものです」
男は不承不承という顔で言った。
セリアが書き加える。
「神殿側呼称、閉環印に類似。ただし、同一の役割かは未確認」
理人はうなずいた。
決めつけない。
だが、言葉は残す。
「補筆箇所。外周から内側へ戻る線、および終端の点」
セリアは、補筆前の記録を読む。
「煙反応。外周欠け付近で乱れあり」
続いて、補筆後。
「同位置で乱れ減少」
「虫反応。補筆前、同位置で回避あり。補筆後、回避弱化」
「荷役獣三番。補筆前、耳伏せ強。補筆後、耳伏せ弱。逃避なし」
術具係の男が言う。
「荷役獣が慣れた可能性は」
「別要因として記載します」
セリアはそれも書いた。
「魔物除け効果。未確認。長期観測を要する」
理人は強くうなずいた。
そこを抜かせば、全部が嘘になる。
煙が変わった。
虫が変わった。
荷役獣の反応が変わった。
それと、魔物除けとして有効であることは別だ。
セリアは、最後の欄を見た。
一度、理人を見る。
それから読み上げた。
「外形補正案提示者。山科理人」
術具係の男がわずかに目を細めた。
「神殿の者ではありません」
「分かっています」
セリアは落ち着いて答えた。
「だから、術式修正者ではなく、案の提示者です。補筆を行った神殿側確認者として、あなたの名前も入ります」
男は長く黙った。
やがて、ため息とともに答えた。
「私の意見として、効果未確認も明記してください」
「すでに書いてあります」
セリアが答えると、男は紙を見た。
そして、小さくうなずいた。
理人の名前が、神殿分院へ渡る紙に残る。
それは称賛ではない。
認定でもない。
ただの暫定記録だ。
だが、記録に残るということは、次に同じ話が出た時、なかったことにはしにくくなるということだった。
理人は、その重さを知っていた。
※第13話「閉じ括弧が足りない」は全五回です。
続きます。
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