(一)レクとレクナ
◆ (一)言葉が増える
カランタのギルドに通うようになってから、しばらく経った。
山科理人は、もう水を頼むだけで詰まることはなくなった。
袋の数。依頼の人数。戻った者。戻らない者。道が悪い。魔物を見た。撤退する。後で確認する。
そのあたりの言葉なら、どうにかなる。
完璧ではない。
発音も怪しい。
長い話になると、今でも途中で置いていかれる。
それでも、最初にカランタへ来た頃とは違う。
槍を向けられ、何も分からず手を上げるしかなかった頃に比べれば、ずいぶんましになった。
リナがいなくても、短い仕事の話ならできる。
それは大きな進歩だった。
ギルドの奥では、今日も紙が動いている。
依頼票。帰還報告。未帰還の札。撤退条件の紙。戻った理由を書いた小さな欄。
最初は、そこに書かれたものの大半がただの模様に見えた。
今は違う。
全部ではない。
だが、少しずつ読める。
読めるものが増えると、世界が少し広がる。
だが、言葉の問題が消えたわけではなかった。
単語が分かるようになると、今度は文章で転ぶ。
それを、理人はこの頃になってようやく知った。
◆ (二)短い会話
朝、受付のセリアが一枚の依頼票を差し出した。
理人はそこに書かれた行き先を指す。
「北の道。雨のあと。荷車、遅い?」
セリアは少しだけ目を丸くした。
以前なら、リナが間に入らなければ通じなかった。
今は、通じる。
「遅くなります。昨日、戻った荷運びがそう言っていました」
理人はうなずく。
全部は聞き取れない。
だが、必要な単語は拾える。
昨日。戻った。荷運び。言った。遅い。
理人は依頼票の余白に、小さな印をつけた。
雨後。遅延。要確認。
セリアは苦笑した。
「あなた、本当にどこでも印をつけますね」
理人は少し考えてから答えた。
「忘れるから」
セリアは一瞬きょとんとし、それから小さく笑った。
「それは、正しい理由です」
理人は、そのくらいの会話ならできるようになっていた。
リナが横で、少し得意そうな顔をしている。
まるで、自分が教えた言葉が通じたことを確認しているようだった。
理人は少しだけ肩をすくめた。
まだ子どもに見守られている。
だが、それでも進歩は進歩だった。
セリアが次の依頼票を手に取る。
理人は、今度は自分から尋ねた。
「これは、誰が見た?」
セリアはすぐに答えた。
「南門の荷運びです。名前はこの欄です」
理人はうなずき、見た人の欄に印を置いた。
誰が見たか。誰が言ったか。誰が戻ったか。
その言葉も、少しずつ増えていた。
◆ (三)レクとレクナ
問題は、その後だった。
ギルドの奥で、カイルが若い冒険者に何かを言っていた。
理人は、聞こえた単語を拾う。
北の道。小型魔物。夕方。行く。戻る。
その中に、何度か出てくる音があった。
「レク」
行く。
理人は、そう覚えていた。
カイルは若い冒険者を見て、北の道を指しながら言った。
「……レク」
理人は、一瞬眉をひそめた。
夕方に北の道へ行くのか。
それは危ない。
そう思って口を開きかけた。
だが、カイルの言葉はそこで終わらなかった。
「レクナ」
最後に、小さな音がついた。
ナ。
理人は口を閉じた。
行く、ではない。
行かない。
いや、行くな、に近い。
単語だけを拾えば、夕方、北の道、小型魔物、行く、に聞こえる。
だが、最後まで聞けば、夕方に北の道へ行くな、小型魔物が出る、になる。
理人は、こめかみを押さえた。
「最後に否定が来るの、怖いな」
日本語だった。
リナが横で首を傾げる。
理人は木片に二つの音を書いた。
レク。レクナ。行く。行かない。
違いは最後の小さな音だけ。
だが、その小さな音を聞き落とせば、行動が真逆になる。
依頼票なら、笑い話では済まない。
理人はカイルを見る。
カイルは若い冒険者の頭を軽く小突き、さらに何かを言っている。
若い冒険者は不満そうだが、北の道へ行くのはやめたらしい。
理人は息を吐いた。
言葉は、途中で判断してはいけない。
最後まで聞かなければ、危ない。
それを、かなり実感のある形で学んだ。
※第11.5話「最後まで聞かないと条件が分からない」は全五回です。
続きます。
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