(二)町の入口
◆ (四)戻るための紙
理人は紙を欲しがった。
セリアは嫌そうな顔をした。
紙は安くない。
理人は少し考え、依頼票の裏を指した。
セリアはさらに嫌そうな顔をした。
だが、完全には拒まなかった。
リナが煤の棒を持つ。
理人は、短い言葉で一つずつ伝えた。
足跡。三つ以上。戻る。
リナが絵にする。
小さな足跡を三つ。その横に、町へ戻る矢印。
次。穴。寝床。食べ残し。戻る。
リナが森の印と、小さな穴を描く。
次。血。家畜。子ども。戻る。
リナの手が少し止まった。
理人はうなずいた。
それは怖い印だ。
だが、怖いものほど先に書く。
次。日が傾く。戻る。怪我。戻る。見張りが二体。戻る。予定より奥。戻る。
紙の裏は、ひどく不格好な絵で埋まっていった。
足跡。穴。夕日。怪我。二体。矢印。
帳簿ではない。
正式な依頼票でもない。
だが、森の中で読むには、文字だけより分かりやすい。
理人は最後に、町へ戻る矢印をもう一度指した。
「戻る。失敗、違う」
リナが訳す。
「この印で戻ったら、失敗じゃない。報告」
セリアが顔を上げた。
その言い方には、彼女も少し反応した。
理人は、もう一度言った。
「戻る。見たこと、持ってくる」
リナが訳す。
「倒せなくても、見たものを持って帰るなら、次の人が使える」
カイルが小さく笑った。
今度は、馬鹿にした笑いではなかった。
◆ (五)報告として戻る
セリアは紙を見た。
ひどい紙だった。
依頼票の裏に、足跡や矢印や夕日の絵が描かれている。
ギルドの正式な書類には見えない。
むしろ、子どもの落書きに近い。
それでも、そこには一つずつ意味があった。
どこで戻るか。何を見たら戻るか。戻った時、何を報告するか。
セリアは長く息を吐いた。
そして、依頼票を若い冒険者たちへ渡さず、いったん自分の手元に置いた。
何かを言う。
リナが訳す。
「討伐じゃなくて、確認。奥まで行かない。これを見たら戻る。報酬は少し下がるけど、報告があれば払う」
青年の一人が文句を言った。
報酬が下がる。
それは大きい。
理人にも分かる。
仕事が欲しい者にとって、報酬が減るのは小さな問題ではない。
だが、ミナは紙を見ていた。
足跡。穴。夕日。戻る矢印。
怖いと思った時、自分の言葉で止めなくていい。
紙を指せばいい。
そのことに、彼女は気づいたようだった。
理人は、そこに意味があると思った。
撤退条件は、弱い人間を守るためだけのものではない。
強がる人間を止めるためのものだ。
その場で怖いと言えない者が、事前に決めた紙を指せるようにする。
それだけで、戻れる確率は少し上がる。
セリアは依頼票の裏をもう一度見た。
「報告」
彼女は短くそう言った。
リナがうなずく。
「失敗じゃなくて、報告」
セリアは、納得しきってはいない顔だった。
だが、紙を破りはしなかった。
◆ (六)町の入口
翌朝、ミナたちは町を出た。
依頼は討伐ではなく、確認に変わった。
報酬は少し減った。
青年たちは不満そうだった。
ミナは、依頼票の裏に描かれた撤退条件の紙を持っていた。
足跡が三つ以上なら戻る。巣らしきものを見たら戻る。日が傾き始めたら戻る。怪我人が出たら戻る。
単純な絵ばかりだ。
だが、森に入る前の彼女にとっては、文字より分かりやすかった。
カイルは少し離れて歩いていた。
付き添いではない。
少なくとも、本人はそう言った。
「偶然、同じ方角に用があるだけだ」
リナがあとでそう訳してくれた。
理人は町の入口まで見送った。
自分は森へ入らない。
剣も使えない。
魔法も使えない。
足手まといになるだけだ。
できることは、紙を渡すところまで。
理人は、ミナが紙を握る手を見た。
その紙が、森の中でただの紙切れにならないことを願った。
ミナは一度だけ振り返った。
理人は、軽くうなずいた。
頑張れとは言わない。
倒してこいとも言わない。
言うなら、これだけだ。
見て、戻れ。
だが、その言葉を現地語でうまく言える気がしなかった。
だから、理人は町へ戻る矢印を指で描くしぐさだけをした。
ミナは小さくうなずいた。
※第10話「撤退条件を笑う者から死ぬ」は全四回です。
続きます。
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