(五)ギルドの紙
◆ (十二)怒る前に、見る
リナは、木片の印を見ながら、小さく言った。
「誰が悪いか、まだ分からない」
理人は顔を上げた。
リナは言葉を探している。
「でも、ここ。ここで、変わる」
彼女は北棚を指した。
次に、夕方の印を指した。
それから、薬草箱を指した。
「だから、ここを見る」
理人は少しだけ驚いた。
リナは続けた。
「怒る前に、見る」
その言葉は、理人の説明そのものではなかった。
もっと短い。
もっと現場に近い。
もっとリナの言葉だった。
理人は、ゆっくりうなずいた。
「そうだ」
リナは少しだけ笑った。
「差分は、犯人を知ってる?」
理人は一瞬、考えた。
それから、首を横に振る。
「犯人だけじゃない」
リナは首を傾げる。
理人は、木片に置かれた石を指した。
「場所。時間。やり方。全部」
リナは、少し考えてからうなずいた。
「差分は、見たことを覚えてる」
理人は笑いそうになった。
それは、悪くない言い方だった。
差分は、犯人だけを知っているわけではない。
場所も知っている。
時間も知っている。
やり方も知っている。
人が見落としたものを、歪みとして残している。
だから、先に犯人を決めてはいけない。
差分が何を覚えているのか。
まず、それを見る。
理人は、リナの言葉をもう一度頭の中で繰り返した。
差分は、見たことを覚えてる。
たぶん、今のリナにはそれが一番近い。
◆ (十三)ギルドの紙
夕方、荷運びの男が理人の前に一枚の紙を置いた。
紙といっても、理人の知る紙より厚く、繊維が粗い。
そこには、まだ読めない文字が並んでいる。
理人は最初、倉庫の記録かと思った。
だが、違った。
袋の数ではない。
薬草包みの種類でもない。
棚の場所でもない。
欄の形が違う。
行き先。荷の種類。報酬。人数。そして、おそらく危険度。
理人が紙を見ていると、荷運びの男は町の外を指した。
次に、道を示すように手を伸ばす。
それから、腰に下げた短い刃物を叩き、護衛を示すような仕草をした。
理人には、全部は分からない。
リナが間に入った。
「明日、荷車。村へ行く」
理人はうなずいた。
荷運び。それは分かる。
リナは、紙を指した。
「ギルド。護衛の紙」
ギルド。護衛。
理人は紙を見直した。
これは、荷運びのための護衛依頼票だ。
荷運びの男は、紙の一部を指した。
短い印が一つある。
リナがその印を読んだ。
「低い」
危険度が低い。
たぶん、そういう意味だ。
理人は荷運びの男を見た。
男は、その言葉を否定しなかった。
むしろ、一度うなずいた。
前は、それでよかった。
そういう顔だった。
男は、指を一本立てた。
前。
それから、紙の危険度欄を指す。
低い。
リナが男の言葉を聞き取り、少し考えてから理人に言った。
「前は、低い。たぶん、合ってた」
理人は、紙を見る。
前は正しかった。
そこが大事だった。
荷運びの男は、ギルドが最初から間違っていたと言いたいわけではない。
前にこの道を通った時、その危険度はおそらく合っていた。
男は続けて、町の外へ続く道を指した。
今度は、地面を指す。
手を斜めに滑らせる。
崩れる。ぬかるむ。
そういう仕草だった。
リナが訳す。
「でも、雨のあと、道、悪い。荷車、遅い」
荷運びの男は、さらに道の奥を指した。
指を二本立てる。
リナが少し表情を硬くした。
「小さい魔物。最近、二回」
理人は目を細めた。
前は低危険度でよかった。
だが、今は違うかもしれない。
道が悪くなった。
荷車が遅くなる。
小型魔物の目撃が増えた。
遅れれば、夕方に近づく。
夕方になれば、危険は変わる。
理人は、分けられた古い袋と、種類ごとに置かれた薬草包みを見た。
そこは、少しずつ直り始めている。
荷運びの男が指しているのは、そこではない。
倉庫の外。
町の先へ伸びる道。
前に通った時は、低い危険度でよかったのかもしれない。
だが、雨の後で道が悪くなった。
小型魔物を見た者が増えた。
荷車が遅れれば、夕方に近づく。
状況は変わっている。
それなのに、依頼票の印は前と同じままだった。
理人は、ようやく男の不安を理解した。
紙が嘘をついているとは限らない。
ただ、今を見ていない。
理人は、道を指した。
次に、依頼票を指した。
「道、変わる」
それから、危険度の欄を指す。
「紙、同じ」
リナがそれを荷運びの男へ伝える。
男は、短くうなずいた。
強くではない。
やはりそうか、というように。
理人は、倉庫の木片を思い出した。
朝と夕。南棚と北棚。昨日と今日。見たことと、たぶん。不明と、後で確認。
倉庫では、差分を見た。
今度は、道だ。
前に通った時と、今。
紙に書かれた危険度と、荷運びの男が感じている危険。
依頼票と、現場。
理人は小さく言った。
「差分を見てない」
日本語だった。
リナが首を傾げる。
理人は言い直す。
「前。今。違う」
それから依頼票を指した。
「紙、前のまま」
リナは少し考え、それを現地語で荷運びの男へ伝えた。
荷運びの男は、町の中心の方を指した。
ギルド。
理人を見る。
来るか。
そう聞かれているのだと、理人は思った。
リナも理人を見た。
「ギルドで、見る?」
理人は依頼票を見た。
読めない文字。
整っているようで、状況変化が入っていない欄。
前回は正しかったかもしれない危険度。
だが、今の道に合っているかは分からない。
理人は、息を吐いた。
倉庫では、少しだけ話を聞いてもらえるようになった。
だが、ギルドでは違う。
そこでは、また何者でもない。
それでも、この紙を見なかったことにはできない。
理人は依頼票を指した。
「見る」
リナがうなずいた。
荷運びの男も、短くうなずいた。
倉庫の次は、ギルドだった。
※第7話「差分は犯人を知っている」は全六回です。
続きます。
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