(三)初回面談
◆ 鑑定がない森
スキルがないなら、現実を見るしかない。
理人は立ち上がった。
立てる。めまいは少しある。喉が渇いている。腹も空いている。
「優先順位」
口に出す。
「水。人。道。夜になる前に安全な場所」
言葉にすると、少しだけ頭が整理された。
足元に赤い実が落ちていた。
見た目はベリーに似ている。
だが、似ているだけだ。
理人はしゃがんで、それを見た。
「食べない」
即断した。
「鑑定がない。知識もない。食えるかどうか分からないものは食べない」
鑑定スキルがない異世界。
それは、思ったよりも危険だった。
毒があるか分からない。
水が飲めるか分からない。
動物が危険か分からない。
植物も、虫も、空気も、何も分からない。
「便利スキルって、本当に便利だったんだな」
理人は足元の土を見る。
地面には、かすかな踏み跡があった。
獣道かもしれない。人の道かもしれない。判断はつかない。
理人はしゃがみ、土を指で触った。
「足跡はある。大きい。蹄っぽい跡もある。荷車の跡……いや、車輪か?」
土の上に、浅い溝が残っている。
まっすぐではない。
だが、一定方向に続いている。
「大型の動物。家畜。荷車。人の移動」
少なくとも、完全な未開の森ではない。
「人里がある可能性は高い」
問題は、そこにたどり着いた後だった。
言葉は通じるかもしれない。
同じ人間に見えるなら、発声器官も似ている可能性はある。
偶然、日本語に近い言語という可能性も、理屈の上ではゼロではない。
異世界補正が遅れて発動する可能性だって、完全には否定できない。
だが、現時点では、何も読めていない。
標識らしきものも、案内らしきものも、まだ理解できていない。
ならば、会話も通じない前提で考えた方がいい。
身分証もない。金もない。この世界の常識もない。武器もない。保証人もいない。
そして、こちらは成人男性だ。
「助かる可能性と、捕まる可能性が同時に上がったな」
理人は車輪跡に沿って歩き始めた。
◆ 読めない
しばらく歩くと、木に打ち付けられた板を見つけた。
標識のように見えた。
理人は駆け寄り、そこに書かれたものを見た。
文字だった。
少なくとも、模様ではない。
同じ形が繰り返されている。
行のようなものもある。
意味を持つ記号体系だ。
だが、読めない。
英語ではない。日本語ではない。中国語でも韓国語でもない。見覚えのある文字体系ではなかった。
「……読めない」
理人は板に触れた。
もし異世界転生なら、ここで読める可能性を少しは期待していた。
文字が意味に変わる。
頭の中に訳が流れ込む。
知らない言語なのに自然に理解できる。
そういう都合のいいものが、あるかもしれないと。
何もなかった。
板は板で、文字は文字で、理人は読めなかった。
「翻訳補正もなし、か」
言ってから、理人はもう一度、自分の状況を並べ直した。
スキルなし。鑑定なし。女神なし。翻訳なし。所持品なし。信用なし。
「歓迎されてないな、これは」
その言葉は、思ったよりも重かった。
理人は、自分がこの世界に招かれたのではないと感じた。
誰かが待っているわけではない。
役割を与えられているわけでもない。
お膳立てされた冒険が始まるわけでもない。
ただ、放り出された。
そんな感覚だった。
◆ 人の声
標識の向いている方向に、道らしきものが続いていた。
道と言っても、舗装はされていない。木の根が出ている。石も多い。
だが、踏み固められている。
人が通っている。
理人は、少しだけ息を吐いた。
「人里がある」
助かる可能性がある。
同時に、危険もある。
理人は道の脇に立ち止まった。
「ファーストコンタクト次第で終わるな」
言葉は通じるかもしれない。
だが、通じる前提で動くのは危ない。
通じないのに、通じるつもりで距離を詰めれば、それだけで敵意と取られるかもしれない。
相手から見れば、自分は身元不明の男だ。
服装が変かどうかも分からない。
金もない。
保証人もいない。
目的も説明できない可能性が高い。
敵意を見せれば終わる。
慌てても終わる。
正しい説明をしようとしても、言葉が通じなければ終わる。
理人は、自分に言い聞かせた。
「宇宙人と遭遇したと思え」
相手が宇宙人なのではない。
相手から見れば、宇宙人はこちらだ。
「手を見せる。急に動かない。距離を詰めない。相手の逃げ道を塞がない。目を合わせすぎない。笑いすぎない。武器になりそうなものを持たない」
前職で作った緊急対応マニュアルより、よほど切実だった。
その時、道の向こうから音がした。
車輪の軋む音。
鈴の音。
動物の鼻息。
そして、人の声。
理人は足を止めた。
言葉は聞き取れなかった。
距離のせいかもしれない。
言語が違うせいかもしれない。
緊張で耳が意味を拾えていないだけかもしれない。
ただ、人間の声だということだけは分かった。
助けかもしれない。危険かもしれない。
たぶん、両方だ。
理人は両手をゆっくり上げた。
まだ誰の姿も見えない。
それでも、最初に見せるべき情報は決まっている。
武器はない。敵意はない。今すぐ近づくつもりもない。
喉が渇いていた。
足は震えていた。
心臓はうるさい。
理人は小さく息を吸った。
「さて」
車輪の音が近づいてくる。
「初回面談だ」
◆ ログ
外来魂反応を検知。
原世界肉体状態:生命活動停止
認知パターン保持:成功
召喚儀式記録:なし
勇者分類:不一致
祝福付与:未実行
言語補正:未実行
身体補正:未実行
スキル変換:未実行
主制御系照合:該当なし
監査層照合:一致
警告:
非正規流入個体を確認。
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※ネタバレ範囲にご注意ください。
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