(二)ステータス画面は表示されない
◆ 天井がない
次に目を開けた時、天井はなかった。
木の葉が揺れていた。
最初、理人はそれを天井だと思った。
ホテルの天井にしては緑が多い。
病室の天井にしては風が吹いている。
数秒遅れて、理解が追いついた。
空だ。
木だ。
森だ。
「……どこだ、ここ」
声が出た。
自分の声だった。
それだけで、少し安心した。
少なくとも、意識はある。
喉は動く。耳も聞こえる。目も見えている。
理人は仰向けのまま、指を動かした。
右手、動く。左手、動く。足、動く。痛み、少し。大きな外傷、たぶんなし。
「落ち着け。まず観測だ」
自分に言い聞かせる。
理人は上体を起こした。
目の前には、見覚えのない森が広がっている。
木の幹は太い。
葉の形も少し変だ。
空気は湿っている。
土の匂いが強い。
ホテルではない。
病室でもない。
少なくとも、出張先の町ではない。
理人は自分の服を見た。
スーツではなかった。ホテルの部屋着でもなかった。
粗い布でできた、見たことのない服。
靴も革靴ではない。
荷物はない。スマホもない。財布もない。社員証もない。
ただ、眼鏡だけはあった。
理人は顔に触れた。
細い金属のフレーム。
いつも使っていたものとは、少し違う気もする。
だが、視界は歪んでいない。
「眼鏡はあるのか」
助かった、と思った。
同時に、気味が悪かった。
服は変わっている。荷物は消えている。だが、眼鏡だけはある。
都合がいい。
都合がよすぎる。
「……はい?」
理人は自分の胸元をつかんだ。
「着替えた記憶はない。移動した記憶もない。というか、俺はホテルにいた。椅子に座っていた。資料を保存した」
そこまで口にして、最後の感覚を思い出した。
身体の奥で、何かが抜ける感覚。
「あれで、死んだ……のか?」
言った瞬間、理人は首を振った。
「断定するな。観測範囲外だ」
死亡した可能性は高い。
だが、病院で意識不明のまま見ている異常な夢という線も、完全には消せない。
ただ、その仮説はあまり役に立たなかった。
夢だとしても、痛いものは痛い。
現実だとしても、やることは同じだ。
「現在地、不明。時刻、不明。通信手段、不明。所持品、ほぼなし。身体状態、行動可能」
理人は息を吐いた。
「最悪寄りだな」
◆ ステータス
理人は、少しだけ黙った。
森。見知らぬ服。残っている眼鏡。死んだかもしれない直前の記憶。現実感のある痛み。見たことのない植物。
仮説は、いくつかある。
一つ。死後の世界。
二つ。異世界転生。
三つ。脳内の異常夢。
四つ。拉致、事故、または何らかの実験。
「四つ目だったら一番嫌だな」
理人は膝についた土を払った。
異世界転生。
その言葉を、自分の口で言うのは、かなり間抜けに思えた。
だが、現象の説明としては、今のところ候補から外せない。
なら、確認するしかない。
「ステータス」
何も起きない。
理人は数秒待った。
「ステータス、オープン」
何も起きない。
「メニュー」
何も起きない。
「鑑定」
何も起きない。
「ヘルプ」
何も起きない。
「ログインボーナス」
何も起きない。
「初心者パック」
森は、ただ森だった。
風が葉を揺らす。遠くで鳥のようなものが鳴く。足元を小さな虫が横切る。
それだけだった。
「なるほど」
理人は膝に手を置いた。
「死後の世界にしては不親切だ。異世界転生にしては初期設定が雑すぎる」
もう少し試す。
「女神」
風が吹いた。
「女神様」
鳥が鳴いた。
「チュートリアル担当の方」
虫が飛んだ。
「サポート窓口」
返答はなかった。
「……サポートなし」
ただ、完全に結論を出すには早い。
理人は自分の手を見た。
もしかすると、気づいていないだけで何かの能力があるのかもしれない。
危機になれば発動するタイプかもしれない。
条件を満たせば開くメニューがあるのかもしれない。
現地語で唱えなければ反応しない可能性もある。
だが、それらは全部「あるかもしれない」だった。
今この瞬間に確認できる事実は、一つしかない。
何も出ていない。
「未確認の能力を前提に行動しない」
理人は、そう決めた。
チートスキルを持っている可能性は、ゼロとは言わない。
だが、ある前提で動けば死ぬ。
崖から飛び降りてから、実は飛行スキルがありませんでした、では遅い。
「現状は、なしで扱う」
理人は指を折って確認した。
ステータスなし。スキルなし。鑑定なし。メニューなし。女神なし。翻訳も、未確認。
「あるなら後で評価する。今は、ないものとして動く」
※第1話「ステータス画面は表示されない」は全三回です。
続きます。
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