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非正規転生 ~転生したけど最弱スキルすらもらってない~  作者: KEI
第5.5話 過去は心からの距離で測る

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(二)未来にも距離がある

◆ (五)思い出したくない過去


理人は、少し迷ってから、木片の端を指した。

昨日、リナが書けずに手を止めた場所。

リナの顔が、少しだけ曇った。

理人はすぐに指を引こうとした。

だが、リナは首を横に振らなかった。

彼女は、小さな声で言葉を言った。


「ソレン」


理人は、その響きを聞いた。


遠い。


昨日のことなのに、遠い。

南棚を数えた昨日より、ずっと遠い。

薬草箱を見た昨日より、さらに遠い。

理人は、木片を見る。

時間としては近い。

だが、心はそこに近づきたくない。

だから、言葉が遠くなる。

理人は何も言わなかった。

無理に近づけるものではない。

ただ、木片に小さな印を足した。


遠い昨日。


リナはその印を見た。

少しだけ目を伏せた。

それでも、消してとは言わなかった。

理人は、前世のことを少し思い出した。


昨日の会議。先月の失敗。三年前の炎上案件。


時間だけなら、昨日が一番近い。

だが、心が近いとは限らない。

昨日のことでも、もう触れたくないものがある。

昔のことでも、今も手触りが残っているものがある。

この世界の言葉は、その距離を隠さないのかもしれない。

理人は、遠い石をリナから少し離れた場所に置いた。

リナはそれを見て、ほんの少しだけ息を吐いた。


◆ (六)未来にも距離がある


理人は、今度は明日の太陽を描いた。


明日。


リナは、朝の水汲みを指した。

短い言葉を言う。


近い。


理人には、そう聞こえる。

次に、薬草箱の「後で確認」の印を指した。

リナは、別の言い方をした。


少し遠い。


明日見るかもしれない。

でも、まだ確定していない。

次に、三番の荷役獣がまた袋を嫌がるかもしれない、という話をした。

リナは、さらに違う言葉を使った。

それは、未来というより、不安に近い。

理人は息を吐いた。

未来も、一つではない。


予定。確認。可能性。不安。


日本語なら全部、未来の話だ。

だが、この世界では距離が違う。


近い未来。遠い未来。できれば来てほしくない未来。


理人は木片に、三つの印を足した。


予定。後で確認。起きてほしくない。


まだ正確ではない。

だが、何も書かないよりはいい。

リナは、明日の水桶を指して近い石を置いた。

薬草箱の印には、少し遠い石を置いた。

そして、荷役獣が嫌がるかもしれない袋には、遠い石を置いた後、少し迷って、さらに横へずらした。


近づけたくない。


そんな置き方だった。

理人は、その指の動きを見ていた。

言葉よりも先に、距離が見えた気がした。


◆ (七)荷役獣の説明


リナは、しばらく考えていた。

それから、三番の荷役獣を指した。

荷役獣は、藁の上で眠そうにしている。

リナは、昼間にその荷役獣が北棚の袋を嫌がったしぐさをした。

次に、自分の胸を指す。

それから、近い石を指した。

理人はうなずいた。

今日見たから近い。

リナは、次に、前にも似たことがあったと示すように、少し遠い石を指した。


昔のこと。


だが、完全に忘れたわけではない。

次に、荷役獣が怖がって逃げた時のしぐさをした。

そして、もっと遠い石を指した。

理人は、少しだけ分かった。

怖い記憶は、近いようで遠い。

体には残っている。

でも、言葉では遠ざける。

リナは文法を説明しているわけではない。

文法という言葉を、彼女はたぶん知らない。

それでも、彼女は説明していた。


荷役獣の耳。足。鼻。逃げるしぐさ。食べないしぐさ。


それらを使って、出来事との距離を示している。

理人にとっては十分だった。

この世界の言葉は、辞書より先に、体の感覚と結びついている。

理人は、眠そうな荷役獣を見た。

荷役獣は何も知らない顔で、鼻を鳴らした。

リナは少し笑った。

理人も、つられて少しだけ笑った。


◆ (八)予定と見込み


理人は、前世の会議を思い出した。


来週対応します。対応予定です。対応見込みです。対応できる可能性があります。対応が必要か確認します。


どれも未来の話だ。

だが、意味はまるで違う。


予定。見込み。希望。責任逃れ。まだ何も決まっていないもの。


同じ未来でも、そこには距離があった。

近い未来は、約束になる。

遠い未来は、願望になる。

もっと遠い未来は、リスクになる。

理人は苦笑した。

異世界語が特殊なのではない。

日本語でも、たぶん同じことをしていた。

ただ、自分が気にしていなかっただけだ。

理人は木片を見た。

言葉は、時間をそのまま写すものではない。

人がその時間にどう触れているかを、一緒に残してしまう。


厄介だ。


だが、面白い。

前世で扱っていたデータも同じだった。


予定日。見込み日。確定日。報告日。実施日。


全部、日付だ。

だが、同じ日付ではない。

どの立場で、何を見て、どの距離から言っているのか。

それを混ぜると、表はきれいに見えても中身が壊れる。

理人は木片の印を見直した。


朝。夕。後で確認。たぶん。不明。


この粗い木片は、案外、前世の帳票より正直かもしれなかった。



※第5.5話「過去は心からの距離で測る」は全三回です。

続きます。



作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/irregular-reincarnation-top/

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