(四)空白よりはまし
◆ (十二)小さすぎる火種
その日の終わり、木片にはいくつかの記録が残った。
夕。北棚。飼料袋。数、八。状態、たぶん湿り。三番の荷役獣、嫌がる。原因、不明。後で確認。見た人、リナ。
もう一つ。
夜前。薬草箱。包み、六。犬が吠えた。理由、不明。後で確認。見た人、リナ。
そして最後に、
南棚。古い袋。数、合わないかもしれない。たぶん。後で確認。見た人、理人とリナ。
理人は、その記録を見て少し悩んだ。
危うい。
これは、後で誰かに見られたら、曖昧だと言われる。
たぶん。不明。後で確認。
弱い言葉ばかりに見える。
だが、消すべきではない。
曖昧なものを、確定したように書く方が危ない。
分からないものを空欄にする方が、もっと危ない。
理人は木片を裏返そうとして、やめた。
隠すための記録なら、意味がない。
ただし、今はまだ倉庫番に見せる段階でもない。
理人は木片を倉庫の隅、リナと自分だけが分かる場所に置いた。
小さな記録。
小さすぎる火種。
だが、火種であることに、理人はまだ気づいていなかった。
◆ (十三)近い昨日、遠い昨日
木片を片づけた後、リナは太陽の印を指して、いくつかの言葉を言った。
朝。夕。昨日。明日。
理人は、それを覚えようとした。
だが、途中で引っかかった。
リナは、同じ昨日のことを、違う言い方で言う。
朝に見た袋のこと。
昨日、倉庫番に怒られたこと。
前に荷役獣が嫌がったこと。
どれも過去のはずだ。
だが、リナの言い方は少し違う。
近いもの。遠いもの。まだ体に残っているもの。思い出したくないもの。
理人には、そんなふうに聞こえた。
もちろん、勘違いかもしれない。
理人の語彙が足りないだけかもしれない。
それでも、少しだけ気になった。
この世界の言葉は、時間だけを指しているわけではないのかもしれない。
理人は木片の端に、小さく印を増やした。
近い昨日。遠い昨日。
まだ意味は分からない。
だが、後で確認する価値はある。
リナがそれを見て、不思議そうに首を傾げた。
理人は苦笑した。
「これも、後で確認」
リナは少し考えてから、丸で囲んだ印を指した。
後で確認。
理人はうなずいた。
記録は、袋の数だけでは終わらなかった。
言葉そのものにも、差分があった。
◆ (十四)空白よりはまし
その夜、理人は倉庫の隅で木片を見直した。
絵は下手だ。
印も揃っていない。
数も怪しい。
大袋と小袋はまだ混ざる。
薬草包みの種類も分けきれていない。
湿りかどうかも、はっきりしない。
犬が吠えた理由も分からない。
記録としては、汚い。
前世なら、こんなものを集計に使うなと言われるだろう。
理人自身も、そう言うかもしれない。
だが、無記録よりはいい。
何も残さなければ、朝と夕の違いは消える。
誰が見たのかも消える。
リナが気づいた違和感も消える。
犬が吠えたことも、荷役獣が嫌がったことも、なかったことになる。
汚い記録でも、残れば次に見られる。
次に見れば、比べられる。
比べれば、差分が出る。
理人は、木片を伏せた。
「データはだいたい汚い」
小さく言う。
「でも、空白よりはましだ」
リナには通じない。
だが、リナは木片を大事そうに見ていた。
その表情だけで、今は十分だった。
翌朝、その木片が誰の手に渡るかを、二人はまだ知らない。
◆ (十五)ログ
ログ
観測粒度:上昇
整合率:低下
注記:
粗い記録は、無記録より高密度。
作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。
※ネタバレ範囲にご注意ください。
https://www.simulationroom999.com/blog/irregular-reincarnation-top/




