(一)朝はもう過ぎていた
◆ (一)朝はもう過ぎていた
翌朝、理人はさっそく失敗した。
南棚の飼料袋を数えるはずだった。
朝に見る。夕方に見る。違いを見る。
昨日、リナと木片を使って決めたばかりの、小さな約束だった。
だが、理人が南棚に着いた時には、すでに袋が二つ運び出されていた。
荷運びの男たちが、当然の顔で荷車へ積んでいる。
倉庫番も何も言わない。
リナも、最初はそれを問題だと思っていなかった。
作業が始まった。
ただ、それだけだった。
理人だけが、木片を持ったまま固まっていた。
「開始時点が揃わない」
日本語だった。
リナが首を傾げる。
理人は南棚を指した。
次に、太陽の印が描かれた木片を指す。
朝。
それから、すでに荷車に積まれた二つの袋を指す。
減っている。
リナは少し考え、ようやく気づいたように口を開けた。
「……ネア?」
違う?
理人はうなずいた。
「ネア。もう違う」
朝に数えるはずの朝が、もう過ぎていた。
記録を始める前に、記録したかった状態が変わっている。
それは、思っていたよりもずっと厄介だった。
◆ (二)作業の前と後
理人は、太陽の絵を描き直した。
朝。
ただし、ただの朝ではない。
作業の前。荷車へ積む前。袋が動く前。
理人は、棚を指し、荷車を指し、それから首を横に振る。
動かす前。
リナは、少しずつ意味を拾っていく。
理人は次に、沈む太陽の印を描いた。
夕。作業の後。積み替えの後。戻した後。
リナは、木片の二つの太陽を見比べた。
朝と夕。
だが、本当に大事なのは太陽の高さではない。
袋が動く前か。動いた後か。
理人はそう考えた。
時計はない。
正確な時刻も分からない。
なら、時間ではなく、作業の前後でそろえるしかない。
記録には、まず見る場所を決める必要がある。
そして、見るタイミングも決めなければならない。
同じ棚を見ても、作業前と作業後では別のものになる。
理人は木片に、棚の絵と荷車の絵を描いた。
棚。荷車。
その間に線を引き、線の前に太陽の印を置く。
作業前。
線の後に沈む太陽の印を置く。
作業後。
リナは、しばらく見ていた。
それから、棚を指した。
次に荷車を指した。
最後に、太陽の印を指す。
理人はうなずいた。
「そう。動く前」
言葉は通じきっていない。
だが、昨日よりは近い。
記録は、数える前からもう難しかった。
◆ (三)一袋とは何か
次に問題になったのは、一袋だった。
南棚には、大きな袋がある。
北棚には、少し小さな袋がある。
壁際には、口を縛り直した使いかけの袋もある。
リナは、それらを似た言葉で呼んだ。
理人には、全部「袋」に聞こえる。
だが、同じ一ではない。
大袋。小袋。半分だけ残った袋。
どれも一つ。
数だけ見れば、同じ一。
だが、中身の量は違う。
理人は、大袋の横に大きい石を置いた。
小袋の横に小さい石を置いた。
使いかけの袋の横に、割れた石を置いた。
リナは、しばらくそれを見ていた。
それから、少し困った顔をした。
面倒だ。
たぶん、そう思ったのだろう。
理人も同じ気持ちだった。
面倒だ。
だが、ここを混ぜると、あとで何も分からなくなる。
「一、同じ。違う」
片言だった。
リナは、大袋と小袋を見比べた。
それから、使いかけの袋を見た。
小さくうなずく。
一つ。
でも、同じ一つではない。
理人は、大きい石、小さい石、割れた石を順に指した。
「サル」
袋。
それから、首を横に振る。
「ソル、ない」
同じではない。
リナはゆっくり繰り返した。
「ソル……ない」
理人はうなずいた。
単位が揃っていなければ、数はきれいに見えても中身が汚れる。
一袋という言葉は、思っていたよりも信用できなかった。
◆ (四)数と状態
北棚の奥に、色の濃い袋があった。
湿っているようにも見える。
ただ古いだけにも見える。
リナは、その袋を見て、少し鼻を寄せた。
理人も近づく。
匂いが違う。
しかし、腐っていると断定できるほどではない。
数としては一つ。
だが、使える一つなのかは分からない。
理人は、袋の絵の横に、別の印を作った。
水のような線。
湿り。
リナは、その印を見た。
数の横に、状態を書く。
袋は一つ。
ただし、湿りかもしれない。
理人は、そう示したかった。
リナは、煤の棒を持って迷った。
はっきり湿っていると言っていいのか。
分からない。
理人は、その迷いを見た。
そこで、まだ名前のない小さな欄を空けた。
分からないものを入れる場所が必要だった。
袋はある。数としては一つ。でも、状態は不明。
この三つを混ぜると、あとで必ず崩れる。
理人は木片を指した。
袋の印。石。湿りの印。そして、空いた欄。
「数。状態。分からない」
ほとんど日本語だった。
リナには通じない。
それでも、リナは木片を見続けていた。
分けようとしていることだけは、伝わっている。
理人はそう判断した。
きれいな記録を作るのは無理だ。
なら、せめて汚れ方を分ける。
それが最初の仕事だった。
※第5話「データはだいたい汚い」は全四回です。
続きます。
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